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【重なる月 第一部最終話】花の咲く音 22

「洋、仕度は出来たか」  鏡の前でぼんやりとしていると、丈の声が部屋に響いた。振り返ると黒い紋付き羽織袴姿の丈がすっと立っていた。長身に漆黒の髪色。端正で大人っぽく男らしい顔立ち。びしっと着こなした羽織袴が本当によく似合っていて、見慣れているはずの丈の顔から目が離せない。  俺はしみじみと見惚れてしまった。 「ふっそんなに見つめてどうした?」 「あっ……いや」 「洋、それにしてもすごく綺麗だな。薄い色の和装姿が優美で、の世の人とは思えない程美しい」 「そっそんなことない。丈の方がカッコ良すぎて」 「そうか? どうも着慣れないな」 「うん……俺も」  お互いに微笑みあった。 「さぁ行こうか」 「丈……よろしくな」  丈が手を差し伸ばしてくれたので、俺は迷わず真っすぐにその手を取った。  指と指の一本一本すべてを絡め、二人が手のひらをぴたりと合わせると、二人の温度がぎゅっと重なった。丈が力を込めれば、それはダイレクトに俺に伝わり、俺が力を返せば、丈が受け止めてくれる。  こんなに手のひらが想いを伝える器官だなんて感じたことは、今までになかった。  こうやって俺たちは今日から生きていく。  二人で力を合わせ、時を重ねていくんだ。  雅楽の音色と共に参列者が入堂するのを待つために、渡り廊下の途中で俺たちは一旦立ち止まった。  そこにすっと現れたのは古代紫色の袈裟を纏った崇高な雰囲気の翠さんの姿。翠さんが先頭を切ってくれるのだ。 「丈、洋くん、準備はいいかい? 式を始めるよ」 「お願いします」  翠さんに導かれ、俺達は仏前へ一歩また一歩と確実に進んでいく。  その度に緊張で胸が極限まで高鳴っていくのが分かる。丈がちらっと俺を見つめ、微笑みながら握っている手に力をこめてくれた。  大丈夫だ。そんなに緊張することじゃない。  見てみろ。皆、洋のために集まってくれた人たちだ。  皆、洋を愛している。  優しい丈の励ましが、手を通して伝わって来る。 「本当にみんな……来てくれた」  その人達の顔を、幸せを噛みしめながら俺はゆっくりとぐるりと見回した。  安志と涼が肩を並べて、くすぐったそうに笑っている。涼の甘い笑顔は健在だ。幼馴染の安志は今にも泣き出しそうな顔だ。まるで花嫁の父のような表情だ。  その隣にはKaiと優也さんが手を繋いで立っていた。Kaiはほっとしたような表情を浮かべ、優也さんは少し恥ずかしそうに、それでいてとても幸せそうな笑顔を浮かべていた。  一番奥の席には、緊張した面持ちの陸さんと空さんの姿もあった。  陸さんは、真っすぐに俺を応援するように見つめていてくれる。俺たちの間にあったわだかまりは、これからもっともっと解けていくだろう。この先時間をかけてゆるやかにそれでいて確実に。  それからあの方が丈のお母さん。そしてお父さん。俺は受け入れてもらえるのだ。そう確信できる暖かい眼差しを浴びた。  その横に安志のお母さんの顔も見えた。俺と目が合うとおばさんが小さく手を振ってくれた。  俺は皆の姿を、隅々まで見渡した。  このひと時を永遠に忘れない。  馴染みの顔に囲まれていることへの感謝と安堵の気持ちで、胸が一杯になってくる。  寺は俺たちのために特別に貸し切りだ。同性婚が認められていない国で、こんなにも本格的に結婚式に近いものを挙げることができるなんて……何もかも丈の家が、この月影寺だったからだ。  本当にすべての事柄に縁を感じる。  やがて今度は流さんが司会者として仏前に進んで来た。流さん……今日はスーツ姿でとても凛々しい。俺達の横に立った流さんがすぐに挨拶を始めた。 「本日は張矢 丈と浅岡 洋の二人のために、集まって下さってありがとうございます。私は丈の兄の張矢 流と申します。ご存じかと思いますが、この度、浅岡 洋くんが、この張矢家の養子となります。同性婚というものが認められていない日本で、我が弟の丈と洋くんが目に見える確かなつながりを持って生きていく手段の一つとしてこの方法を選び、我が家も歓迎しています。本日は仏前式という形式にのっとって、式を進めさせていただきます」  すぐに拍手が沸き起こり、皆の温かい気持ちが風に乗って、俺達を包み込んだ。  次第に俺の視界がぼやけていく。  感極まった涙が今にも零れ落ちそうで必死に耐えていると、丈がそっと俺の背中を支えてくれる。  温かい気持ちと共に、涼が作ってくれた※オーニソガラムの花の匂いが届いた。  この匂いは、一体なんだろう。心の奥底に未だにほんの少し残っていた不安な気持ちが、一気に取り払われていくようだ。俺の過去の何もかもを解き放ってくれるような気がした。    丈が調べてくれた花の意義を頭の中で思い出ていた。  オーニソガラムは別名スターオブベツレヘム。   ショックから立ち直れない人やトラウマに悩む人に役立つバッチフラワーで、心の傷になっている体験を精神的に消化しショックやトラウマを克服する助けになるそうだ。だからこの花の香りを嗅げば……感情のバランスを取り戻し、恐ろしい事件や悲しい出来事にあっても、過剰に反応することなく、落ち着いて出来るようになると……  俺はもう大丈夫だ。  この幸せを迷いなく受け入れられる。 「ところで、皆さん教会式と仏前式の結婚式大きく違うところをご存じですか」  なんだろう…… 流さんが問うと、皆、首を横に振っていた。 「新郎新婦が結婚を誓うのではなく、結婚することを仏と先祖に報告するのが仏前式です。皆さんは、運命の人と生まれた時から赤い糸で結ばれているという話を聞いたことがあると思いますが、仏前式での結婚は新郎と新婦が出会い、結婚に至ったことをお互いの縁、つまり『因縁』と考えることが基本です。この『縁』を親や親族を含めた先祖に感謝することで、お互いの縁を大切にする心を持ち続けようという考えで行うのです」  流さんの話は、とても意義深いものだった。  そうだ。俺と丈にはとても深い『縁』があった。それは俺達が一番よく知っている。  遠い国のジョウとヨウがお互いに支え合ったように。  平安時代の丈の中将と洋月の君が、不安や寂しさを分かち合ったように。  この寺で過ごした夕凪の想いが俺に届いたように。  双子のような涼との出会いは、上弦の月と下弦の月が満月になるような運命の一つ。  俺をいつの世も守ってくれたKaiの……カイの……海の大きな存在。  陸さんと俺の縁もすべて決まっていた。  そうだ。すべては今の俺達へと、縁があって続いてきたことだ。  何かが欠けていては成り立たなかったのが、今日というこの日。 「それでは、結婚指輪の交換をしてください」  丈と俺は繋いでいた手を一瞬離し、その指に両親の残してくれた指輪を交換しあった。  俺は丈へ。  丈は俺へ。  その瞬間、月が重なるように、二つの指輪が交差した。  重なる月は一つに、俺達の道は一つに揃った。 ****  丈……  俺ね……今こうやって未来に向けて、前を見て進んでいけることが幸せだ。  俺の今までの生き方のせいで犠牲にし、憎まれてもしょうがないことをしたかもしれない。それでも……その時その時を精一杯生きて来た。精一杯生きることでしか、返せないことがあると思ったから。  振り返ればずっと……様々な過去の苦しみや悲しみを背負った人生だった。だがその悲しみや苦しみを通過し昇華していく中で、得たものが確かにあった。  それは……  ひたむきな強さ。  幸せを願う気持ち。  そして、人と許し合う心だったのかもしれない。  もう大丈夫だ。  もう後悔はない。  前へ前へと進もう。  もう俺と丈だけの人生を歩もう。  愛し愛され、許し許され……生きていこう。  それにしても、花の咲く音が聞こえるほど静かな時だ。  それほどまでに今……俺の心は満ちている。  落ち着いている。     【重なる月】完

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