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戯の章12

「――いまので、おまえの想いは鎮まったのか」  ぐったりとしてしまった織の体を抱きながら、鈴懸は戯に問う。織と交わり、目的を達成したらしい戯は鈴懸の体から出て、元の姿となって二人の前に現界していた。鈴懸に問われれば、戯は満足気にうなずいて、織へ手をのばす。 「ああ――ずっと、もやもやとしていたものが消えたような気がする」 「……咲耶本人を抱いたわけじゃないのに? 正直理解できないな」  織を撫でる戯の指先を冷ややかに見つめながら、鈴懸は吐き出すように言った。  だって、この交わりのどこに心の繋がりがあったというのだろう。織は、咲耶の亡霊に憑依されたというわけでもなく織として抱かれていたのだから、咲耶への想いを鎮めたいという戯の望みなんて、叶えられるとも思えない。虚しいだけにしか思えなかった行為に、鈴懸は蔑みすらも感じていた。  しかし、戯の表情は穏やかだ。鈴懸の言葉に反論する様子もなく、優しい瞳で織を見つめている。 「だって同じじゃないか。匂いも、魂の姿さえも、なにより――この青年自体が、咲耶に似すぎている」 「……顔が?」 「いや――さみしがりやすぎて、自分を抱く相手を必死に求めている姿が」  戯の、答え。それを聞いた瞬間、鈴懸の心臓がどくりと高鳴る。  さみしがりや――?   行為の最中の織の様子に――戯の言葉が思い当たった。織はあのような行為に慣れてなんていないはずなのに、触れられることを心から歓んでいた。求められると、嬉しそうにしていた。なによりの決定打が――織の名を呼んだ瞬間に、挿入時の苦悶の表情が和らいだこと。「咲耶」と他人の名前を呼ばれても反応しなかった心が、「織」と自分の名を呼ばれたことで反応したのである。  数々の心当たりに、鈴懸はため息をついた。たしかに……「あの夢」のなかで、織は「もっとみんなと仲良くなりたい」などと言っていたが……これが、彼の本性だったとは。ツンケンとした態度の下に隠れていたのは、極度のさみしがりやの柔らかい心。……ただ、突然それが表にでてきた原因は、説明がつかないのだが。 「……くだらね。おまえはこういうさみしがりやが好きなわけ?」 「ああ――愛おしい」 「……俺は嫌いだね、見てて苛々する。特に、こいつみたいなのはな。大っ嫌いだ」 「よく言う、こいつを抱いているとき、おまえも興奮していたじゃないか」 「――う、るせえ! ソレと性欲は別だ!」  ああ、なんだこれは。  いらいら、いらいら。  さみしがりや――織の中身がそんなものだと知った瞬間に、鈴懸は無性に苛々としてしまった。なぜここまで苛々とするのか鈴懸自身もよくわからなかったのだが、そうして苛々としているわりに鈴懸は織のことを放っておけなかった。今、腕のなかでぐったりとしている織を、手放せなかった。このまま、優しく抱きしめてあげたいなんて思ってしまっていた。それを戯に指摘されてしまったから、鈴懸は更に機嫌を損ねてしまう。 「大体――さみしいなんて言って、こいつは自分で他人を突っぱねてるんじゃねーか。そんなやつがさみしがりや? 笑わせんな。俺がこいつを抱いて興奮したって? 当たり前だろ、嫌いなやつだろうがなんだろうが、ヤってる最中は誰だって興奮すんだよ、俺はこいつがムカつく、嫌いだ」  自分でも理由のわからない苛立ち、それから劣情。それをすぐには受け入れられなくて、鈴懸はそんな自分を守るようにして言葉を連ねた。たった一人の人間にこんなにムキになるなんておかしいと自分自身思っているのに、やたら饒舌に必死に織を否定する言葉を吐いてしまう自分に、さらに腹が立つ。  周りが見えなくなるくらいに、勢いにまかせて言葉を吐き出した、その時。鈴懸の腕の中で、織が身じろぐ。 「ん……」  寒そうにぶるっと肩を震わせて、織がぱちりと目を覚ました。もそりと鈴懸に擦り寄りながら、ぼんやりとした目で戯を見上げる。 「……、あっ」  しばらく眠そうに瞼をこすっていたが、意識がはっきりとしたのかしっかりと戯を見定めた。そして、ぎょっとしたような顔をして、乱れた着物を直し始める。それはまるで自分の過ちに焦るように。しかも、慌てて鈴懸から飛び退いて逃げて、部屋の端っこのほうにうずくまってしまったから――鈴懸は首をかしげてしまった。今更どうした、と。 「まっ……満足、できたのか、戯……!」 「ああ、だいぶ満足した」 「じゃ、じゃあ……もう、村の人間を襲ったりは……」 「しない」 「本当に……いいんだな……!」  織は、かなり慌てていた。先ほどまでの様子とはまるで違う。性に対してあからさまに恥じらいを覚えているようで、いつもの彼に戻ったように見える。 「……」  やはり、なにかあるのだろうか。この小屋に来たときから様子のおかしかった織が、戯の想いを鎮めると正常に戻った。戯の想いが織に何かしらの影響を及ぼしていたのか、それとも――…… 「咲耶の面影を追いかけたくてたまらない衝動が収まったような気がする。今までは、咲耶がまだこの世のどこかにいるような気がしたんだ。でも――もう、それを感じない。なんでだろうな、不思議なもんだ」 「――咲耶、」 ――織をおかしくしたのは、咲耶か。  戯の言葉にそれを思った鈴懸は、慌てて小屋の外に出る。小屋の外には、風に逆らって廻るかざぐるまが刺さっていた。しかし、今――かざぐるまは風の流れにそって、普通に廻っている。……そうだ、白百合が言っていた。かざぐるまが風に逆らって廻るのは、咲耶の強烈な念が渦巻いているからだと。織は、その咲耶の念とやらにあてられたのではないか。そして、咲耶の生まれ変わりであるという織が戯と交わったことによって咲耶の想いは浄化され、かざぐるまは普通のかざぐるまに還り、織も元に戻ったのではないか。  戯が織を抱いたことによって彼の想いが浄化されたのではない、織が戯に抱かれたことによって咲耶の想いが浄化され、その結果戯の咲耶への執着が消えた。  戯が咲耶の面影を感じていたと言っているのも、咲耶の念がこの地に渦巻いていたからであろう。それが消えた今、戯の後ろについてまわる咲耶の影はなくなって、戯の想いも鎮まった。 「――咲耶という女は、どんな女だった」  虚しい想いを駆り立てる、咲耶という女。竜神である鈴懸でさえも、咲耶に畏怖を抱き始めていた。この世にいる者に強い影響を与える、すでに黄泉へ旅立った咲耶。どれほどに強烈な念をこの世に残せば、ここまでの「呪い」になるのか――、恐ろしく思う。 「……可哀想な女だった。しかし――愛しい女だった」  小屋の中に戻り、鈴懸は隅っこで丸くなっている織を眺める。意地っ張りな表情と不釣り合いな、細く頼りない体。可哀想で愛しいらしい咲耶の代わりにはきっとふさわしい。おぞましさすらも感じる咲耶の念に冷ややかな思いを抱きながらも、鈴懸は静かに言う。 「……そうか、おまえはそんな咲耶を、愛していたんだな」 「ああ――愛していた」  可哀想な女。人間から愛されず哀しい想いをした咲耶は、妖怪に愛されて幸せだったのだろうか。彼女の人生は、あまりにも虚しい。本当は幸せなんかじゃなかったからこそ、このような事態が起こってしまったのだろう。  いつまで、こんな虚しいことをしなくてはいけないのか――鈴懸はため息をつく。これ以上、こんなことに付き合わされたくない。織と一緒にいたくない。この儀式によって妖怪は救われるだろうが――このままだと織は壊れてしまう。そんな織を、見ていたくない。 「でも……咲耶は、もういない」  咲耶に関わった者たちは、皆、痛々しい想いを抱いてこれからを生きていくのだろうか。自分は、そんなことに関わりたくない。仮初の愛に溺れて心にひびをいれていくくらいなら、はじめからそんなものいらない。  鈴懸は足腰が立たなくなってしまった織を抱きかかえると、そのまま小屋を出て行っていしまった。  最後に、風をうけてくるくると廻るかざぐるまを、一瞥して。

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