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第9話

笙野先生のオペの手伝いをした後は、   バタバタと細かい仕事が立て込んで、   つい国枝氏の存在など忘れてしまっていた。   午後10時近く ――  誰もいない医局に戻り、   倫太朗は隅にある二段ベッドまで歩くと、   ベッドが空いてる事を確認した。   そして、ベッドに白衣を引っ掛け、   グレーのTシャツと白いスラックス姿になると、   眼鏡を外すのも忘れ、   倒れ込むように下段のベッドに入った。 「眼鏡かけたまま寝やがって、器用なやつ」   低く呟きながら、柊二が倫太朗の眼鏡をはずす。 「んん〜……なつ、きぃ〜……」   半分夢の中の倫太朗は、掠れた声を出しながら、   自分の側にいる柊二の首に腕を回し、   引き寄せようとする。   柊二は引力に逆らうことなく倫太朗に   身を任せてみる。   倫太朗の指が柊二の髪を掻き揚げながら、   自分の首筋へと柊二の頭を導いた。    柊二は、面白そうに口元を歪ませると、   目の前にある倫太朗の白い首からでている   喉仏を舐めあげた。 「ちょ ―― 夏希……っ」   首を捻る倫太朗を柊二は、声を押し殺して笑う。 「おい。倫太朗せんせ」   そして、倫太朗から離れると、   眼鏡をもったまま元の体勢に戻った。   倫太朗は、声に反応するかのように目を開けた。   ぼんやりとした視界でも自分の頭上にある顔が、   見知った顔でないのは、分かった。   それにこの声は……。 「えっ、ええっ ――!? どうしてあなたが?   なんで!! いてっ!」   引っくり返った声を上げながら、   倫太朗は身体を起こした。   二段ベッドの下段の天井は低いので、   倫太朗は頭を思いっきり打ってしまった。   柊二は、中腰のまま笑いを堪えて倫太朗の様子を   見ている。   頭を抑えながら、倫太朗は柊二を睨んだ。 「何で? と言われてもだな……ナースセンターに  キミの居場所を尋ねたら多分ここだ、と言われ来た。  んで、可愛い倫太朗せんせが眼鏡掛けたまま寝てる  から、はずしてやったんだよ。まさか女と混同される  とはな」 「……」   (ま、この男が”なつき”を女だと思っているなら    わざわざ訂正する気もないが ”なつき”は    倫太朗が行きつけのゲイクラブのウェイターで    男だ)   柊二の言葉を聞きながら、   倫太朗は、自分が夏希だと思ってしていた事を   思い出し、顔がみるみるうちに赤くなっていく。 「ほら、眼鏡」   柊二が、手のひらに眼鏡を乗せ、   倫太朗の前に差し出した。 「あ、ありがとうございます。すみませんでした」   柊二から目線を逸らし、か細い声で言いながら、   眼鏡を受け取った。 「別に謝ることはない。ところで ―― このあと、  仕事はあるのか?」 「いえ、上がるだけですが」 「なら、オレに付き合ってくれ、ドタキャンされて  腹ペコなんだ」   そして、この室から出る間際 ”あ、そうそう、   これ、オレの連絡先な”って、手渡されたのは   1枚の名刺で ――   ”星蘭大学附属生化学研究所    特別執行顧問  各務 柊二”   と、記載されていた。   (えっ ”かがみ”って まさか……)

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