20 / 53
犬も食わない
2018/07/28
・置き手紙
・ずぶ濡れ
・「だから目を離せない」
仕事から戻ると、いつもあるはずの温かな空気は見当たらず、代わりにあるのはテーブルの上の置き手紙。
『探さないでください』
シンプルに、用件のみ書かれた、貰い物のメモに書かれたその文字は、見覚えのある筆跡。
心臓が、ギュッと縮こまった。
ついに、とうとう、こんな時が。
震える手でそのメモを取り、メモの内容に反して勢いよくドアから飛び出した。
そりゃ確かに、昨夜は喧嘩した。
今朝もそのまま、仕事に向かった。
本当につまらないことだったと、今なら思う。
だけど、だからといって、こんな簡単にーー!?
「あっ」
マンションのエントランスで、探し人を早くも発見。
先刻から降り出した雨で全身ずぶ濡れになっており、手には小さな紙袋。
「どこ行ってたの」
血相を変えて詰問すると、困ったように微笑う。
「これ、買いに行ってたんです。あなたが好きな、駅前の…。一緒に食べたら、仲直りできるかなって」
その紙袋には確かに見覚えがあった。以前たまたま、一緒に立ち寄ったことのあるパティスリーのものだ。二人して美味しい美味しいと無心に食べ尽くした記憶が蘇る。
「…なら、これは何なの?」
握りしめていた例のメモを見せると、これまた困ったように身を小さくした。
「俺がいなかったら心配するかと思って、書き置きだけは残しておこうかなって」
「こんな文面、余計心配するよ!」
まだ少し震えが残る手で、ずぶ濡れの頬に触れた。
「そんなに狼狽えないでください、僕がそう簡単にあなたから離れるわけないでしょう?…ああ、もう」
紙袋を持っていない方の片腕で、きつく抱き寄せる。
「泣かないで…まったく、あなたという人は。これだから、目を離せない」
抱き寄せられ、安堵から嗚咽が何度もせり上がってくるのを懸命に飲み込む。
メモは手の中で小さくくしゃくしゃに丸められていた。
ともだちにシェアしよう!