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第1話「あーん」
「え?」
「いや、だから。ほら、口開けろ」
「う、嘘でしょう」
風邪をひいたので今日は寝室を別にしますと昨夜伝えた。そして「ああ」と定番の返事が昨夜は返ってきた。土曜日一日寝て過ごせば大丈夫、そう思って眠りについた。目が覚めて思いのほかすっきりとしていたから、良かったと思ったばかりだった。
……なのに、今置かれているこの状況はなんだろう。
「桜井、俺の言う事が聞こえなかったか?そんなに具合が悪いのか?口を開けろと、言っているんだ」
「えっと……熱があるだけですから、普通に寝ていれば治ります」
「あ゛?お前が飯を食わないとか言いだすからだろ」
目の前には匙に乗せられた粥。
普段なら決してやらないであろう羽山さんの予想外の行動に妙に興奮してしまう。看病してくれていると言うより、怒ったような顔をして目の前に座っているのだがそれでも嬉しい。
「じゃあ、いただきます。あーん」
「はあ?自分で匙を持て」
そうですよね、羽山さんがそこまでデレるわけがない。勘違いしていたと恥ずかしくなる。
「あ、はぃ……すみません」
手を伸ばして匙を受け取ろうとした時に、その匙がぐいと口へと押し込まれた。
「ごふっ、へ?は、羽山さん?」
「食わしてやるよ、今回だけな」
男らしい盛りの匙いっぱいの粥、その熱が口の中に広がった。
「あつっ……、冷ましてもらえると……」
ごつと頭を盆で小突かれた。
「すみません、少し嬉しくて調子に乗りました」
「いや、まあ。うん、冷まして来ればよかったな」
ふーっと息を匙に乗った粥に吹きかけた羽山さんを真剣に見つめた。嬉しくて舞い上がるとはこのことだ、羽山さんが看病をしてくれているのだ。じっとその姿を見つめていると、羽山さんの顔も照れているのか赤くなっている。
「あの?どうかしました?」
「何を見ているんだ」
「え、あの。嬉しくて、愛されているなと実感していたところです」
「馬鹿かお前は……」
そう言いながら、匙をこちらに向けた羽山さんの顔は、上気している。瞳の揺れがまるで誘っているかの様だ、熱いその視線……。
「あの、ちょっとすみません。私の勘違いなら良いのですが」
羽山さんをぐいと引き寄せるとその首筋に手を触れた。ああ、やっぱりこの人はもう。
「熱あるの羽山さんの方ですよ!私はもう大丈夫ですから、寝ていてください!」
風邪をうつさないように気を付けていたはずなのに。
「はい、こっちへ来てください」
「そうか、昨日から怠かったのはそのせいか」
どうしてこの人は自分のことになるとこんなにも無頓着なんだろう。
「後で、お粥作り直して食べさせてあげますから、取り敢えず薬飲んで寝てください!」
看病してもらいたかったなと思う反面、後で匙に乗せた粥を口まで運んでやろうと、ついにやけてしまった。
【完】
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