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白百合の章12

「大丈夫かな……あの二人」  白百合と詠が屋敷を出ていくと、織はすっかり二人のことを心配するばかりで、何にも手がつかなくなってしまった。織は吾亦紅に実際に襲われてしまっているため、彼の恐ろしさを十分に理解している。あの二人が吾亦紅に……と考えると、恐ろしくて仕方ないのだ。  外に出ることもできず、ただ部屋の中で二人を心配することしかできない。精神が臥せってしまうのはほぼ必然の状況であった。織は窓から外を眺めながら、ぼーっと瞳に影を落としてゆく。 「……吾亦紅ってやつは、おまえの中にある咲耶の魂に恨みを持っているんだって?」 「……そうみたいだけど……」 「……いつまで、織は咲耶って言われ続けるんだ? 吾亦紅みたいに、かざぐるまを持っていない奴にも言われるんだとしたら、これからさき、またこういうことに巻き込まれる可能性がある。根本的に、何かがおかしいんだよ」 「白百合さまは、咲耶さんの呪いは俺じゃなくて妖怪たちにかけられているって言っていた。俺のなかにある咲耶さんの魂に反応するように、妖怪たちがかけられているって。そういった妖怪が傍にいると、俺のなかにある咲耶さんの魂が共鳴してしまって、俺自身にも呪いがかかっているような錯覚に陥る……みたいだけど」 「織の近くにかざぐるまを持った妖怪がいると、織にも呪いがかかる――って感じか。厳密には違うけど。つまり、近くにそういった妖怪がいなければ、織は呪いから解放されて……織は完全に咲耶ではなくなる、って考えてもいいな」 「その妖怪がわからないから困っているんだけどね……」  織ははーっと暗いためいきをつきながら、織を慰めるように隣に立つ鈴懸を見上げた。  鈴懸は――一番、自分のそばにいる妖怪。そうだ、鈴懸が……もしかしたら。 「……鈴懸って、かざぐるま持ってない、よね?」  鈴懸は、そばにいるかざぐるまを持っていそうな妖怪――という条件に、一番当てはまる。咲耶のかざぐるまを持っている妖怪および神といえば、雄であろう。そして、織のそばにいる。そうなると――鈴懸が、一番その可能性がある。  鈴懸が織に隠し事をするということはないだろうが、あまりにも不安に苛まれていた織は、つい鈴懸に問いかけてしまった。  鈴懸の反応は――織の、思っていたとおりのものだった。 「――俺が? 持ってるわけないだろ」  鈴懸は「ありえない」とでも言いたげに、眉を潜めている。恋人である鈴懸に対して失礼な質問をしてしまったと、織はすぐに謝ろうとした。  しかし、鈴懸は憤っているというわけではないらしい。 「……って言っても、俺も長い間眠っていたわけだから……結構昔の記憶は飛んでいる。もしかしたら忘れているだけで、持っているのかもしれない……」  鈴懸は、自身がかざぐるまを持っているのかいないのか、その確証が持てないでいるのだ。地獄の使いが代替わりしたこともわからないほどずっと眠っていた鈴懸は、自分の記憶に自信が持てないでいるらしい。 「いや、でもかざぐるまを持っていたら、咲耶に執心しちゃうんでしょ?」 「なんで聞いておいて否定するんだよ」 「いや……鈴懸には持っていてほしくないっていうか……たとえ昔の話でも、誰かに執心していたとか、いやだなあって……」 「おっ、嫉妬か?」  急に鈴懸がかざぐるまを持っているという可能性が生まれはじめ、織はわずかながらもやもやとしたなんともいえない不快感に見舞われた。  今まで、自分を襲ってきた妖怪たちを振り返る。咲耶に強烈な恋心を抱き、激しい劣情を燃やし……鈴懸も、そんな風に咲耶を愛していたのだとしたら……ものすごく嫌だ、と織は思ってしまった。幼い考えであると自分でわかっている織は、一人で落ち込んでしまってうなだれてしまう。 「大丈夫だって、織。俺は、織以外のことしか考えていないし、たとえ呪いが俺に降りかかったとしても、 おまえだけを愛しているよ」 「……ごめんなさい、変なこと言って」 「いや。嫉妬してくれたのが、結構嬉しい」  鈴懸はにこっと笑うと、織の頬をつんつんとつついて見せた。織はそんな鈴懸を困ったように眉をへの字に曲げて見つめながら、やがて……氷がとけるように、目を細める。  鈴懸が織の頬を撫でると、織は何も言わずに目を閉じた。そして、お互い、合図もなく――静かに、唇を、重ねる。

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