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Drop.004『 Shaker〈Ⅱ〉』

       “瑠璃(るり)色の贈り物”が、持ち主の手に渡った夜から数日が経ったその日。  雑誌モデルとしての撮影を終えた桔流(きりゅう)は、スタッフ達に挨拶を済ませるなり、撮影所を後にした。 (――昼飯。何食おうかな)  時刻は昼過ぎ。  バーへの出勤もないその日の午後は、文字通りのフリーとなっていた。  そのため、午後はゆっくりとランチでも楽しもう――と思っていた桔流だが、昼時に至っても、己の食欲は未だ具体的な希望を出しそうにない。  そんな様子から、 (何食うか考えながら歩いてれば、ランチのピークも過ぎるだろうし。――店探しがてら、少し散歩するか)  と、判じた桔流は、それからしばし繁華街を散策する事にした。  そんな桔流が、ちょうどとあるビルの前を通過しようとした時。  建物内から、何者かが出て来る気配を感じた。  その大きなビルは、桔流の属す大手芸能事務所――〈Hunters(ハンターズ) Production(プロダクション)〉が一棟分をまるごと所有しているビルだった。  つまり、そのビルから出て来るという事は、桔流の知り合いか、あるいは事務所関係者の可能性が高い。  そのため、桔流はしばし伺うようにして、ビルの入り口を見守った。  そして、ビルから出て来た人物を見るなり、桔流は静かに目を見開いた。 (え……?)  すると、その人物も、驚いた様子で立ち止まっている桔流に気付くと、やや驚いたようにして微かに目を見開いた。  その中、桔流は、困惑を拭えぬまま、その人物に向かって言った。 「――………………花厳(かざり)……さん?」  桔流の通い慣れた事務所のビルから現れたのは、間違いなく、あの“瑠璃色”の忘れ主――鳴海(なるみ)花厳であった。     ― Drop.004『 Shaker〈Ⅱ〉』―     「やあ。桔流君じゃないか。まさか、お店以外で会う事があるなんて思わなかったよ」  桔流を目にし、一時は驚いた様子を見せた花厳だったが、すぐにいつもの人当たりの良い笑顔を作ると、そう言って桔流に歩み寄った。 「俺も、です……」  未だ困惑している桔流を置き去りに、平然と話しかけてくる花厳に対し、桔流は思わず普段の一人称で応じた。 (なんで花厳さんがこのビルから……?)  “モデルなんて凄いね”などと言っておきながら、通い慣れた様子で芸能事務所から出て来るなど、花厳は一体何者なのか。  桔流は、大切な店の常連客に笑顔を返す事すら忘れるほどに困惑していた。  そして、その困惑に背を押されるがまま、桔流はついに花厳の正体に迫る事にした。 「あ、あの、花厳さん……」 「ん? なんだい?」  桔流の言葉に、花厳はにこやかに首を傾げる。  桔流の思惑に気付いている様子など、そこにはない。  桔流は、そんな花厳を真っ直ぐに見据えると、核心に迫るべく、花厳に尋ねた。 「その……、――花厳さんは、今日、“事務所に”用があったんですか?」  すると、その桔流の言葉に瞳を揺らがせ、一瞬だけ目を逸らした花厳は、明らかに動揺した様子でぎこちなく笑った。 「えっと……、“事務所”って?」  その様子に、花厳が何かを誤魔化そうとしているらしい事を察した桔流は、追い打ちをかけた。 「そこ。俺もお世話になってる事務所なんですよ」 「――え……、えぇっ?」  恐らく花厳は、桔流がそのビルを“事務所であるらしいと知っているだけ”と咄嗟に判じ、そのビルの実態を誤魔化そうとしたのだろう。  だが、残念ながら、そのビルにも、事務所にも、桔流は長年と世話になっている。 「――そういえば、俺。モデルって事は言いましたけど、どこの事務所に所属してるか――までは、言ってませんでしたね」  そんな桔流がにこやかに笑むと、花厳はややぎこちない笑顔を浮かべて言った。 「……まさか、桔流君の所属事務所って」  桔流は、それにもにこやかに頷く。 「えぇ。俺が所属してるのは、そこの――“ハンプロ”ですよ」  そして、桔流が所属事務所の愛称を告げると、対する花厳は、ついに白旗を振るようにして溜め息を吐いた。 「な、なるほど……」  ようやっと、今の己が――“芸能関係者である”という事を微塵も誤魔化せない状況にある、という事を悟ったらしい花厳は、今度ははっきりと桔流から目を逸らし、気まずそうに後ろ髪を掻いた。  しかし、花厳がそうして降参しても、桔流のハンター魂は、狩りをやめようとはしなかった。  桔流は、さらに花厳を追い詰めてゆく。 「あの、花厳さん。――花厳さんのお仕事って、何をされてるんですか……」  “瑠璃色”がようやっとこの男のもとに帰った、あの日。  姫とひたすらに考えあぐね、実はAV男優なのではないか――などという、とんでもない仮説まで出てしまうほどに謎めいていた花厳の職業。  その真相が、ついに解き明かせる時がきたのだ。  不躾ではありながら、ここまできて、この謎を解き明かさないわけにはいかない。  そんな思いを胸に、桔流は、目を逸らしたまま思考を巡らせているらしい花厳を見上げ、じっとその瞳を見つめ続けた。  そうして、その場にしばしの沈黙が佇んだ後。  ついに観念したらしい花厳は、ぎこちなく言葉を紡いだ。 「――……ええっと、その……一応……――役者~……っぽい……感じ……かな……」  その言葉を受け、丸みを帯びた両耳をぴんと立てた桔流は、さらに花厳に迫った。 「“役者”? 役者っぽい感じって……。――もしかして、花厳さん。俳優さんなんですか?」  実を云えば、桔流は未だ、十二分に困惑したままではあった。  それゆえ、そんな桔流が、 (――じゃあ、“男優”ってとこは、合ってたのか……)  などと思いながら尋ねると、花厳は照れくさそうに言った。 「――俳優って言われると、なんだか気恥ずかしいけど。うん。――そんな、ところかな」  どうりで顔も体格も良いわけである。  桔流は、花厳のその整いすぎているルックスを改めて一目し、心底腑に落ちたような気分になった。  そして、真相解明により桔流の狩猟熱もようやっと落ち着いたところで、永らくの謎が解けた余韻に浸っていると、一刻でも早く話題を変えておきたかったらしい花厳が言った。 「ところで、桔流君は? 今日は、お買い物かな?」  そんな花厳の言葉で我に返った桔流は、はたとした様子で答える。 「あぁ、いえ。――さっきまで撮影があったので、今はその帰りです」  すると、先ほどまであった桔流の狩人感が消えたためか、少し安心した様子で花厳は言った。 「そうだったんだ。それは、お疲れ様です」  そうして花厳が笑むと、桔流も首を傾げるようにして笑い返し、返礼した。 「ふふ。ありがとうございます。――花厳さんも、お疲れ様です」 「うん。ありがとう」  そして、互いの労いが済み、ようやっとその場の雰囲気が和らぐと、何か思い至ったらしい花厳は、 「そうだ」  と言うなり、桔流に問う。 「――桔流君。この後の予定は?」  桔流はそれに、不思議そうに首を傾げる。 「え? この後ですか? ――この後は、特に何も決まってなくて、1日フリーって感じですね」  そんな桔流に、花厳は、 「そうか」  と言うと、にこやかに問いを重ねた。 「――お昼ご飯は? もう食べたかい?」  桔流は、それに、 「あ、いえ。まだです。――食欲はあるのに、食べたい物が思いつかなくて。――どこにしようか迷ってたんですよね」  と言うと、顎に手を当て、しばし考えるようにした。  そんな桔流に、花厳はまたにこやかに言う。 「なるほど。――じゃあ、桔流君がよければ、これから一緒にランチでもどうかな? 俺も、この後フリーでね。――忘れ物の件で迷惑をかけてしまったお詫びもしたかったし」  桔流はそれに、耳をぴんと立てて問う。 「えっ。ご一緒していいんですか?」  すると、花厳は微笑みながら頷いた。 「もちろん」  昼食処に迷わずに済むという事もあるが、何より桔流は、オフの状態で花厳と話せるという事にわくわくした。  そのため、桔流は、花厳の誘いを喜んで受ける事にした。 「嬉しいです。――じゃあ、ご一緒させてください」  そんな桔流の返答に、花厳はまたひとつ、嬉しそうに頷いた。    事務所前でのやりとりの後。  桔流と花厳は、近場の落ち着いた雰囲気のカフェで昼食を楽しむ事にした。  ランチ時が過ぎたそのカフェの店内は、穏やかな空気で満ちていた。  その中、カフェの店員が、二人の頼んだ料理を運んできた。  店員は、料理名を告げながら、ことり、ことり、と、テーブルに料理を置いてゆく。  そして、二人分の料理を置き終えると、店員は楽しげに言った。 「――お二人とも、お知り合いだったんですね」  そのカフェは、桔流もちょくちょくと利用しているカフェであったのだが、どうやら花厳もそうであったらしい。  さらには、カフェの常連客である二人とその店員が、世間話を交わせるほどの顔馴染みとなっていた点も同じであった。 「実は、彼が働いているバーに、俺がよくお邪魔してて」 「ご贔屓にして頂いてます」  そんな馴染みの店員に、二人揃ってそう言うと、店員は、 「まぁ! そうなんですね」  と、嬉しそうに言った。  そんな店員は、それから二人と少しばかりの雑談を交わすと、愛想のよい一礼をし、テーブルから去って行った。  二人は、その後ろ姿しばし見送ると、次いで互いに向き直り、“いただきます”と手を合わせ、食事に手を付け始めた。  その中、桔流は、逃がさんとばかりに、花厳の俳優業に関する話題を切り出した。 「あの、花厳さん。――俳優って事は、ドラマや映画とかにも出られてるんですか?」  その再びの追及に、花厳はギクリとしたような反応を示した。  しかし、どうあっても逃げられそうにないと判じたのか、今度は無駄な抵抗もなく、気恥ずかしそうにしながら花厳は答えた。 「あぁ、いやいや。――映像系にはそんなに出てないんだ。――どっちかっていうと舞台とか……、教える方が多いかな」 「えっ。講師とかもされてるんですか?」  予想を上回る回答に、桔流はより一層わくわくした。  そんな桔流に照れくさそうにしながら、花厳は続ける。 「うん。――というか、教える方が本職なんだ。――だから、舞台の方は本職の合間に、って感じだね」 「そうだったんですか……」  桔流は、いわゆる――“俳優の道の険しさ”というものを素人ながらに感じていた。  また、その上で、桔流自身は俳優向きではないとも自覚していた。  そのような事もあり、その険しい道を歩んでいる花厳に、桔流は素直な尊敬の念を込めて言った。 「――俳優で、教える側まで勤められるなんて、花厳さんこそ凄いですね……」  すると、花厳は、 「ははは。俺が教えられる事なんて大した事ではないんだけどね。――でも、ありがとう」  と、また照れくさそうに笑った。  そんな花厳に満足そうに微笑み返すと、桔流はその後も、己の好奇心に任せ、花厳の俳優業に関する調査を続けた。  すると、その中、花厳はアクション部門で特に活躍している俳優らしい――という新事実も判明した。  それゆえか、花厳には、アクション演出を含む役どころや作品のオファーがよく来るらしい。  また、総合的な演技指導に加え、アクション関連の技術指導も多く行っているのだそうだ。 (なるほど。――体格がイイ理由はそこにもあったか……)  桔流は、その花厳の話を聞く中、食事を進める花厳の腕をちらと見やる。  その日の気候はまだ穏やかで、花厳も七分袖ほどの装いをしていた。  そのため、ちらと見ただけでも、花厳の腕周りの男らしさは嫌でも感じ取れた。  つまり、花厳がそのような立派な体つきをしているのには、彼の職業のほか、彼の得意分野にもその理由があったという事だ。 (まぁ……このルックスに加えてこのガタイなら、男優業でも全然喰っていけただろうけど……)  そして、散々と聴取を重ねた桔流が、そんな事を考えながら情報狩りに満足し始めた頃。  食後のコーヒーを楽しんでいた花厳が、ふと思い出したようにして言った。 「あぁ、そうだ。桔流君」  不躾な思考を巡らせていた桔流は、その声にハッとして応じる。 「あ、はいっ。――なんでしょうっ」  そんな桔流に、花厳は少し申し訳なさそうにしながら言った。 「改めてだけど。――この間の忘れ物の件。桔流君や法雨さん達にも随分と迷惑をかけてしまったよね。――本当に申し訳ない」  そして、言い終えるなり花厳は、頭を下げた。  それにしばし慌てるようにすると、桔流も頭を下げて言う。 「あぁ、いえいえ! その、こちらこそ融通がきかず、申し訳ありません……」  すると、花厳は、 「いやいや。とんでもない」  と、頭を下げ返してきた桔流を制し、さらに続けた。 「――むしろ、桔流君達は、俺の我儘を聞いてまた預かってくれたじゃないか。――あんな丁寧に包装された、中身が何かも分からない物を、“お金に換えて店の売り上げの足しに”――なんて言われたら、本来なら、困りますと突き返されてもおかしくなかったんだ。――それなのに、桔流君達は預かってくれた。――融通がきかないなんてとんでもないよ。――もちろん、迷惑をかけてしまった事は申し訳なく思っているんだけれど、感謝もしているんだ。――あの時は本当に助かったよ。――ありがとう」  そして、そう言い切ると共に、花厳は眉を下げるようにして苦笑した。  その苦い笑みは、桔流の心をやんわりと締め上げた。  桔流は、胸が詰まるような感覚の中、花厳の言葉に小さく応じた。 「……いえ」  その中、ひとつ思う。 (本当に、もう大丈夫なのか……?)  本当に、あの“瑠璃色”の件は、あの日ですべて解決したのか。  この男は本当に、このまま放っておいて良いのか。  桔流は、考えれば考えるほど焦燥感が湧き上がってくるのを感じた。  そして桔流は、その焦燥感に圧されるまま、無意識に花厳に紡いだ。 「――あの贈り物の事……。――本当に、もう、……大丈夫なんですか」  そして、紡ぎ切ってからハッとして、桔流は謝罪する。 「あ、すみません。余計な事を……」  対する花厳は、気まずそうにする桔流に微笑み、落ち着いた口調で言った。 「いや、大丈夫だよ。ありがとう。――“贈り物の事”、か……。――桔流君。――桔流君は、あの日忘れた“贈り物”の中身、何だか分かった?」  その花厳の問いに、申し訳なさそうにしながらも、桔流は正直に答える。 「えっと、大きさから想像した限りでは、――指輪かな、と」  花厳はそれに、にこりと笑んで頷く。 「うん。大正解。――桔流君の想像通り、あれの中身は指輪。――あれね、本当は、あの日恋人にあげる予定のものだったんだ。――でも、色々あって、渡せなくなっちゃってね」 「“色々”……」  桔流がおずおずと復唱すると、花厳は首を傾げるようにして目を細め、優しく微笑んだ。 「気になる? ――といっても、大した話じゃないんだけど」  そんな花厳の様子に、さらに胸が締まるのを感じながらも、桔流は強く思った。 (聞かないと……)  理由は分からないが、この男をこのまま放ってはおけない。  放っておきたくない。  桔流は、慎重に言葉を選びながら、花厳に言葉を紡ぐ。 「――気に……なります……。――失礼ながら、本音を言うと、あの贈り物を預かっていてほしいと言われたあの日から、理由はずっと気になってて……。――なので、お話し頂けるのなら、聞きたいです」  すると、花厳はまたひとつ微笑んで言った。 「そうか。――じゃあ、つまらない話だけど、少し聞いてくれるかい」 「――はい」  花厳の言葉に、桔流はゆっくり頷いた。  そして、花厳の金色の瞳を真っ直ぐに見た。  花厳は、そうして向けられた透き通るようなエメラルドグリーンの瞳を一目すると、次いで、(きら)めく黒鳶(くろとび)色の水面に視線を落とし、記憶を手繰るようにして、ゆっくりと語り出した。  桔流が、あの“瑠璃色”と出会うきっかけにもなった、とある不器用な恋人達の恋路についてを、ゆっくりと――。           Next → Drop.005『 Shaker〈Ⅲ〉』  

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