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4 新しい奉職先

社務所の中に通され、授与所(じゅよしょ)の窓口の続きの間にあるこたつに案内された。 「寒いですから、こたつに入ってくださいね」 神主に言われるままにこたつに入り、出してもらった温かいお茶を一口飲んで、ほっと一息つく。 「まだ名乗っていませんでしたね。  この神社の宮司をしております、佐々木と申します」 「あっ、僕こそ名乗りもせずにすみません。  神職の中芝です。  とはいえ、昨日勤めていた神社を退職になってしまったのですが……」 そうして僕は、佐々木宮司にうながされるまま、僕の身に起こったことを話し始めた。 最初のうちは詳しい話をするのは神社の恥になるからと思って、「宮司と行き違いがあって」などと言葉を濁していたのだが、佐々木宮司はすごく聞き上手で、気付くとセクハラの濡れ衣を着せられたことから、次の奉職先が見つかるか、見つかってもまたトラブルにならないか不安なこと、年上の女性がトラウマになりそうなこと、さらにはばあちゃんが夢枕に立ったことまで、何もかも洗いざらい全部話してしまった。 「それは大変でしたね」 すべてを聞いた佐々木宮司の口から出たその一言に、僕はなぜか涙が出そうになる。 「いいでしょう。  これも何かのご縁です。  もし中芝さんさえよろしければ、本当にこの神社に奉職しませんか?  こちらには私の他にはバイトの男の子が1人いるだけで女性の職員はおりませんから、その点でも中芝さんには安心できるでしょうし」 「い、いえ、そこまでしていただくわけには……!  こうしてお話を聞いていただいただけで充分ですので」 慌てて佐々木宮司の申し出を辞退しつつ、つい視線が授与所の窓口の方へ動いてしまう。 僕はかなり長い時間宮司と話していたが、その間、参拝者が行き来する気配はあったが、御守り御朱印御祈祷を求めて窓口に来た人は1人もいなかった。 いくら大安ではない平日の昼間だとはいえ、この様子だと神社の収入はそれほど多くはないだろう。 普通に考えて、僕という新しい職員を雇うほどの余裕はないはずだ。 ばあちゃんの夢のこともあるし、佐々木宮司の人柄も良さそうなので、この神社でご奉仕させてもらえれば嬉しいけれども、だからといって神社や佐々木宮司に迷惑をかけるわけにはいかない。 佐々木宮司は僕の視線の意味に気付いたのだろう。 苦笑しながら、こう言った。 「大丈夫ですよ。  こう見えても権禰宜(ごんね ぎ)1人雇うくらいのお賽銭はありますから」 「す、すみません、失礼なことを考えてしまって……」 「いえ、お気になさらず。  まあ、お金のことは本当に問題ないのですが、中芝さんが気に病まれるようでしたら、他の奉職先が見つかるまでのつなぎでも、他の神社との掛け持ちでも構いませんよ。  とにかく、詳しい勤務形態は落ち着いてから決めることにして、しばらくの間は試用期間ということで働いてみませんか?」 「あ、はい、ありがとうございます。  そうしていただけるならありがたいです」 佐々木宮司の言葉に、それならとにかく働かせてもらって、やはり無理そうなら改めて辞退すればいいかと思い、僕はうなずいた。 「それでは、いつから来られますか?」 「僕の方はいつからでも構いません」 「それでは、さっそく明日からお願いしましょうか。  そうですね、明日朝10時に、一応履歴書を持って来てください」 「はい、わかりました。  あとすみませんが、この近くにウィークリーマンションか安いホテルはないでしょうか?  今住んでいるのが寮なので、そちらも早く出なければいけないので」 「そういうことでしたら、とりあえずは私の家に泊まってもらってもいいですよ。  神社の敷地内ですし、部屋も余っていますから」 さすがにそこまでしてもらうのは、と僕は遠慮しようとしたが、その気配を察知したらしい佐々木宮司が先に「正式採用が決まったら不動産屋を紹介しますから、試用期間の間だけでも」と言ってくれたので、ありがたく甘えさせてもらうことにする。 「あ、履歴書は明日持って来ますけど、とりあえず連絡先だけでもお渡ししておきますね」 「ああ、そうですね。  それでは私も」 僕が財布から出した名刺に携帯の番号を書いていると、宮司も窓口の方から名刺を持って来てくれた。 差し出された名刺には「稲荷神社宮司 佐々木 倫通(のりみち)」と書いてある。 「それとこれをお持ちください」 「厄除け守り……」 佐々木宮司が僕にくれたのは、青紫色の厄除け守りだった。 「今の中芝さんには必要でしょう?」 「たしかに、その通りです。  ありがとうございます」 厄除け守りというか、あるのなら女難除けの御守りが必要なくらいの災難にあったばかりなのは確かなので、僕は御守りを受け取って大事にしまった。 「それでは、明日からよろしくお願いします」 「はい、こちらこそよろしくお願いします」 佐々木宮司に見送られ、僕は宮司と御社殿に深々と頭を下げてから、稲荷神社をあとにした。 ———————————————— とりあえず駅まで戻り、昼ご飯を食べながら、昨日一緒に飲んだメンバーと前の神社の禰宜に「知人の紹介で、とりあえず試用期間からだけど再就職が決まった」と連絡を入れた。 正確には知人の紹介ではなく、ばあちゃんの案内だけど、まあ大きくは間違っていないだろう。 ばあちゃんと佐々木宮司には、本当に感謝の言葉しかない。 あまりにも早く再就職先が見つかったのでみな驚いたものの喜んでくれて、「がんばれよ」「中芝ならすぐ正採用になるよ」と励ましてくれた。 不安と悩みが解決した僕は、午後は気晴らしに遊びに行くことにした。 ———————————————— ちょうど見たいと思っていた博物館の企画展をゆっくり見て、本屋をはしごして、ついでに晩ご飯を食べてから寮に戻ると、居間で先輩が疲れた顔をしていた。 「あ、中芝。  お前、危ないところだったな。  ついさっきまで、宮司の娘が居座ってて、今帰ったところなんだよ。  お前の部屋で待つって言い出して、止めるのが大変だったよ」 寮の部屋は和室で簡単な内鍵しかかからないので、先輩が止めてくれなければ勝手に部屋に入られていただろう。 帰った時にあんな人が自分の部屋で待ちかまえていたらと想像すると、正直ぞっとする。 「うーわー……。  多分、携帯着信拒否にしてたから、こっちに来たんですね。  すみませんでした」 「ああ、あいつも連絡取れないから来たって言ってたよ。  それで、これを置いてったんだけどさ」 そう言いながら、先輩は嫌そうな顔をしながら、複雑な形に折り畳まれた紙をつまんでよこした。 「うわっ……」 「え、何が書いてあったんだよ」 紙を開くなり思わず声をあげた俺の様子を見た先輩が、隣から紙を覗き込む。 そこには「謝って私とつきあうなら、宮司に言って辞めなくてもすむようにしてあげる」などと、ふざけたことが書かれていた。 「これはひどいな。  これ、完全に向こうのセクハラとパワハラの証拠だろ。  権宮司が出てきたら見せるから、写真撮らせろよ」 先輩はスマホを取り出すと手紙を写真に撮る。 「先輩、伝言お願いしていいですか?  僕もう新しい奉職先決まって宮司にとりなしてもらう必要もないから、謝らないしつきあいませんって」 「あー、あの調子だと伝言だと信じてくれない可能性があるから、紙に書いてくれ。  それと新しい奉職先がどこかって、もう誰かに話したか?  あの調子だと奉職先がバレたらそっちに押しかけそうだから、しばらくは秘密にしておいた方がいいぞ」 「あ、そうですね。  まだ正式採用じゃないからと思って誰にも言ってないので、このまま秘密にします」 そうして僕は、先輩に文面を相談しながら彼女に返事を書き、先輩に預けた。

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