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上弦の月 1
さてと、涼へのお見舞いに何を持っていこうか。涼も洋と同じで甘いもの好きだから、菓子パンとかがいいかな? パンといえばやっぱりクリームパンだよな。クリームパンといえば実家近くの『Moon』っていう店のが美味しいんだよな。
よしっ可愛い涼のためだ。ちょっと寄り道して買いに行こう。
そんな理由で、俺は涼の病院へ向かうために乗っていた電車を途中下車した。
「おー久しぶりだ! 懐かしい」
駅から商店街へと抜けるごみごみとした道は、俺が中学生の頃から少しも変わっていない。商店街の中ほどにある赤レンガの外壁のパン屋に寄るのが目的だが、久しぶりの懐かしい風景につい歩く速度が遅くなってしまう。
そんな俺のことを下校途中の学ランの少年たちが追い抜かして行く。笑い転げながら走り抜けていく学生の後ろ姿を眺めていると、かつての俺たちと記憶が重なっていく。
俺達にもあんな屈託のない日々があった。
中学生の頃だった。あれは……俺も洋もまだ学ランを着ていた頃のことだ。
****
「洋、もう帰るのか。俺も今日は部活ないんだ。一緒に帰ろうぜ! 」
下校の仕度をしている洋を見つけ廊下から話しかけると、何故だか気まずそうに顔を反らされてしまった。
「どうしたんだよ、洋? 」
「……安志……いいよ。また揶揄われるよ。お前に悪い」
「何言ってんだよ。そんなの俺は気にしない」
「でも……」
「さぁ帰ろうぜ」
「あっうん」
まったく洋の奴、最近ますます元気がない。覇気がないっていうのか。もうお母さんが亡くなって一周忌の法要も終えたのだから、そろそろもう少し元気になってもいいのに……本当にどうしたんだよ。変だぞ。俺たちが仲良すぎるのを冷やかす奴もいるが、そんなこと気にしない。それにしても……とぼとぼと重い足取りで俺の後ろをついてくる姿が、なんだか痛々しいよ。
「なぁずっと元気ないけど何かあったのか。もしかして、新しいお父さんとうまくいってない?」
「……いや、よくしてもらってるよ、血もつながらない俺なんかのこと、母が亡くなってしまったのにそのまま面倒みてくれて……感謝しているよ」
「そうか、ならいいけど。じゃあ他に何か気になることでもあるのか」
「そういえば……変なこと聞いてもいいかな」
「なんだ? 」
「安志はさ、お父さんとお風呂まだ一緒に入ることあるか。中学生になっても一緒に入るのって変なものか」
「はっ? 」
「あっいや……ほら、俺の本当の父さんは小さい頃に亡くなったから、そういう記憶がなくて……普通どうなのかなって急に思っただけだから、気にするなよ」
言い訳がましく言葉を付け加えながら焦っている洋の様子を不思議に思いながら、随分唐突に変なこと聞くもんだと思った。
「まぁ流石に家の風呂じゃ狭いしもう入らないけど、銭湯にでもいきゃ今でも一緒に入るしな。はははそれは、当たり前か」
「そうだよね。銭湯か……」
「お坊ちゃまな洋は行ったことないのか」
「いや……そうか…そうだね。そう思うよ」
「何が? 」
「あいや、それより安志お腹空かない? 」
「おっ寄り道するか」
これ以上この話を続けたくない素振りを洋が見せたので、俺も話を切り替えた。
洋と俺の買い食いの定番は、地元のパン屋のクリームパンって決まっている。ここのクリームパンはカスタードがもったりしていてバニラビーンズの甘く香ばしい香りがぷーんとして、本当に美味しいんだ。店内で焼いているので焼きたては格別だ。ちょうど下校時間の四時過ぎが焼き上がり時間なので、店の前を通るとパンの良い香りで俺達を誘ってくる。
「んっ美味しそうなにおいだな」
洋もその綺麗な顔をほころばせた。
本当にこいつ同じ男なのかってたまに思ってしまうほど、俺の幼馴染の洋は皆に自慢したくなるほどの美人だ。まぁ、その……男に美人って表現は変かもしれないが、そう思うんだから仕方がない。クラスの女子なんかよりもずっと綺麗で優しいし、とにかく俺の大事な幼馴染だ。
でも不幸続きで……お父さんを早くに亡くして、去年はお母さんまで。そのせいか儚げな雰囲気が更に増して……つい俺が守ってやりたくなってしまう。その気持ちが年々強くなってきて困ってしまう。
校則で禁止されているので、寄り道が見つからないように手早くクリームパンを二個買って、洋とそのままダッシュした。商店街から小道に入った所の小高い丘の上に寺があって、その境内にちょうど見晴らしの良いとっておきの場所があるんだ。
そこでそのまだ温かいクリームパンを二人で頬張ると、何とも言えない甘い味が口腔内に広がっていく。
「うまいな」
「うん」
目を伏せてうっとりと味わうような仕草をする洋は、本当に可愛くて、ちょっと色っぽい。
そんな表情に俺もつい笑顔になってしまう。甘党の洋の小さい頃からの大好物がクリームパンだってことを俺は知っている。だから買い食いには、いつもクリームパンしか選ばない。
(新しいお父さんは買ってくれないのか)
そんな言葉が出かかったが飲み込んだ。洋はあまり今の家庭のことを話したくないようだし、触れられたくないようだ。
俺の視線に気が付いた洋が、じっとその黒目がちな目で俺のことを見つめ返してくる。その口の端に黄色いカスタードクリームがちょんっと付いているのが妙に艶めかしくて、心臓がドクンと飛び跳ねてしまった。薄く上品に整った、桜色に色づいた口元はいつみても色っぽい。
男に色っぽいとかって、やっぱり俺おかしいのかな。
「どうした? 」
「いっいや」
小首を傾げてのぞき込まれて、なんとも言えない気持ちになって大きく一歩退いてしまった。本当はその口の端についたクリームをペロッと舐めてみたかった。
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