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Drop.021『 CocktailGlass〈Ⅰ〉』

       その晩。  桔流(きりゅう)花厳(かざり)が、互いの温もりで、心をたっぷりと満たした頃。  花厳が、言った。     ― Drop.021『 CocktailGlass〈Ⅰ〉』―     「――ごめん。寒かったよね。――このままだと風邪ひかせちゃいそうだから。とりあえず、あがって」  花厳の腕の中、桔流は、それに楽しげに笑むと、言った。 「――ドラマとか舞台みたいに、暗転はしてくれなさそうですもんね」  花厳は笑う。 「ははは。現実は、なかなかね」  そんな花厳にまたひとつ笑うと、桔流は、花厳からそっと身を離し、ブーツに手をかけた。  その後――。  改めて、花厳の家へとあがり、花厳に続き、リビングまでやってきた桔流は、花厳に断ると、コートを脱ぐ。  その間、何か思い出したらしい花厳は、申し訳なさそうに言った。 「――あぁ。そうだ。桔流君」  コートを脱ぎ終え、ソファに荷物を置かせてもらった桔流は、それに首を傾げる。 「はい?」  そんな桔流がふと見れば、花厳は、冷蔵庫の前に居た。  花厳は、その場で続ける。 「――いやね。桔流君が俺の胃袋を掴もうとしてくれたのは嬉しいんだけど。――実は、今の我が家には、一切まともな食材がなくて……」  その花厳の言葉に促され、花厳のそばまでやってきた桔流は、促されるままに冷蔵庫内を覗く。  そして、示された冷蔵庫内を一目見た瞬間。  桔流は、眉間に皺を寄せた。  そんな桔流は、半目がちに言う。 「花厳さんって……酸素が主食だったりします?」  花厳は、苦々しく笑う。 「いやぁ、ははは……。――普段はついデリバリーに頼っちゃって……」  桔流は、それに、無感情に言った。 「アーラオカネモチー」  そんな桔流に、またひとつ苦笑いを返すと、花厳は冷蔵庫を閉じた。  桔流は、何気なく問う。 「――花厳さんって、料理できないわけじゃなかったですよね? ――簡単な調理でも面倒くさいとかですか?」  花厳は、それにひとつ唸り、言う。 「う~ん。そういうわけじゃないんだけど……。――演者としての仕事がある時は、家で時間を使う事も多くてね……。――演技指導の仕事なら、ほぼ現場だけで完結するようなものも多いんだけど」  桔流は、それに納得したようにして言った。 「あ。そっか。――俳優さんとかって、家で台本読んだりするんですもんね」  花厳は頷く。 「そう。――だから、家に帰ってきてからの時間も、できれば仕事にあてたい事が多くてね」 「なるほど……」  それならば、確かに、デリバリーで済ませてしまう方が、都合が良いだろう。 (それなら、基本がデリバリーになるのも、仕方ないか……。――無理に料理しても、疲れちゃうだけだろうしな)  桔流は、花厳の事情を聞き、彼の食事情について改めて納得した。  その中、ふと思い出すと、桔流は花厳に言った。 「――そういえば、次の公演、二月ですもんね」  花厳は、それに微かに眉を上げると、少々照れくさそうに笑んだ。 「――うん。――よく覚えてたね」  桔流はそれに、満足げに笑むと、言った。 「ふふ。まぁ、俺 に と っ て は ――、大切な予定でしたからね」  そんな桔流に、花厳は嬉しそうに言う。 「ははは。そうか。――ありがとう」  桔流は、それにまたひとつ微笑み返すと、言った。 「――でも、――という事は――。今って、ちょうど忙しい時期なんですね」  花厳は、少し考えるようにして紡ぐ。 「まぁ、そうだねぇ……。――でも、今はまだ、忙しいというほどではないかな。――本格的に忙しくなるとしたら、来月頃からだから」  桔流は、そう言うなりにこりと笑った花厳に、微笑み、言う。 「そうなんですね。じゃあ――、応援してますね」  花厳は、それに嬉しそうにすると、桔流の頬を撫でながら言った。 「うん。ありがとう」  そんな花厳に微笑む桔流は、先ほど泣き腫らした目元こそまだ赤らんではいるが、それ以外は、すっかりと普段通りの桔流であった。  花厳は、その事に安堵したところで、はたと思い、言った。 「――あ。ところで」  桔流は、それに首を傾げる。 「?」  花厳は、その桔流にひとつ微笑むと、続けた。 「――そんなわけで、我が家には食材らしい物は無いから、俺は、デリバリーでもいいんだけど。――桔流君には、何か希望はあるかな? ――近くの店ならまだ開いてるし、買い出しくらいはできると思うけど」  そんな花厳の言葉に、桔流は不満そうにした。  そして、半目がちな表情で花厳を見上げると、口を尖らせながら言う。 「花厳さん……。この俺が居るのにデリバリーとか頼む気でいるんですか? ――そんな事したら、俺、また帰っちゃいますよ? ――ここは、買い出し一択ですっ」  すると、花厳は、悪戯に乗じるような様子で、わざとらしく言った。 「え。今夜は帰したくないな……。――よし。買い出しにしよう」  桔流は、それに、半目がちなまま笑うと、言った。 「…………スケベ」  花厳は、楽しげに笑う。 「やだな。――そういう意味じゃないってば」  そんな花厳に、桔流も笑った。 「ふふ。冗談ですよ――それじゃ、行きましょうか」 「うん」  それに、花厳が頷くと、桔流は、ソファからコートを取り上げた。  そして、さっと着込むと、マフラーを巻き、買い出しの準備を整えた。  💎  その後。  花厳と共に、近場の店で買い出しを済ませた桔流は、帰宅するなり、すぐに調理に取り掛かった。  花厳は、色々な事があった後にも関わらず、いつも通りの様子で、楽しそうに料理をする桔流に――、そんな桔流が“ここに居る”という実感に――、改めて安堵し、そして、大きな幸せを感じていた。  その中、少しすると、桔流お手製の料理達が完成した。  それを合図に、買い出しで買ったワインのひとつを開封すると、二人は、久方ぶりのひと時を、存分に満喫した。  そして、それからしばらくした頃。  一通りの食事を終え、ソファに移動した二人は、食後のワインを楽しみながら、深夜の穏やかな時間を過ごしていた。 「――そうだ。花厳さん」  その中、ワインをひと口味わった桔流は、隣に腰かける花厳に言った。 「よく、“指輪のプレゼントと云えば”――の定番ネタって、いくつかあるじゃないですか」 「うん」  花厳は、穏やかに頷く。  桔流は、そんな花厳の反応を伺うようにしながら、続ける。 「――その中には、“いざ、その指輪をはめようとしたら、指のサイズと合わなくてぶかぶかだった、入らなかった”――みたいなのも、ありますよね」  対する花厳は、それにも、変わらず穏やかに応じた。 「あるね」  桔流は、今度、それに悪戯っぽい表情を浮かべると、さらに言った。 「“その事”に関して、花厳さんは、――自信、ありますか?」  すると、それにも表情ひとつ変えることなく穏やかに笑んだ花厳は、頷いた。 「うん。――あるよ」  そんな、予想と異なる花厳の反応に、桔流はしばし目を丸くした。  そして、すぐにその瞳を好奇心に煌めかせると、わくわくとした様子で問うた。 「ほんとですか?」  花厳は、それにもにこやかに応じる。 「ほんと」  その余裕っぷりに、桔流は、 「凄い……。――自信満々じゃないですか」  と、より一層とわくわくした様子で身を乗り出すと、ソファ近くに置いていた手荷物の中から手早くリングケースを取り出すなり、ソファにそっと置いた。  そして、そのままやんわりと左手を差し出すと、桔流は言った。 「じゃあ、はい。――どうぞ」  すると、そんな桔流に、花厳はきょとんとする。 「え?」  それに、桔流も不思議そうに言った。 「――“え”って、――自信、あるんですよね? ――なら、ほら。証明してもらわないと」  花厳は、やや驚いた様子で、その桔流の瞳を見つめ返し、問う。 「えっと……。もしかして――、指輪、してくれるの?」  すると、桔流は首を傾げるようにして、にこりと笑んだ。 「ふふ。もちろんですよ。――指輪は、するためにあるんですから」  そんな桔流に、花厳は嬉しそうに言う。 「ははは。そうだね。――でも、そう言ってもらえて嬉しいよ」  そして、桔流に渡された化粧箱から、シルバーリングを丁寧に取り出すと、 「――じゃあ、失礼して……」  と、言い、桔流の手を優しく取り、リングをはめた。  桔流は、そのリングを見つめ、小さく歓声をあげる。 「わぁ……」  そんな桔流の瞳は、美しいリングを映しながら、感動に煌めいていた。 「ほんとにぴったり……。――凄い……」 「ふふ」  花厳は、それに満足そうに笑う。  花厳の自信通り、リングのサイズ感は完璧であった。  そのあまりの完璧さに、桔流はしばらくその瞳を煌めかせ続けた。  しかし、その中、はたと気付くと、桔流は、再び悪戯っぽい笑みを浮かべ、花厳を見た。 「ねぇ。花厳さん?」  そんな桔流の思惑に気付かず、花厳は穏やかに応じる。 「なんだい?」  桔流は、その様子に一層によによとしながら、本題を紡いだ。 「指輪が、俺の指にぴったりはまって凄~く満足そうですけど……」 「?」 「この指輪が、――“この指”のサイズにぴったり合ってるって事は、この指輪、――わざわざ“この指”のサイズに合わせて作ったって事ですよね?」  花厳は、そこでようやっと桔流の意図を悟り、ハッとした様子で言った。 「えっ……あ……。 ――あー……、ははは……その……、――…………つい」  そして、花厳が苦笑すると、薬指のリングをひとつ撫で、桔流は言った。 「“つい”? ――“つい”、なんですか?」 「え?」  桔流の言葉に、花厳はまた、桔流の瞳を見つめ返す。  桔流は、微笑みながら、伺うようにして続けた。 「“そのつもりで”――、じゃなくて?」  花厳は、それにひとつ間を置くと、しばし真剣な面持ちで言った。 「――…………。――“そのつもりで”、でも、――いいの?」  桔流は、そんな花厳に、目を細めて笑み、言った。 「花厳さんが本気なら、――“いい”ですよ」  花厳は、さらに問う。 「本当に?」  桔流は、にこりと頷く。 「――はい」  そして、首を傾げると、続けた問うた。 「――でも、花厳さんは、――それで、後悔しないですか?」  それに、花厳は、はっきりと言った。 「もちろん。――後悔なんて、するわけがない」  すると、それにくすぐったそうに笑った桔流は、次いで、しばし上目遣いに問う。 「じゃあ……。――浮気も、しないですか?」  そんな桔流に、穏やかに笑んだ花厳は、それにもはっきりと言った。 「しないよ。――こんな素敵な恋人が居るんだから。――浮気なんて、頑張ってもできないよ」  桔流は、それにまたくすぐったそうにすると、 「ふふ。――だといいですけど」  と言い、幸せそうに笑った。  そんな桔流が、またひとつ、嬉しそうにリングを撫でると、今度は花厳が言った。 「桔流君は?」  それに、桔流は首を傾げながら言った。 「俺? ――浮気ですか?」  花厳は、眉根を寄せて笑う。 「ははは。――違う、違う。――そこはまったく心配してないよ」  そんな花厳は、すっと桔流の頬に手を添えると、しばし赤らんだ頬を撫でながら続けた。 「桔流君は――、俺で、後悔しないの?」  桔流は、それに微かに目を見開くと、微笑み、言った。 「もちろん。――しないですよ。――“後悔なんて、するわけがない”、です」  花厳は、そうして、少しばかり前に自身が紡いだ言葉を重ねた桔流に、額を寄せると、さらに問うた。 「本当に?」  問われた桔流は、直接触れ合わずとも花厳の体温を感じるほどの距離で、花厳を見つめ返し、ひとつ瞬くと、言った。 「はい……」  花厳は、それにひとつ笑みをこぼすと、絡めた視線をほどき、桔流の唇にやんわりと口付けた。  そして、唇を微かに触れ合わせながら、紡ぐ。 「良かった。――幸せにするよ」  花厳の腕の中、桔流は笑みをこぼす。 「ふふ。――俺、今でも十分すぎるほど幸せなんですけど……。――もっと上があるんですか?」  花厳は、そんな桔流の頬をまたひとつ撫で、言う。 「もちろん。あるよ。――楽しみにしてて」  それに、桔流は幸せそうに笑う。 「――ふふ。はい……」  その桔流に、またひとつ笑むと、花厳は言った。 「そうだ。それと。――今回は一応、普段の贈り物のひとつとして買ったものだったから。――今度、“そのつもりの贈り物”も、ちゃんと用意したいんだけど……。――いいかな? ――逃げるなら、今のうちだけど」  桔流は、それにも嬉しそうに笑う。 「ふふ。“逃げるか、逃げないか”。――選ぶまでもない選択肢ですね……」  そんな桔流に、花厳は悪戯っぽく問う。 「そう? ――じゃあ、俺が先に選んでもいい?」  桔流は、不思議そうにする。 「え? 花厳さんが選ぶんですか?」  花厳は頷く。 「うん。――実は、今の俺の前には、ちょっと特殊な選択肢があってね」  桔流は、それに、首を傾げる。 「“特殊な”……? ――どんな選択肢ですか?」  花厳は、そんな桔流を不意に抱き締めると、耳元で言った。 「――逃がさない」  その花厳の声で、桔流は、身体が熱くなるのを感じた。 「もう、ずるいんですから……。――でも、そうしてほしいです。――俺の事。もう二度と、離さないでください」  花厳は、そんな桔流をさらに抱き締めると、言った。 「任せて」  その花厳に、桔流も身を寄せるようにする。 「嬉しいです……」  そして、身を寄せてきた桔流を存分に抱き締めた花厳は、ふとその身を離すと、次いで、桔流に口付けた。  それから、二人は、しばらくの間。  幾度も食み合い、互いの感触を確かめ合うようにして、ゆったりと口付け合った。           Next → Drop.022『 CocktailGlass〈Ⅱ〉』―  

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