57 / 155

第57話 待ちぼうけ *「その恋の向こう側」番外編

 都倉和樹が川島綾乃とついにつきあいだした、という噂は瞬く間に広がった。 他の人間のことだったら気にも留めない涼矢だったが、さすがに今回はそういうわけには行かなかった。  入学式の日に一目惚れしてから2年半も片想いしている。けれど、決して手の届かない相手。  綾乃はミスS高と讃えられる美人だし、絵に描いたような理想的なカップルだが、2人が肩を並べて歩く姿を見るだけでも、胸が締め付けられる涼矢だった。 「あっ、涼矢。」綾乃にそんな風に馴れ馴れしく呼ばれたくはなかった。だが、和樹の好きな人だと思えば、無視したり文句を言ったりすることもできなかった。「ねえ、カズくん見なかった? 吉田先生に手伝い頼まれてるのに、全然来ないの。部活行っちゃったのかな。」 「さあ。見てない。部活は今日ないし。」涼矢は素っ気なく答えた。だが、これが精一杯だ。 「もし見かけたら、すぐ図書室に来るように伝えてくれる?」 「ああ。」  綾乃は踵を返し、その場から立ち去った。くるりと回転した時に見えたうなじが白く瑞々しい。自分には絶対にありえない美しさだ、と涼矢は思う。  涼矢は和樹の居場所を知っていた。水泳部の男子更衣室か、あるいはもうプールにいるかもしれない。綾乃に会う少し前、そちらに向かうところを見かけたのだ。きっと吉田先生からの頼まれごとなどすっかり忘れているのだろう。だから、「見てない」という答えは嘘だった。だが、「部活はない」という答えのほうには嘘はなかった。今日は自主練習日であって、部活動の日ではない。  涼矢も更衣室に向かった。ドアを開けると、和樹が着替え終わったところだった。  ドアの音に和樹が振り返った。「田崎か。おまえも練習?」 「ああ。」 「そっか。じゃ、お先に。」出て行こうとする和樹を、涼矢は呼び止めた。 「あ、あのさ。」 「何?」 「先月の部費、まだなんだけど。」 「あれ、そうだっけ。悪い、忘れてたわ。」 「今月分と一緒で大丈夫。」そして、今月分は月末までに支払えばよく、今はまだ月初だから、実のところ、今から催促する必要はなかった。 「了解。」また出て行こうとする和樹を再び涼矢は呼び止める。「今度は何?」 「俺のタオル、なくしたみたいなんだけど、間違えておまえんとこに入ってない?」 「ないと思うけど、まぁ一応見るか。」和樹は戻ってきて、ロッカーの中やバッグの中まで探る。「なさそうだな。俺の予備、貸してやろうか?」 「あ、いい、平気。俺も予備あると思うし。探させて悪かったな。」 「いや、別に。」和樹はロッカーの扉を閉めた。「ほいじゃ、もういいよな。」 「……ああ。」さすがにもう一度適当な別件をでっちあげて引き留めるわけには行かなかった。「そうだ、さっき川島さんが探してたみたいだけど。なんか、図書室がどうのって。」 「あっ!忘れてた。」和樹は慌てて水着の上からジャージを着こんだ。「ヨッシーに手伝い頼まれてたんだ。図書委員の。」 「そっか。大変だな。」 「サンキュ、濡れる前で良かったよ。」和樹は今後こそ慌ただしく更衣室を出て行った。  ささやかな邪魔。可能な限りの足止め。綾乃は今頃待ちぼうけを食らっているだろう。和樹と綾乃のことは先生にまで知れ渡っているから、吉田先生に「きみの彼氏は随分とルーズですね」などと皮肉のひとつも言われているかもしれない。それを想像すると、いい気味だ、と思わなくもない。  けれど、間もなくお待ちかねの王子様登場だ。 ――涼矢は思う。  それならば、ほんの20分30分の待ちぼうけなど、どうでもいいじゃないか。俺だったら何時間でも。何日でも待つ。いつか和樹が「お待たせ」って俺の前に姿を現してくれるなら、いくらでも待つ。  でも結局、俺はもう、2年半も待ちぼうけを食らってる。和樹が「お待たせ」なんて言う日が来るはずもないのに。 --------------------------------- #うちの子版深夜の60分一本勝負 #本編「その恋の向こう側」→https://fujossy.jp/books/1557

ともだちにシェアしよう!