1 / 1

あと5センチのバレンタイン

(今年のヴァレンタインこそ、和哉に気持ちを伝えるんだ……!)  英二は一ヶ月も前から、甘いものが苦手な和哉の為に、カカオ95%の渋みのあるチョコレートを買い込んでいた。和哉の眼鏡のフレーム色でもあるダークパープルの袋でラッピングをして、ゴールドのリボンをかける。カードは、敢えて付けなかった。和哉にその気がなかった時は、友チョコとして捉えて貰えるように。スポーツ万能で人気のある和哉が男も相手にするバイセクシャルだとは、風の噂に聞いていた。  和哉と英二が野球部でバッテリーを組んで、一年半になる。初めは、後輩一人一人に細やかに目を配っている和哉に、英二は強く憧れていた。朝練三昧で居眠りが多い所は、自分がサポートしなければと、小姑のように叱責した。和哉はのらりくらりとそれを躱していたが、悪い気はしないようで、英二の好きな穏やかな笑みを見せていた。いつからだろう。それが当たり前になって、それだけでは物足りなくなって、後輩に声をかける和哉の背中を焼け付くような嫉妬で見るようになったのは。  英二も最初は、その感情が何なのか分からなかった。眠れない夜が何日も続いて、ついに和哉とキスする夢を見て初めて、己の感情に名前を付けた。恋、なのだと。初恋だった。現状の関係が崩れてしまう事を恐れ、何もアクションを起こせなかった英二だが、今年は覚悟を決めたのだった。 ☆彡.。  午前八時三十二分。朝練終わり、今日も滑り込みで、和哉はやって来た。おはよう、と欠伸まじりで呟きながら教室に入ってくる。遅刻してもどこ吹く風なので、走ってきた様子もなく、制服のポケットに両手を突っ込んでいた。 「和哉! おはよう」  英二は内心鼓動をはやらせながら、努めて普段と変わらないようにと挨拶をする。ジャケットの内ポケットには、カカオ95%チョコレート。 「おう、おはよう。英二」  だが和哉は、常と違うものを感じ取ったようだ。長身の腰を屈めて、英二の顔を覗き込む。 「ん? 今日は、お小言はなしか?」  そして英二の好きな穏やかな笑みを、やんちゃな頬に見せる。その笑みの近さに、英二は頬を染めて俯いた。 「そっ、それは……たまには、勘弁してあげようと思って……」  しどろもどろに英二が呟くと、和哉は笑みを深めて制服のポケットから片手を出した。英二のブラウンがかった髪をポンポンと撫で、上機嫌だ。 「珍しい事もあるもんだな。ありがとな」  そして並んで席に向かう。 「……あのっ……和哉、後で話が……」 「あ……今日、ヴァレンタインか」  英二が勇気を振り絞って切り出そうとした時、和哉のウンザリしたような声が遮った。その突然の不機嫌に、英二はハッと和哉の顔を見上げる。たった今まで笑みを見せていた表情は、歪んで不快を訴えていた。 「えっ……ヴァレンタインが、どうしたの」  和哉は短い後ろ髪を、ぞんざいにガシガシとかく。 「女子が鬱陶しいんだよ」  英二が和哉の視線を追って机の方を見ると、その上にはカラフルなラッピングを施されたプレゼントが小山になっているのだった。 「迷惑なんだよな。受け取ったら勘違いされるし、いちいち返しに行くのも面倒臭いし」 (和哉……チョコ迷惑なんだ)  そう思って体温が1℃下がる思いをしていると、ふと和哉が見下ろしてきた。 「……で? 話って何だ?」  和哉は聞き取っていたらしい。英二はぽつりと訊いた。 「和哉……ヴァレンタインのプレゼント、迷惑なの?」 「あ? ああ。好きでもない奴にモテたって、嬉しくない」 「貰ったチョコ……どうしてるの?」 「受け取る意志がない事を示す為に一日放置して、捨ててる」  心臓が痛くなった。去年のヴァレンタイン、和哉がチョコを沢山貰っていた事は知っていた。でもいっこうに恋人を作る気配はなかったから、ここの所、一番親しいといえる仲まで発展した自分にもチャンスがあると、英二は一抹の希望を見い出していたのだ。痛む心臓を押さえながら、俯いて英二は食い下がった。 「和哉、好きな人いるの……?」 「ああ。いるな」  これには、明確に答えが返ってきた。英二は言葉を返せなかった。 「でも生まれてこのかた、自分から口説いた事がないから、どうしたら良いのか分かんない。おまけに相手はクソ真面目だから、他ごとに気を散らしてないで勉強しろ、って小言くらいそうだしな」 「えっ……」  部活ばかりに力を入れて勉強がおろそかな和哉に、英二がそんな事を言った事もあった。 「えっ」  英二はもう一度、小さく呟いて動揺する。 「……で? ヴァレンタインに、話って何だ、英二」  和哉が笑う。英二の好きな表情で。 「あのっ……」  英二が真っ赤になって言い淀むと、不意に手首を掴んでぐいぐいと和哉は引っ張って行った。 「か、和哉」  着いた先は、野球部の部室だった。朝練の終わった今、ここに来る者は居ない。ようやく手首を解放されて、英二は所在なげにそこを掌でこするのだった。 「……で? 話そうぜ」 「あのっ……でも……迷惑だから……」  それが言外に、和哉に告白している事に英二は気付かない。何も言えなくなって困惑している英二に、和哉は語り出した。 「俺の好きな奴は、優等生でな。俺みたいな落ちこぼれとは、間違っても付き合ってくれないと思ってた。だから、その鬱憤を野球部で晴らしてた。女子のチョコは迷惑だけど、好きな奴からのプレゼントは大歓迎だ」  そして、英二に切り出す。 「……で? お前からの話は? 英二」  心臓が破れそうに早鐘を打っている。英二はその心臓の上にしまわれていたダークパープルの包みを取り出した。 「あのっ……! 和哉、もし、もし良かったら……!」 「OKだ」 「へ?」 「俺もお前と付き合いたい」  先んじられて、英二は唇をパクパクさせる。和哉は包みを受け取って、リボンを解くとカカオ95%の一粒を取り出して、英二の桜色の唇に近付けた。 「あーん」 「えっ」 「一緒に食おうぜ。銜えろ」  英二は和哉の言う意味が分からなかったが、取り敢えず控え目に唇を開いてチョコレートを口にした。 「食わせてくれ。英二」 「!?」  和哉は僅かに長身の腰を屈めて、英二の好きな笑みで待ち構える。英二はしばらく戸惑ったが、やがて意を決して和哉の唇に背伸びした。二人が触れ合ってしまうまで、あと5センチのセントヴァレンタインデイなのだった。 End.

ともだちにシェアしよう!