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Topazos
なんとなくで選んだ部活には、かけがえのない出逢いが待っていた。
「……藤澤先輩!」
「? あぁ、岡嶋」
走って行ったグラウンドの端。転がっていたボールを拾い上げていた藤澤先輩が、こっちを見て笑う。
「どしたの、なんかあった?」
「手伝います!」
「……あぁ、……ありがと」
驚いた顔で目を丸くした後に、はにかんで笑う。この顔が見たくて、入部してから2ヶ月の間に何度もあちこちに走っていっては、藤澤先輩の手伝いをした。
先輩なんだから後輩に取ってこいって一言言えばいいだけなのに、藤澤先輩は絶対に後輩に命令したり偉そうにしたりしなかった。
率先して片付けする姿は、後輩 からは眩しく見えたし、他の先輩達には少し鬱陶しく見えるのか、藤澤先輩が他の先輩達と雑談したりする様子はあんまり見たことがない。
「あの、藤澤先輩」
「……何?」
「あの、こういうの……オレ達に言ってくれたらいいんですよ?」
「ん……」
そだね、とそっと笑った藤澤先輩が困ったみたいに頬を掻く。
「……岡嶋もさ、……いいよ、こんなの。オレが勝手にやってるだけなんだしさ」
「……でも……」
「オレのこと手伝ったって、ウザがられるだけでしょ」
淋しそうに笑った藤澤先輩は、そっとグラウンドの中心に目をやる。その視線につられるみたいに目を向けたら、練習を終えたチームメイト達が部室に引き上げていくのが見えた。
見つめる藤澤先輩の目が、ほんの少し淋しそうに見えるのは気のせいだろうか。
「…………藤澤先輩は……」
「ん?」
「ウザがられるって分かってんのに、なんでこんなことしてるんですか?」
「……ズバッと聞くね……」
「っ、すみません」
困った顔がまた笑って、藤澤先輩の手の中にあったボールが弾む。
「なんだろ……分かんないけど。気になるじゃん、こういうの。ボールがころんて落ちてるとさ……なんか、淋しくならない?」
「淋しい?」
「置いてかれてるみたいじゃない?」
「……ボールが?」
キョトンと聞けば、サッと頬を赤くした藤澤先輩は、忘れて、と呟いてオレに背を向けた。
「…………----先輩」
「なに」
「オレ、そういうの、好きかもです」
「は?」
「そういう、……考え方っていうか、なんていうか……。……好きかもです」
「…………そう」
振り向かなかった藤澤先輩の正面に走り込んで、耳まで真っ赤にした藤澤先輩を真っ直ぐ見つめる。
「だから、……手伝っていいですよね」
「……好きにしなよ」
視線を逸らした藤澤先輩がもごもご口の中で呟くのが----可愛い気がして。
「藤澤先輩」
「…………それ」
「?」
「いいよ、別に。長いでしょ」
「何が?」
「その……藤澤先輩ってやつ」
「ぇ?」
「司でいい」
「いや、それはさすがに……」
「いいよ」
呼んでみ、と先輩のいたずらっ子みたいな目が笑う。
「…………司、先輩」
「先輩いらない」
「いりますって!」
「んもー、律儀だな」
「律儀とかの話じゃないと思いますけど!?」
「なんかさ、先輩とかさ、なんかこう……もぞもぞしない?」
「もぞもぞ?」
「なんか、こそばゆい」
「……先輩って言われるのが嫌なんですか?」
「うん」
こっくり頷く姿は、小さな子供みたいでやっぱり可愛くて----
「…………司、くん」
「……んー……ま、いっか」
「さすがに呼び捨ては無理ですからね!?」
納得していない顔も、小さな子供みたいだ。
男だし、オレより2個も年上だし。なのに可愛いなんてズルい。
淋しそうな顔してみんなを見てたり、置いてかれてるボールを優しい顔して拾ったり。
(ずるいよ、こんなの……)
そこらの女子より可愛いなんて、ホントにズルい。
「敬語もいらない」
「いらなくない!」
「んもー、頑固だなぁ」
「むしろ司くんが頑固だよね!?」
「んもー」
きゅっと上がる口角。綺麗な形の眉が柔らかく弧を描いて、眉尻が優しく下がる。いたずらっ子みたいにキラキラ輝いていた目が、嬉しそうに細められる。
ドキドキする、こんなの。
ポンポンとボールを優しく撫でた手のひらを見るでもなく見つめながら、ボールと代わりたいなんて思う日が来るとは思わなかった。
「もっと……」
「ん?」
「早く出会いたかったな……」
「何?」
「司くんと」
「…………何言ってんの」
「もう卒業しちゃうじゃん……」
「ばーか。まだ半年以上残ってるよ」
わし、と。
いきなり伸びてきた手のひらが、一瞬だけ頭を撫でて離れていく。
「勝手にしんみりすんな」
笑った顔はやっぱり綺麗にキラキラしていて、故意 に撃ち抜かれた気がした。
*****
男が男に恋するなんておかしいし気持ち悪い。----頭の中では、冷静な自分がそんな風に嘲笑する。
なのに、好きな気持ちは冷静な声を無視して昂っていく。
楽しそうに笑う顔。ふざけて怒ったフリして膨らむ頬。優しい瞳はいつも柔らかい曲線を描いてオレを温かく包んでくれる。
誰かを傷つける言葉を絶対に紡がない唇は、哀しそうに引き結ばれたり淋しそうに笑ったりしながら、オレにだけは無邪気に笑ってくれた。
----こんなの、好きになるなっていう方が難しいに決まってる。
溜め息は誰にも聞き咎められないように吐いたはずなのに。
「晃太、なんかあったの?」
「ぇ?」
いつものように二人きりで片付けをし終えた体育倉庫で、司くんが心配そうな目をオレに向けてくれる。
開いたドアから差し込む夕日は、司くんの優しい目元を更に優しく彩るから----困った。
「……なんで?」
「溜め息吐いてた、さっき」
「……なんで気付くかなぁ……」
「? 何?」
小さくぼやいた声に首を傾げる可愛さ。
キョトンとした目は、相変わらずオレンジに彩られて優しい。
溜め息をついていたのはミーティング中だった。周りにはたくさん人がいたのに、司くんだけが気付いて声をかけてくれた。----これで好きになるな、なんて酷い。
「…………なんでもないよ」
「ホントに?」
「ホントに」
じっと至近距離で見つめられながら、どぎまぎしてるのは自分だけなんだろうなと思ったら、もう1つ溜め息が零れそうになったけどグッと我慢だ。
「…………ならいいけど」
ふぃっと逸れた視線にホッとしながら、だけど黙々と片付けを再開する司くんの雰囲気がいつもと違うような気がしておろおろする。
「……司くん?」
「……何」
「……なんか、怒ってる?」
「別に」
「……あの、司くん?」
「何」
いつもの優しい声とは違う、不貞腐れたような声が返ってきて困惑するしかない。
「司くん……?」
「どうせ! オレなんか頼りにならないと思ってんだろ」
「……ぇ? 何言って……?」
「なんかあるならちゃんと言ってよ。……そりゃオレなんて別に頭いい訳でもないし、ハブられたりしてるし。頼りないとこしか見せてないけどさ。……大事な後輩の話くらい、ちゃんと聞けるよ」
「司くん……」
むすっとした唇。なのに見たことがないほどに哀しそうで悔しそうに沈む瞳。
----あぁだから。そんな顔されたら好きになるってば。
なんでそんなに無防備なの。おあつらえ向きに誰もいない体育倉庫でそんな顔。安いAVじゃないんだから。
悶々と自分自身と闘いながら、半泣きの表情で俯く司くんを見つめる。
だって男同士なんだよ。ソンナコトが起きるなんて思わないから無防備でいられるんじゃないか。男同士なんだから、ソンナコト起きるはずがないんだよ。
いつもの冷静な声に諌められながら、胸に溜まった息を少しずつ吐き出す。
「…………頼りにならないとか、思ってないよ」
「……」
「……ハブられてる訳ないじゃん」
司くんが知らないだけだ。オレだって最初の頃は鬱陶しがられてるのかと思ってたけど、そうじゃないんだって最近気が付いた。
先輩達は、司くんがボールを拾いに行く背中を、手伝った方がいいのか手伝わない方がいいのかとオロオロそわそわしながら見つめてるし。後輩達はみんな、そんな背中を眩しく仰ぎ見ながら、だけど先輩が誰一人動かない中では行動に出られないと、もどかしがっている。司くんが纏う1人でも平気、みたいな雰囲気を感じて手をこまねいているだけだ。
率先して手伝うオレが、むしろみんなからやっかまれているくらいなのに。
「……、……司くん。高校、どこ行くの?」
「っへ?」
「オレも一緒のとこいく」
「……何言ってんの。ちゃんと決めなよ。自分の進路でしょ」
「いいじゃん。オレの進路なんだから、オレが行きたいとこにいく」
「だったら……」
「司くんのいるとこに行きたい」
精一杯だった。
男同士----ソンナコトが起きないはずの関係で、ギリギリおかしくない着地点はたぶんここと決めつけて放った。
呆気にとられてパチパチ瞬きする司くんが、毒気を抜かれたみたいにいつもの優しい顔に戻って、やれやれと笑う。
「ばーか。また勝手にしんみりしてたの?」
「……」
にゅっと伸びてきた手のひらが、ぱふ、と頬を叩いてわしわし頭を撫でてくれた。
「まだ8月だから。部活は今日で終わりだけど、まだ卒業まで半年あるし。学校には来てるから」
「……それはそうだけど……」
「……晃太がホントに受験すんのは2年後なんだし、そんな焦って決めなくていいんじゃん? とりあえず、気持ちだけ受け取っとく」
ありがと、と付け足した司くんがわしわしと頭を撫でてくれるのが、子供扱いされてるみたいで悔しいのに、嬉しくて苦しくて。
「どこ行くの、高校」
「……なに、ホントに来るの?」
「行くよ、絶対」
頭に乗っていた司くんの手に恐る恐る触れて、キョトンとした顔する司くんが嫌がってなさそうなのを見たら、一か八かで華奢な手をギュッと握った。
「絶対、一緒のとこ行くから」
待ってて、と告げたら、ふ、と優しく笑った司くんが頷いてくれた。
「ん。分かった」
*****
部活に3年生が来なくなってしばらくの間は、全然練習に身が入らなくて先生や先輩達には随分怒られた。
1人だけランニングの周回数を増やされたり、筋トレメニューが増えたり。散々な目に遭いながらも、ボール拾いだけは続けていたある日のこと。
「…………まだ続けてたの?」
「っ!? 司くん?」
後ろから突然声をかけられてびくんと跳び跳ねて振り返ったら、よく知った顔が呆れたみたいに笑っていて。
「ぁ……だって、可哀想じゃん。……こんなとこで、置いてかれてるの」
「…………だね」
しどろもどろに答えながら拾ったボールをバシバシ叩いていたら、ふふ、と柔らかく笑った司くんがまた無防備にオレの頭をぐりぐり撫で回してくれる。
久しぶりの感触は、泣きたいくらいに優しくて嬉しくて、やっぱり苦しいのに幸せだ。
「……司くんこそ、どうしたの? 居残り勉強?」
「ん……ちょっとね。…………無理目のとこ第一志望にしちゃったから、担任に色々言われてたとこ」
「……そうなんだ……」
「……でも頑張んないとね。だって晃太が来んの待っとかなきゃだし」
少しだけ疲れた顔した司くんが、くしゅ、と切なく笑う。
初めて聞く弱音を慰める暇もなく自力で昇華させるその理由に、自分の名前が入っているのが誇らしくて苦しい。
オレの気持ちには気付いてないらしい司くんは、どこかから拾ってきたらしいボールを手の中で弾ませながら、何かを堪える表情でボールの動きを目で追っている。
「……司くん」
「んー……?」
「オレ……」
「ん?」
キョトンと首を傾げた司くんの手が、弾ませていたボールを受け止めて止まる。ばふんばふんと鳴っていた音が止んだだけで、奇妙なまでに静まり返るグラウンドの隅。
ばくんばくん鳴っているオレの心臓の音は、司くんに聞こえたりしていないだろうか。
「……オレ」
「うん?」
「……おれ……」
言い淀むオレを真っ直ぐ見つめてくる瞳は、何も疑わずに綺麗に光っているから。
昂っていたはずの心が急速に萎んでいくのが分かる。
続きの言葉を思い付けずに思い悩んでいたら、司くんの顔が怪訝な表情に変わっていくのが居たたまれなくて、あわあわと言葉を探した。
「……、そのっ……今度、……勉強、教えて」
「は?」
「オレも! 同じ学校行きたいから! 勉強! 教えて!」
「…………何言ってんの」
無理目のとこ狙ってるって言ったでしょ、と。
切なそうに笑った司くんが、ふ、と小さく息を吐いたら。
「…………じゃあホントに頑張んなきゃだね。……待ってるだけじゃなくて教えなきゃいけないんだもんね」
「つかさく……」
にっこりと悩みを振り払った清々しい顔で笑ってくれる。
「ありがと、晃太」
「ぁ、……いや、……オレは別に……」
何もしてない、と蚊の鳴くような声でもごもご呟きながら。
初めて見た力強い笑顔は、改めてオレを惹き付けて----離してくれなくなった。
*****
放課後の図書室なんて一生縁がないと思ってたのに、部活終わりにバタバタと着替えてダッシュする日が続いている。
オレの顔を見るなり優しい顔してくれる司くんは、お疲れ、と笑って目の前の席を示してくれた。
「こないだのテストどうだった?」
「そう、それ! 今までで一番良かったんだ!!」
「しーっ、図書室だから!」
「ごめっ」
興奮してはしゃぐオレの目の前で、唇に人差し指を添えて嗜める司くんの声も嬉しそうに笑っている。
周囲に人の目がなくて誰からも咎められなかったことにホッとしながら椅子に腰かけたオレを、優しい声が誉めてくれた。
「良かったじゃん」
「うん」
躊躇いも遠慮もなく、人の目さえも憚らずにぽふぽふと頭を撫でてくれるようになったのは、いつからだろう。
なんとも思われてない----きっと弟みたいな気持ちで可愛がってくれてるんだろうなと思ったら、前はボールと代わりたいなんて思ったくせに複雑な気持ちが勝ってしまう。
そっと心の中だけで溜め息を吐いていたら、頭を撫でていた優しい手のひらが遠ざかって、ほんの少し淋しそうな声がヒソヒソと落ちてきた。
「……今日……」
「うん?」
「来ないかと思った」
「ぇ? あ、そっか。今日、ちょっと遅かったよね。ごめんなさい」
「謝んなくていいって」
勝手に待ってたんだから、と、くしゃっと笑う顔が優しくて痛い。
思わせ振りな台詞、だなんて思っちゃダメだ。
にこにこ笑う優しくて無邪気な顔は、どう見ても弟を優しく包み込む笑顔じゃないか。恋だとか愛だとかそんな風なことはひと欠片も感じない、優しいだけの笑顔じゃないか。
ちょっとくらい自惚れてもいいんじゃない、なんてそんなこと----考えちゃダメだ。
「……司くんは? どう? 受験勉強、進んでる?」
「ん、まぁなんとかね」
「……オレ、邪魔になってない?」
大丈夫? と聞きながら、いっそ大丈夫じゃないと言ってくれた方が諦めがつくんじゃないか、なんて卑屈に嗤おうとしたのに
「邪魔なわけないじゃん。晃太こそ、練習終わりで疲れてるのに大丈夫なの?」
「……っ、大丈夫に決まってるよ」
泣きたいくらい嬉しいのと苦しいのが同時に胸に沸き上がって、一瞬息さえ出来なくなった。
だって実際こないだのテストはめちゃくちゃ良くできたし、このまま頑張れば来年の勉強にもきっと遅れずについていける。いいことしかないよ。
息継ぎさえしないで肺が空っぽになるくらいの勢いに任せて滔々と話ながら、泣きたくて仕方なかった。
ぶちまけたいのは、こんなことじゃない。
司くんが好きって、ただその一言だけなのに。
どれだけ昂っても、大事な一言は喉に引っ掛かって出てきやしない。
恐かった。
先輩・後輩としてさえ後何ヵ月かしか一緒にいられないのに、一歩踏み出した先に道が続いているかも分からないような方向へ闇雲に突っ走るなんてこと、出来るわけがなかった。
「……そっか。ならよかった」
勢い任せのどうでもいいオレの話を驚きに目を見開きながら聞いていた司くんが、ゆったりと笑って頷いてくれる。
よくない。ほんとは全然よくない。
こんな生殺しみたいな時間、ほんとは苦しくて苦しくて仕方ないのに。
なのに会いたくてどうしようもなくて、結局ここに来るしかない----逃げ出しようのない無限ループにハマったみたいで、苦しさが無限に広がってくみたいだ。
「…………つかさくん」
「ん?」
「………………」
「……どした?」
「…………もうすぐ、お正月だね」
「? うん」
「初詣一緒に行こうよ。学業の神様とか調べて」
「……うん、そだね。いいかも」
苦し紛れの提案をあっさり受け入れられることにさえ苦い思いを噛み締めながら、ループから抜け出す方法を見つける努力は放棄していた。
*****
初詣の効果なのか、それを上回る司くんの努力か。
司くんは、無事に第一志望の高校に受かった。
「……おめでとう、司くん」
「ん。ありがと」
はにかむ顔はホッとしたように柔らかく緩んでいる。
「……ぁ、そうだ」
「?」
良かったね、を繰り返すことしか出来ないオレに、司くんが何かを思い出したみたいな顔してゴソゴソ鞄を探って
「手、出してみ」
「手?」
キョトンとしながら言われるまま手のひらを差し出せば、はい、と軽い何かを手に載せられた。
「…………これ……」
「オレが使ったやつ。ちゃんと受かったし、縁起いいかなって」
「ぁ……あり、がと……」
「ヤだったら捨てて」
「捨てないよ!」
照れ臭そうに笑った司くんの台詞に被せるみたいに叫んで、受け取った御守を大事に握りしめる。
「捨てない。……2年後、司くんと同じ学校受かって、返しに行く」
「…………ん。待ってる」
真っ直ぐに目を見つめて、真っ直ぐ届けた言葉を。
噛み締めるみたいに頷いた司くんが、ふわ、と優しく微笑ってくれた。
「待ってるよ」
*****
体育館から漏れ聞こえてくる、ほんの少し湿っぽい声のあおげば尊し。
在校生代表だけが体育館の中で、その他大勢はグラウンドで待機なんてずるい。
そんな風に不貞腐れながら、ドキドキと高鳴っていく胸が苦しくて、学ランの詰襟の辺りを落ち着かなく触る。
学ランのポケットには、司くんにもらった御守りと、初詣の時にこっそり買ったまま渡せなかった御守りの2つが入っている。
気持ちを伝えるか伝えないか----迷ったままで今日を迎えてしまった。
伝えたとして、叶うかどうかは分からない。最後の最後で嫌われたり気持ち悪がられたりしたら、立ち直れない。だけど、伝えてスッキリしたいような気もしているし、何も伝えないで2年後に自分の気持ちを確かめる手もある。
----待ってると約束してくれたのだから、2年かけて自分の気持ちを整理したっていいのだ。
ただただ兄のように慕っている気持ちを恋と勘違いしているのかもしれないし、自分にだけ特別な顔をしてくれるのが嬉しかったり優越感を覚えているだけかもしれない。
男同士なんだから。ホントはこんなのおかしいし気持ち悪いんだから。冷静になって考えた方がいいに決まってる。
ポケットに突っ込んである2つの御守りをギュッと握って、そろりそろりと息を吐き出す。
聞こえてくる曲が、蛍の光に変わった。
もうすぐ卒業式が終わる。
そっと視線を落としたら、
(……なんで……)
こんな時に、とそっと笑ったつもりが失敗した。
唇の端が、ぴくりとひきつって歪む。
落とした視線の先で、ボールがポツンと淋しそうに溝に転がったまま土埃を被って茶色くなっていた。
まるで気持ちを伝えるのを躊躇う自分みたいなそれに、胸が痛くて苦しくなる。
そっと溝に近づいて、優しく拾い上げた。
----蛍の光が終わる。
「……ぉ? どぉした、コータ。ボールなんか持って」
「ちょっと……」
「コータ?」
もう終わんよ? と首を傾げる友人の声に、うん、と曖昧に頷きながら思い浮かんだのは、司くんが初めてボール拾いの訳を教えてくれた日のことだ。
『置いてかれてるみたいじゃない?』
淋しそうに笑う顔。照れて真っ赤になった耳。
----こんなに好きなのに、2年も待って確かめる必要ある?
ぐっとボールを持つ手に力が込もって、気づいたら体育倉庫に向かって体が勝手に走り出していた。
「ちょ、コータ!?」
「すぐ戻る」
驚く友人の声に適当に返しながら、後ろも振り返らずに走る。
ポケットの中でカサコソ音を立てる2つの御守り。
きっとボールを自分に見立ててた。転がってるボールが淋しそうに思えたのは、司くんが淋しかったからだ。1人で平気、なんて雰囲気を醸し出しながら、たぶん誰よりも1人でいるのが淋しかったんじゃないか、なんて。
思いながら走り着いた体育倉庫は、鍵がかかっていた。
「ちょっ、なんで閉まってんの!?」
ばんっ、と倉庫の扉を思わず叩く。当たり前だ。今日は卒業式。体育倉庫なんて誰も使わない。そんなことは分かっているのに、言わずにはいられなかった。----だって、まるで、何もかもを拒む司くんの心みたいじゃないか。
くそ、と土を蹴りつけて唇を噛む。置いてきぼりを食らったボールを片付けられなかっただけなのに----それ以上の意味を見いだしてしまったがために、このまま置き去りにはできなくなってしまった。
ボールを抱えてしゃがみこんでいたら、ざくざくと土を踏みしめる音が聞こえてノロノロと顔をあげる。
「…………なに、またボール拾ってたの?」
「つかさくん……」
どうして、と呻くみたいに呟いたら、司くんは照れ臭そうに笑った。
「他の誰が見送ってくれなくてもなんとも思わないけどさ。さすがに晃太が見送ってくれないのはヘコむ」
「司くん……」
何言ってんの。そうやって無防備に思わせ振りするのやめてよ。期待したってどうせ無駄だって分かってるのに酷くない?
「……見送ってくんないの?」
そんな淋しそうな顔と声で……ホントに、ずるい。
「………………卒業、おめでとう……」
「全然おめでたく聞こえないよ」
「だって……」
照れ臭そうに笑った司くんの顔を見ていられなくて俯いたら、頭の上から司くんの優しい声が降ってきた。
「2年後、待ってるから」
「……2年も会えないの、ヤダ」
「……晃太?」
「やだ。卒業しちゃやだ」
「何言ってんの、ちっちゃい子みたいだよ?」
どうした? と優しい声が聞いてくれるけど、首を横に振って駄々をこねる。
「2年も待てない」
「晃太……」
「やだ」
ぐずぐずとボールをこねくり回していたら、やれやれ、と呆れた声が笑って
「いつでも会えるでしょ。別に引っ越すわけでもなんでもないんだから」
「……」
まるで駄々をこねる弟を諭すような優しい口調に打ちのめされながら、だったら、と顔をあげた。
「司くんの学校に遊びに行っていい?」
「ぇ?」
「放課後。行っていい?」
「……いいけど……」
「勉強も教えて。2年後、困らないように」
「……晃太?」
泣くなよ、と伸びてきた優しい指先が頬を拭ってくれる。
「待ってて、司くん。……絶対同じ学校行くから」
「晃太……」
「待ってて」
渡せなかった御守りが、ポケットの中で重みを増したような錯覚。
固い決意を込めて見つめた先で、困惑していた司くんが微笑ってくれる。
「だから、待ってるってば」
大丈夫だよ、と頭を撫でてくれる手のひらを素直に受け止めながら、ゴシゴシと顔を拭いた。
「約束だからね」
置き去りにするしかないボールを体育倉庫の扉の前にそっと置いて、小指をたてた右手を差し出す。
「約束だからね」
「……ホントにもう」
呆れて笑う顔には、もう淋しさは浮かんでいない。
「待ってて」
いつか。
弟じゃなくなるように頑張るから。
「待ってて」
差し出された華奢な小指を、ほどけないように強く絡めた。
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