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世界のどこかにいた一組のつがい

 暴れるミカゲを強引につかまえて押し倒し、うなじに噛みついた。  ミカゲはこれ以上ないほど憎しみを込めた眼差しで、俺をにらみつけていた。  俺はミカゲに向けて笑った。 「ははっ、これで一生おまえは俺に繋ぎとめられたまま逃れられない。残念だったな」  オメガはアルファにうなじを噛まれたら一生つがいにならざるを得ない。  それがどれほど嫌いなヤツだったとしても。  憎んでるヤツだったとしても。  俺はミカゲの耳元に唇を寄せた。 「この先ずっと、おまえは俺にだけ欲情するんだ。屈辱だろ?」 「くっ……」  ミカゲは苦しげに眉根を寄せ、つらそうに目を伏せた。 「もうおまえの身体は俺しか欲しないんだ」  俺はミカゲの身体に触れ、服を脱がせていく。  腕の下で小さく震える身体。屈辱のせいなのか。悲しみにくれているのか。  俺はこれ以上ないほど繊細に、丁寧に、優しくミカゲの肌に触れていく。優しくすればするほど、ミカゲの自尊心に傷がつくことを知っていた。  噛んだばかりのうなじにキスをする。 「おまえはこの先ずっと、俺から愛され続けるんだ」  ミカゲが絶望的な顔をした。  俺は遠慮なくミカゲに覆いかぶさる。この身体の奥に楔を打ち込むために。  この世には男女の他にも性別がある。アルファ、ベータ、オメガ。  アルファは優秀な遺伝子を持ち、将来も約束されている。生まれながらのエリートだ。  ベータはすべてにおいて平均値で、可もなければ不可もない存在だ。  オメガは男女関係なく子を孕むことができる唯一の存在で、定期的に発情に悩まされながら生きている。  ミカゲもそうだ。  オメガとして生まれたせいで、日々、発情に悩まされ、苦しみ、フェロモンを放っては、男に犯される。  可哀想な生き物。  だから俺だけのオメガにしてやった。もう俺以外の誰もミカゲに触れることは許されない。  だけどミカゲは俺を嫌いだし憎んでいる。  もっと可哀想な生き物になった。  そんなミカゲに俺は欲情し、押さえつけ、身体の奥まで侵食する。  死ぬまで逃れられないオメガの(さが)。どんなにいきがってみせても、発情には抗えない。  熱い息を吐き、苦しげに身悶え、快楽へと堕ちていく。 「おまえは俺の子を孕むんだ」  屈辱だろう? 耳元で囁くと、ミカゲは耐えるように唇を噛み締めた。  毎日のようにミカゲの身体を抱いた。俺の形をその身体が覚えるほどに。  俺とミカゲが出会ったのは十年前に遡る。  気高く美しいオメガだった。  凛と尖り、冷徹な空気を纏わせていた。  彼はその時、十八歳になったばかりで、俺は二十歳になったばかりだった。  安易に誰にも近寄らせない見えない針を全身に張り巡らせたようなヤツで、どうしてそうなったのかと言えば、それは彼がオメガだったからに他ならない。  俺は友人たちと賭けをした。  あいつを骨抜きにしたヤツに一万円。  優しく声をかけて近寄った。初めのうちは警戒していたミカゲは、こちらが想像していたよりも簡単に心を開くようになった。  二年つきあった。  ミカゲが二十歳になり、俺が二十二歳になった。  すでに身体の関係にもなっていた。  ミカゲは俺とつがいになるつもりでいたのだろう。  潮時だなと思った。  友人たちから一万円をせしめて、俺はミカゲを奴らの餌食にした。  防音の効いた部屋に連れて行き、六~七人ほどいるアルファの元に置き去りにした。  アルファがオメガを性の玩具にするのは、さほど珍しいことじゃない。  アルファがオメガをどうしようと、罪に問われるようなこともない。  アルファはすべてにおいて許され、オメガは下等な生き物として扱われる。  それが今の世の中だ。  オメガとして生まれたのだから、いずれはそうなっていただろう。時間の問題だ。  いくら気高く崇高な者として振る舞ってみたところで、俺たちアルファから見たら彼はオメガでしかない。  そんな覚めた気持ちで日々を生きていたら、偶然ミカゲと再開した。  半年後だった。  まるで違う人間のような目で、ミカゲが俺を見た。  あんなに俺を信頼していたのに。あんなに俺を愛しそうにしていたのに。あんなに。 「生きてたのか。あんなことがあったら絶望して死ぬかと思ってた」  嗤う俺を、憎悪と氷の刃のような眼差しで真っ向からにらんでくる。  ぞくぞくした。  ずっと欲しかったものが手に入ったような悦びだ。  大学を卒業した俺は、大手の商社に就職した。官僚になる道もあったが興味なかった。  ミカゲはあれからどんどん転落していったようで、再会した場所は風俗店だった。  たくさんのアルファに穢された身体に、俺は金を払った。  ミカゲは俺への憎しみは隠さず、真面目に仕事をまっとうした。  以前と違うところがあるとすれば、こういう仕事をすることで染みついてしまった色香。  男を誘うのがうまくなった。  うなじに噛みつきたい衝動を抑えながら、俺はミカゲの奥を穿つ。風俗嬢になったミカゲの首には、首輪がついていた。客のアルファが衝動でうっかり噛んだりしないようにするためだ。  アルファがオメガのうなじに噛みつきたいのは本能による衝動だ。  俺がミカゲのうなじに噛みつきたいのも本能によるものだ。  噛みついたら永遠の伴侶になる。  つがいになる。  ミカゲとつがいに。  永久に俺のものになる。  甘美な誘惑だった。  同時に、ミカゲにとっては絶望的なことだろう。  絶望に打ちひしがれるミカゲは相当美しいに違いない。  羽根をもがれた天使のように。  俺を憎みながら快楽に震えるミカゲは美しかった。オメガの宿命に逆らえない身体が愛しかった。風俗嬢になったミカゲは、以前は飲んでいた発情抑制剤は使わなくなったらしい。  開放され、発情を隠さなくなったミカゲは美しかった。  穢されているのにますます気高くなった。  ミカゲと出会ってから十年経った。  俺は会社から独立し、自分で事業を立ち上げて、順調に軌道に乗せることにも成功し、収入も増えた。  高級マンションでペットを一人飼っても支障がないほどに。  高層マンションの最上階を購入した。賃貸よりも買ったほうが安いと聞いたからだ。  ワンフロアすべてが俺の部屋。  そしてミカゲの部屋。  俺はミカゲを首輪で部屋に繋ぎとめた。首輪を外せないように手錠もかけた。  自由にしたら逃げられると思ったからだ。  うなじを噛んで永遠の伴侶にしたが、それだけでは安心できなかった。  風俗店からミカゲを買い取り、全身を綺麗にして部屋に置いた。  ミカゲはしばらくどんよりとうなだれていたが、ある時期から何かを吹っ切ったようだった。  最上階の窓から見える壮大な景色を、心を奪われたように見つめるようになった。  昼はビル群の隙間から富士山が見え、夜は眩しいほどの夜景が目の前に広がる。  成功者だけが見ることのできる景色を、ミカゲは眩しそうに眺めていた。  俺はそんなミカゲの顎を持ち上げ、濃厚に口づけた。  永遠の伴侶。永遠のつがい。  ミカゲは何かを諦めたように、俺の舌を受け入れた。  毎夜のように俺に抱かれるミカゲは美しかった。本心を口にすることはないので、何を思っているのかはわからない。  ただ、俺をつがいと認めたのであろうことだけ、その身体から伝わってきた。  ミカゲの腹に子が宿ったのもその時期だった。  病院の医師に告げられた通り、子を宿したミカゲを大事にした。  手錠を外し、首輪を外しても、ミカゲは逃げなかった。  ある日、ぽつりとミカゲが言った。 「あの頃を思い出した。出会った時の頃。まだ何も知らなかった頃を」  今の俺の中に、あの二年間の俺を見つけたようで、少しだけ微笑んだ。 「好きだったんだ。本当に。つがいになりたいと思ってた。そう思ってた相手とつがいになれたのに、あの頃の俺が思ってたのと、今の状況はまるで違う」  本当に好きだったんだ。ミカゲの目から涙の粒が何度か落ちた。  まともな男ならここで罪悪感を覚えるのだろう。  俺は泣くミカゲを美しいと思うだけだった。 「逃げることを想定して首輪で繋いだり、手錠をはめたりしたんだろうけど、俺はもう逃げられない。オメガはつがいになったアルファからは逃げられないんだ。永遠に」  どこか寂しそうな眼差しで、ミカゲが俺を見た。 「オメガに生まれた者の宿命」  ミカゲの眼差しが床へと移った。 「もし俺を苦しみに突き落としたかったら、ふたつ方法がある。アルファから一方的につがいを解消すること。アルファがオメガを置き去りにして先に死ぬこと」  どういうつもりでミカゲがそんなことを言ったのかはわからない。 「オメガの喜びはつがいのアルファに愛されることなんだ。それが嫌いだった相手でも、憎んでた相手でも。つがいになれば、何もかもが変わる。オメガはアルファに愛されるための生き物になるんだ」  でも、とミカゲは続けた。 「おまえがやったことを許したわけじゃないから」  俺たちはまるで、複雑に絡み合った知恵の輪のようだと思った。  どんなに頑張っても努力してもほどくことができない。  ミカゲが何かを諦めたのは、それなのかもしれない。  子供が生まれてから、いろんなことが変わった。  ミカゲはよき母として振る舞い、俺との確執なんて何もなかったような顔をした。  子供がアルファなのかベータなのかオメガなのかは、思春期まで育たないと判明しない。  どの性別だったとしても、分け隔てなく育てるのだろう。そんな気がした。  首輪と手錠は子供が生まれたのと同時に処分した。子供に何かを悟られないよう、体裁を整えている自分に苦笑した。  もしかしたら、よき父になれるのかもしれない。  このまま老衰で死ぬまで一生、俺はミカゲと共に生きるのだろう。  ミカゲに対して、昔ほどの危険な衝動は起こらなくなった。年を取ったのか。大人になったのか。  子供に笑顔を向けるミカゲを眺めるのが楽しくなった。  ――もし俺を苦しみに突き落としたかったら、ふたつ方法がある。アルファから一方的につがいを解消すること。アルファがオメガを置き去りにして先に死ぬこと。  生きるのがつらそうなミカゲを眺めるのは好きだったが、それを実行する気にはならなかった。  人として成長したのだろうか。  目が覚めた。  病院のベッドだった。  俺は医療機器に繋がれていた。  視線をあげると、もう中年になってしまった息子がいた。その隣に娘。その隣に次男。みんなもういい年の大人だ。ミカゲから生まれた子はどれもアルファで、みんな立派な仕事に就き、自立して裕福な暮らしをしている。  ミカゲはどこだと視線で探し、もういないのだということを思い出した。  ミカゲが育てた子たちは、みんないい子に育った。俺の遺伝子を受け継いでいるとは思えないほど、いい子に育った。 「母さんが、入院してた時に言ってた言葉を、父さんには内緒にって言われてた言葉を」  長男が口を開いた。どこか切羽詰まった、早く言わないと間に合わなくなってしまうと言いたげな顔で。 「おまえたちが生まれる前、父さんと母さんはいろいろあって、愛し合ったり、憎しみ合ったり、本当にいろいろあったけど、こうして子供たちが生まれて、振り返ってみると、いい人生だったなあって。父さんとつがいになってよかったって」  俺は目を見開いた。  ミカゲがそんなことを言うなんて夢にも思っていなかったから。 「幸せだったって」  それがミカゲの本心なのか、子供たちにそう思っていてほしかっただけなのか、もう確かめる術はない。  それでも。  俺の涙腺は容易く緩み、透明な雫がこぼれ落ちた。  少し起きていただけでも疲れたのか、それとも純粋な睡魔なのか、意識が遠のき始めた。 「父さん!」 「お父さん!」  子供たちの呼ぶ声が聞こえる。まるで子守唄のようだ。  俺はまぶたを閉ざした。意識が沈み、子供たちの声が遠くなる……。 END

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