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Sweetest Valentine

「あれ? 店長、この看板……」 「んー? ……あぁ、2月やしな。バレンタインの季節限定メニューっちゅうやっちゃ」 「へー……」  店長の字で書かれた看板には、本日のオススメはフォンダンショコラと書いてある。  フォンダンショコラだなんて颯真が喜びそうだなと、甘いものを食べる時にしか見せない表情を思い出してそっと笑っていたら、冷蔵庫を覗いていた店長がひょいとこっちを向いて笑った。 「食うてみるか?」 「っぇ!? いいんですか!?」 「えぇよ~。ちょっと形崩れてもぉて、お客さんに出すには微妙なやつがあんねん」  ほれ、と別添えの生クリームが省かれた状態で提供されたのは、店長こだわりの豆から抽出したエスプレッソが混ざったほろ苦いチョコレートソースをしっとり優しい甘さのケーキに閉じ込めたフォンダンショコラだ。 (……美味しいな、これ……)  ふと頭を過るのは、男も羨むイケメンの癖に超絶甘党の颯真の顔だ。エスプレッソソースがビターな大人っぽさを演出しているものの、きっと間違いなく美味しいと微笑ってくれるに違いない。 「……あの……店長……」 「おー、なんや。レシピ知りたいか」 「っ、なんで……」 「その顔見たら分かるっちゅーねん」  ぺんっと優しい手のひらが頭を軽く叩いて笑う。 「店終わったら、教えたるわ。トクベツやで」 「----っ、はい」  ありがとうございます、と下げた頭を、店長がポンポンと撫でてくれた。  *****  お菓子作りの基本は計量や。  そう言っていた店長の言葉を思い返しながら、秤に材料を載せていく。  美味しく出来るだろうか。颯真は美味しいと言ってくれるだろうか。  食事を作るのとは違う緊張感とワクワク感にドキドキしながら、電子レンジでチョコレートとバターを溶かしていく。そこに砂糖と卵、小麦粉を加えて混ぜた生地を、用意しておいたココット皿の半分程度まで流し込んだ。  別のバットに準備しておいたガナッシュには、昨日の店じまいの後に店長に教わりながら豆を挽いて自分で抽出したエスプレッソを混ぜてある。颯真が甘党であることを話したら、じゃあ苦みの少ないフルーティーなやつにしょうか、とわざわざ出してきてくれた豆を使った特別版だ。  ココット皿の数に合わせて6つに切り分けたガナッシュを生地の上にのせて、ガナッシュが隠れるように生地を追加する。  生地の優しい甘い匂いをふんふんと確かめたら、余熱しておいた電子レンジの扉を開けた。 「上手くいきますように……」  *****  ふぃ~、とバイト終わりの疲れを込めた溜め息を一つ。今日も今日とて寒い夜道をマフラーに鼻先を突っ込みながら歩く。  大寒波で毎日のように今シーズン一番の寒さを更新する日々の中でも寒さに対する耐性がつくことはなく、ダウンコートにマフラーの完全防備でも防ぎきれない寒さにかじかむ足の爪先に鞭打って小走りで家を目指す。  今日はバレンタインだ。コンビニの袋に入った小粒のチョコレート数粒を手に、こんなんじゃなくてもっとちゃんとしたかったのに、と悔しそうに泣いていた司がどうしようもないくらいに可愛くて、物より何より司の気持ちが嬉しいのだと宥めすかした去年の今日が懐かしい。  思い出し笑いに零れた白い息が、暗い夜空に滲んで溶けるように消える。 (……今年はどんなだろ……)  肩に掛けた鞄の中には、司へのチョコレートを忍ばせてある。去年はチョコを贈ることを思い付けなかったけれど、今年はちゃんと準備したのだ。 (どんな顔するかな……)  司の顔を思い浮かべてわくわくしながらマンションのエントランスに入る。タイミングよく降りてきたエレベーターに飛び乗ったら、目的のボタンを押してニヤけた顔をぼふっとマフラーに埋めた。  ***** (……ちょっと寒いな……)  出来ればビックリさせたい----焼き加減を電子レンジの窓から見つめながらそんなことを思い付いて、甘い香りを逃がすために窓を細く開けて換気扇を回していたのだが、いかんせん寒い。  窓を開けているのに暖房をつけるのも勿体ないしと、リビングに置いておいたダウンコートに袖を通して電子レンジの前に戻った。 (喜んでくれるかな……)  わくわくとはにかむ顔が電子レンジの窓に映るのが気恥ずかしくてモゾモゾとダウンコートの襟の隙間に顔を埋めながらも、電子レンジから目が離せない。別に見守っておく必要はないのだけれど、なんとはなしに気になって----何よりも嬉しくて楽しくて、くるくると回るココット皿をついついじっと見つめてしまうのだ。  電子レンジから漏れてくる甘い匂いを楽しみながら、さてどうやって手渡そうかと考えを巡らせる。  去年の失敗を踏まえてバレンタイン商戦が始まるギリギリ手前にチョコレート系の焼き菓子を買っておいたのだけれど、フォンダンショコラが上手くいってもいかなくても渡すつもりでいた。  とはいえ、そちらはお店で買ったがゆえに綺麗にラッピングが施されているのだ。フォンダンショコラはココット皿で作っているが、それをそのまま手渡すというのもなんだか味気ない。ラッピングされたものと一緒に手渡すとなれば、余計にその味気なさは際立つだろう。 (……どっかでラッピング用品買うか……でも、今日このタイミングでって、ちょっと……)  恥ずかしすぎる、とモコモコの腕で頭を抱える。  身近にあるものでなんとかならないかとウロウロ部屋の中を歩き回りながら、こういう時こそGoogle先生だ! とスマホに飛び付く。『バレンタイン ラッピング』と検索していたら、焼き上げを知らせて電子レンジが音を鳴らした。  スマホを放り投げて電子レンジの元へ駆けつける。  ぱん、と柏手を一つ。 「上手くいってますように……っ」  なむなむと何かに祈ってから、ぱかん、と扉を開けた。  ***** 「ただいまぁ……。…………司?」  いつもなら走って出迎えに来てくれるはずの司が、今日に限って玄関に来てくれない。  それどころかどうやら家にいないようで、家の中はシンと静まり返っていて、空気もひんやりしている。  今日は店が定休日だから会いに行くよとメッセージをくれていたにも関わらず部屋にいないなんて。  しょんぼり肩を落としながら、もぞもぞと靴を脱ぎ捨てる。  何かあったのだろうか。部屋がこんなにも冷えきっているのだから、恐らくは昼間に立ち寄ってもいないのだろう。  とぼとぼと長くない廊下を歩いてリビング兼寝室に入る。朝出ていった時のままの部屋の中に、司がいた形跡はやはりない。 (何だかなぁ……)  電気もつけないままこたつの側にしゃがみこんで、ばりばりと頭を掻く。  来るって言ってたのに来ないってどゆこと。遅くなるならなるで連絡くれたらいいのにそれもないし。まさかどっかで事故にでも遭ってんのかな。  ぐるぐる回り出すマイナス思考を止めることも出来ずにコートも脱がないままでいれば、カチャリと鍵の動く音がして弾かれたように顔をあげた。 「ただいま……ぁ、颯真帰ってる?」  聞こえてきた愛しい声に、バタバタと走って玄関へ。靴を脱ごうとかがんでいた司が、オレに気付いてにこりと笑う。 「おかえり颯真」  いつもと変わりない声も顔も焦らされた分だけ愛しくて、なのに放っておかれた寂しさに囚われた卑屈な心がもぞもぞともどかしく揺れる。 「~~っ、司!」 「ごめんね。思ってたより早かったんだね」  寒さに頬を赤くした司が、そんな風に困ったように呟いて笑う。靴も脱がないままのモコモコの腕が、同じようにモコモコのオレをぎゅっと抱き締めにきた。 「ありゃ、冷えてるね颯真も」 「……どこ行ってたの?」  楽しみにしていた分だけ落ち込んで、落ち込んだ分だけ不貞腐れた声に、司が照れ臭そうにはにかむ。 「ん、ちょっとね」  ごめんね、と重ねた司が抱き締めていた腕を離して靴を脱ぐのを不貞腐れたまま見つめていたら、視線に気づいた司がやれやれと苦笑した。 「冷蔵庫の中、見た?」 「…………見てないけど」 「そっかよかった。……じゃ、遅くなったけど晩ごはんにしよっか」 「…………」 「颯真?」 「……」  覗き込んできた司の顔が、オレの表情を見つめた後に困ったように笑って、ごめんて、と頭を撫でにくる冷たい手のひらが悔しい。  子供っぽいことをしている自覚はあるけれど、本当に楽しみにしていた分、本当に落ち込んでしまったのだと、言ったら司は笑うんだろうか。それともごめんと謝るのだろうか。 「……颯真」  ごめんね? と首を傾げる可愛さに根負けして、ううん、と首を横に振った。 「ちょっと……拗ねてただけ……」  こっちこそごめんねと不貞腐れた声で呟いたら、いつもより随分膨らんでいる司の体を抱き締める。 「……司が、家にいてくれるもんだと思って帰ってきたら、いなかったから……ちょっと淋しくて拗ねてた」 「……ホント、颯真って時々ちっちゃい子みたいになるよね」  ふふふ、と軽やかに笑う声が耳をくすぐって、ようやく肩から力が抜けた。張っていた意地も、体からすっと抜けていく。 「おかえり、司」 「ん、ただいま」  唇を軽く触れ合わせた後で、あれ、と声をあげる。 「冷蔵庫見たって、なんで?」 「あぁうん、内緒」 「へ?」 「後でね」  ふふ、といたずらっ子の顔して笑った司が、まずはご飯、とオレの手を引いた。  *****  いつも通りに美味しい美味しいと嬉しそうに晩ごはんを平らげた颯真と、キッチンに並んで一緒に後片付けをする。颯真に冷蔵庫を開けさせないようにしているせいか、ソワソワする颯真が可愛くて口元がゆるゆると歪に歪むのを隠すのが難しい。  結局、あんまり凝ったラッピングにするのも照れくさいからと、ラップを被せたココット皿をバンダナみたいな大きめの布で包んで渡そうと思い立って、慌てて100均に走っている間に颯真が帰って来てしまった。  ラッピングは出来ていないままだけれど、ラッピングして手渡すよりもデザートとして提供してしまう方が今の雰囲気に合っている気がする。  最後のお皿を洗い終わったら、まるで散歩の前の子犬みたいにソワソワする颯真に冷蔵庫を指差して見せた。 「じゃ、デザートにしますか」 「やった」  跳び跳ねんばかりに喜ぶのが可愛くて嬉しくて、自分の顔がふわふわと綻ぶのを感じながら、 「温かいのと冷たいの、どっちがいい?」 「ぇ、何それ!? 選択制なの!?」 「うん。温かいのと冷たいの」 「………………どっちも、は?」  小さな子供みたいに上目遣いで聞いてくる颯真に、やれやれと笑った。 「……しょうがないなぁ。トクベツだからね」  *****  はいどうぞ、と目の前に置かれたのはココット皿に入ったチョコレートケーキだった。 「うそ、何これ手作り……?」  呆然と呟いて見つめた先で、司が照れ臭そうに笑う。 「うん。今、お店で出してるやつでね。美味しかったから、店長にレシピ聞いて作ってみたんだ」  テレテレと頭を掻きながらの告白に、泣きたくなるくらいの嬉しさと幸せを噛み締めながら、隣に座っている司に抱きつく。 「わっ、ちょっと颯真」  危ない、と口先だけで怒る司の声がいつになく優しい。 「ありがと。めちゃくちゃ嬉しい……」 「…………冷めちゃうよ」  喜びのあまり顔中にキスを降らせていたら、司の照れた声がそう呟く。  ありがとう、と唇にキスを贈ってフォークを取り上げて----イタズラを思い付いてむふふと笑った。 「…………司」 「んー?」 「せっかくだからさ」 「ん?」  キョトンと首をかしげた司にフォークを手渡す。 「………………もう。あまえんぼめ」  意図を察して首から耳まで真っ赤に染めた司が、甘く蕩けた声で怒る。  真っ赤な顔のままでぶつくさ言いながらココット皿を手にとった司が、フォークで一口分切り取って差し出してくれた一口を、雛鳥よろしく口に運んでくれるまで大人しく待つ。 「…………はい」 「…………」  オレの口の前まで持ってきて、だけどオレが口を開かない理由に気づいた司の頬がこれ以上ないほど色づく。 「…………ぁーん」  渋々絞り出された声に満足して、フォークを自分から迎えにいったら 「…………おいしい……これ、チョコレートケーキかと思ったら、フォンダンショコラなんだ……」  口の中に広がる甘さとほろ苦さと、滑らかに溶けるガナッシュに驚いた。 「嘘、これ、ホントに手作り?」 「…………ビックリした?」 「するよ! めちゃくちゃ美味しいよこれ!」 「そりゃそうだよ。お店の味なんだから」  真っ赤な顔のまま誇らしげに笑う司が、可愛すぎて愛おしい。  フォークを持ったままの司にもう一度抱きついて、危ないでしょ、と怒られながらもグリグリと司の胸に顔を押し付けた。 「むちゃくちゃ嬉しい」 「……」 「今までもらったプレゼントの中で、一番嬉しい」 「……そりゃよかった……」  照れ臭い顔のままでもごもご呟いた司の唇に唇を押し付けて、泣きそうになった自分を誤魔化す。  まさか手作りだなんて思ってもみなかったし、ましてやめちゃくちゃ美味しいだなんて、オレはなんて幸せ者なんだろう。 「ん、ふ……っ、そぅま」  せっかく温めたのに冷めちゃう、と控え目な文句が途切れ途切れに聞こえて、ようやく唇を離す。  昂ったままに貪った司の唇はいつもより赤くて、唾液に濡れて艶やかに光っている。  誘われるようにずい、と迫る。 「……つかさ……」 「ゃ、……まっ、て……食べないの?」 「食べる」 「だったら……」  おろおろと逃げようとする司の髪から、さっきまでは気付かなかった甘いチョコレートの匂いを嗅ぎとったら----抑えは効かなくなった。 「司も食べる」 「ちょ、んンッ」  何か言おうとしたらしい唇を塞いで、舌に残る甘みを司に分け与えるように舌を絡めた。  幸せなバレンタインを二人がどう過ごしたのか----。それは机に放置されたフォンダンショコラだけが知っている、甘い甘い秘密。

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