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桃の花遊戯

 今日は三月三日、ひなまつり。いつもはお母さんに出してもらっていたけど、今日はあなた一人で頑張りましたね。  仕上がった立派な七段飾りの前に座って缶ビール片手に…いや、そこは白酒じゃないんですか? まあ、とにかく雛人形を眺めていると、どこからか声が聞こえてきました。 「ここ、ここですよ」  声は人形の方から聞こえてきますね。あなたはおそるおそる「誰?」と聞いてみました。 「私、三人官女の真ん中です」  雛段の上から二段目、三宝を持って座っている官女を見つめたあなたは驚いた。人形がペコリと頭を下げたものだから。 「三人官女の、あなたから見て左が『ふじ』、右が『よし』と申します。私は『やよい』と申します。…は? 『やおい』じゃございませんよ、『やよい』です」  口元が動いてお歯黒がのぞいている。間違いなく『やよい』が話しているようですね。何これ、ホラー? と戸惑うあなたに、彼女は話し続けました。 「本日はあなたに、雛人形の意味をお伝えしたいと存じます。女の子の成長を願う、だけではございません。この雛人形には、深く美しい物語が隠されております」  姿勢を正し、正座をして、あなたはやよいの話を聞くことにしました。 「年号は天慶、つまり平安時代でございます。旧暦の三月三日、桃の香かぐわしいうららかな春。親王様のご結婚の儀が執り行われました。  しかし、それは周囲が決めた結婚。殿下とお姫様の間に愛情などございません。  その結婚の儀のあと、余興がございました。余興のステージに登場したのは、新たに宮廷専属バンドとして派遣された五人囃子。彼らの演奏を聴き、殿下はその謡い手の歌声に惹かれました。  歌うことが楽しくて仕方がない、あふれるばかりの若さ。伸びるハイトーン、熱いシャウト。殿下は一目で恋をしてしまいました。  余興の後、酒宴がございました。その席で、殿下は謡い手に告白されたのです。 『そなたの歌声を聴かせておくれ』 『ご命令とあらば…』 『これは命令ではない、お願いだ。どうか私のためだけに歌ってほしい』  謡い手は殿下の想いを素直に受け入れることはできませんでした。殿下には愛情がないとはいえ、奥方様がいらっしゃる。それに、身分も違いすぎる。  殿下の腕からするりと抜け、謡い手は逃げ去りました。  そのようすを金屏風の陰からこっそり見ていたのは、五人囃子の笛吹きでした。ぼんぼりの明かりに照らされた顔は、嫉妬に燃えています。そう、笛吹きは殿下のことが好きだったのです。  ある日のこと… 『お願い、僕を見てください!』  笛吹きは薄い単衣一枚で、殿下を誘惑しました。まあ、今で言う“シャツイチ”みたいなものですね。  けれど、殿下のお心は謡い手にしか傾きません。笛吹きはふられた悲しさで、橘の木の下で泣いておりました。  と、そこにあらわれたのは、オールバックに眼鏡の右大臣。…は? 右大臣は眼鏡なんてしていない? よくご覧くださいまし。かけているでしょう、眼鏡。なんとも鬼畜そうな顔をして…。  その右大臣、実は謡い手が好きだったのですよ。何とかして自分のものにできないかと考えておりました。  そこで、笛吹きを利用することにしたのです。  右大臣は笛吹きに、一通の手紙を渡しました。 『これを、殿下からだと言って謡い手にお渡しなさい』と。  手紙を受け取った謡い手は悩みました。 『今宵、橘の木の下で待っている。そなたが来るまで、いつまでも』  殿下に会いたい。けど、会ってしまえば思いの丈をぶつけてしまうかもしれない。  さんざん悩んだあげく、やはり自分の気持ちを封印できない謡い手は、愛しい殿下に会うため橘の木にやってきました。  ところが、そこにあらわれたのは右大臣でした。右大臣は眼鏡のブリッジを指で押し上げ笑みを浮かべると――  謡い手を“無理やり”です。…え? 日本語おかしい? 察してくださいまし。  詳しい内容をお知りになりたいのですか? ちょ、ちょっとあなた、口元がゆるんで顔が赤いですよ。白酒でも召されましたか? え? …はあ、ビールですか。  とても女の口から言えるものではございませんが…そうですね…謡い手は白酒をかけられた、とだけ申しておきましょう。  は? かけられたのは白酒ですよ。何をおっしゃるんですか!  …コホン。まあ、そんなことがございまして、謡い手は精神的ダメージを受けて声が出なくなったのですね。  謡い手の命ともいえる声を失い、謡い手は日に日にやつれていくようでした。  それを心配した殿下は、左大臣に相談しました。左大臣はジャズを聴きながらバーボンのグラスを傾け、言いました。 『俺がいい医者を紹介してやるよ』  あ、左大臣は誰に対してもタメ語の、ダンディーなおじさまです。…え? 人形ではおじいちゃん?  よくご覧くださいまし。サングラスが似合いそうな、チョイ悪系の四十代でしょう。  左大臣はハーレーダビッドソンをぶっ飛ばして、名医を乗せて謡い手のもとに来ました。  …何ですって? 時代考証がむちゃくちゃ? 気にしてはいけませんよ。  謡い手を診察したお医者様は、『精神的な原因を取りのぞけば声は戻る』と言いました。  ですが、殿下がいくらお尋ねになっても謡い手は右大臣のことを教えません。  僕の身は汚れてしまった。こんな汚れた体を、殿下のお手に触れさせるわけには…。  ますます、殿下との距離をとってしまうのでした。  それをチャンスとばかりに再び殿下を誘惑する誘い受け・笛吹き。しかし、殿下は謡い手一筋で、どうあっても笛吹きにはなびきません。  とうとう笛吹きはリストカットしてしまったのでございます。  笛吹きは死のうとしたのではございません。そうすればきっと、殿下は振り向いてくれる…そう考えたうえでの、馬鹿な行為でした。  その結果、笛吹きの命は助かったのですが、神経を切ってしまったので腕が上がらず、二度と笛を吹くことができません。五人囃子を泣く泣く脱退する笛吹き。  荷物をまとめて宮廷を去ろうとする笛吹きを、太鼓担当が呼び止めました。 『オレたちのバンドスタッフとして残ってほしい』と。  太鼓担当は笛吹きのことを友達以上、いえ、バンド仲間以上に想っていたのです。  謡い手ですが、左大臣のうまい導きにより右大臣とのことを筆談で激白しました。  そして左大臣の働きにより、右大臣は島流しに。  ようやく謡い手の声が戻り、彼は再びステージで歌うことができるようになりました。  新たな笛吹きも迎え、その復活ステージの後、 『今日の演奏、どうだった?』  と、紅潮した顔で器用にバチを回しながら、元笛吹きに聞く太鼓担当。 『よかったよ。アドリブがきいてたじゃないか』 『だってさ…お前のために叩いたんだ』  少し頬を染め、元笛吹きは仏頂面で言いました。 『バカ、お客様のために演奏しろよ』  誘い受けだった彼は、少々ツンデレになってしまったようです。  一方、殿下は桃の木の下に、謡い手をお誘いになりました。 『私の気持ちをどうか、受け止めておくれ』 『けれど私は汚れた身。とても殿下のおそばにはおれませぬ』 『いや、そなたは汚れてなどいない。そなたの歌声はあんなにも美しく澄んでいるではないか』  殿下は謡い手を抱きしめました。ようやく、殿下の愛を受け入れた謡い手。  それから彼は殿下の褥(しとね)で、歌声とはまた違った美しい声を聞かせたそうな――とかなんとか言っちゃったりしてキャーもうヤだぁーっ! …こほん、取り乱してしまい、申し訳ございません。 はい? お姫様ですか?  お姫様は殿下とは仮面夫婦でしたが、実は左大臣が好きだったのですよ。少々枯れ専なのですね。  お姫様の猛烈アタックを、そこは大人の余裕でかわす左大臣。   今日もお姫様は左大臣を追っかけます。左大臣は桜の木の下にいました。 『悪いな、嬢ちゃん。今日はバイクの事故で逝っちまった昔のダチの命日でな。一晩中、ヤツと語りあいたいのよ』  と、桜の木にバーボンをかける左大臣。左近の桜の木は、事故で亡くなった友人を悼んで植えられたものだったのです。 …以上が雛人形にまつわる物語です。私たちは人形となり、この美しいお話を後の世に伝えていくという義務がございます。  ようやく、この義務を終えることができました。  どうか来年も、私たちのことを思い出してくださいませ。  本日はご清聴、誠にありがとうございました」  やよいは一礼し顔を上げると、それきり動かなくなりました。  酔っ払っておかしな夢でも見ていたのだろうかと、立ち上がったあなたは、七段目が少し変わっているのに気がつきました。   御所車の隣には、ハーレーダビッドソンのミニチュアが…。 ――――

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