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雨の降る音 7

 おばさんが持ってきた白い和紙の包みの中には、上等そうな黒地の無地の着物が綺麗に折り畳まれていた。その胸元には白く家紋が染め抜いてあった。 「あの、これって? 」 「これはね、紋付羽織袴なのよ」 「……紋付き? 」 「結婚式に男性が着る正装の着物よ。これは夕のたっての願いで浅岡さんのために仕立てたものだったの」 「父さんの?」 「そうなの。あなたも知っていると思うけど、夕と浅岡さんは駆け落ちして結婚したので、ちゃんとした結婚式を挙げていなかったのよ」  それは知っている。あの人から返してもらった写真の中に、グレーのスーツと菫色のワンピースを着た母が並んで写っている写真があった。母の華奢な手には可憐なスズランの花束が握られていた。幸せそうに微笑む二人の笑顔から、ウェディングドレスや白無垢を着ていなくても、結婚式の写真だとすぐに伝わって来た。 「じゃあ……この着物は何故? 」 「あなたが小学生にあがる頃には、浅岡さんの翻訳の仕事が軌道に乗り、二人の生活も順風満帆だったの。それで白無垢と紋付き袴できちんと写真を撮ってみたいという夕の願いで、仕立てていたのよ。おばさんの親戚に京都の呉服屋さんがいてね。それで……」 「そうだったのですか……じゃあ、これを父が実際に着たのですか」  そう問うとおばさんは悲し気に目を伏せ、それからゆっくりと首を横に振った。その仕草からすぐに理解できた。そうか……着ることはなかったのだ。事故に遭ってしまい、母を残してこの世を旅立たねばならなかったから。 「とにかく、私がずっとこれを預かっていたのよ」 「ありがとうございます。でもなんで急に…」 「それはね、洋くん前我が家に寄った時、ソウルで大事な人と過ごしているって話していたでしょう。安志から洋くんがソウルを引き払って日本に戻って来たって聞いた時、あぁとうとう結婚するのかなって思ったのよ。もう水臭いわね。早く教えてくれたらよかったのに。それで、相手はどんな子なの?」  いきなり核心に迫られ、心臓が跳び跳ねた。  告白するなら今だ。今しかない。驚かれてもいい。  もう俺が進む道は決まっているのだから。 「あの実は……」  そう言いかけた時、階段の上の扉がギィっと開く音がした。  それから一歩一歩階段を降りて来る確かな足音が聴こえてくる。  丈、来てくれるのか……  振り返らなくても分かる。  心強いよ。  俺は……大事な人の気配に勇気づけられた。

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