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完結後の甘い物語 『蜜月旅行 7』
丈たちとは真逆の位置にあるツインルームに入ると、セミダブルベッドが二つゆったりと並んでおり、壁一面の大きな窓からは明るい夏の日差しが射し込んでいた。
ふむ……部屋の広さも申し分がないな。
これなら翠兄さんもゆっくり出来るだろう。
俺は早速部屋に備え付けのクローゼットに、持って来た兄さんの服を掛け出した。
「兄さん、皺になりそうなものを掛けておくから、少しゆっくりしていてください」
「んっ……ありがとう」
すぐに兄さんはベッドボードにもたれて、鞄から本を取り出した。
あぁ飛行機でも読んでいたやつか。続きがよっぽど気になるんだな。
兄さんは昔から読書好きだ。学生時代も、よく夜更かしして本を夢中で読んでいたよな。
それにしてもスーツやジャケット類……沢山持って来てしまったな。一日中若住職として袈裟で過ごす兄さんが洋装出来るのは、こんな時しかないと思うと、あれもこれも着せてみたくなったのだ。
最後に鞄の底にデパートの包みを見つけた。
あっこれはアレか! 思わず頬が緩んでしまった。
「翠兄さん、荷物は全部この棚の中とクローゼットに吊りましたから」
「うん、ありがとう。流、悪いな」
「これから海に行くそうですよ。これ水着だから着替えて下さい」
「へぇ海に行くのか」
「えぇ、いいプライベートビーチがあるらしいので」
「ふぅん……海なんて久しぶりだな。子供の頃はよく流と江ノ島で泳いだよな」
懐かしいことを……確かに江ノ島にはよく泳ぎに行ったよな。兄さんはいつも日焼けすると肌が赤くなってしまってヒリヒリと痛そうだった。
昔話をしながら、兄さんに包みを手渡した。
「じゃあこれに着替えてください」
「……これは何だろう? 」
「何って水着ですよ」
「えっ……これが本当に水着なのか」
不思議そうに兄さんが水着を両手で摘まんで広げた。
その途端、兄さんが頬を赤らめて叫んだ。
「流、これ無理だっ!」
二人で最後に海に行ったのは、兄さんが高校の時だ。それ以来もともと運動がそう好きではない兄さんが積極的に泳ぐことなんてなかったから、当然水着を持っていなかった。
だから今回の宮崎旅行のために、俺が選んだとっておきのものだ。デパートで俺の目に留まったのは、『粋な和装スタイル水着』というフレーズ。褌の水着と腰穿きタイプショート丈のメンズパンツがセットになったものだ。
この褌が、最高にいいと思った。
ストライクスキンを使用したねじりふんどしで、フロントの前かけ部分もしっかりと作り混んでいるので、一見、六尺ふんどしを履いているように見える優れものだ。
まぁ流石に褌一枚で兄さんを歩かせるわけにはいかないから、ちゃんと市松模様の粋なショートタイプの水着も合わせて購入した。
褌姿の兄さんの後姿。尻にそれが食い込む様子を想像するとゾクゾクしてしまった。絶対翠兄さんに似合うと思って、自信を持って選んだつもりだ。
だが兄さんは褌に、ひたすら驚いているようだった。
「兄さん大丈夫ですよ。それはアンダーパンツ代わりですよ。それを履かないとまずいでしょう」
「だが流……何も褌でなくてもいいのに。はぁ、流に水着まで任せたのが間違いだったよ」
「必ず着てくださいよ。きっと似合うから」
「流……」
心もとなく心細そうな兄さんの表情。こんな顔、滅多に見せてくれないので、つい揶揄ってしまうよ。駄目だな。大事な兄さんなのに……今日の俺は意地悪だ。丈と洋くんの新婚旅行にあてられたか。
「翠さん、あの……入ってもいいですか」
その時、洋くんが部屋にやってきた。
「どうしたの? 」
「あの……翠さんの悲鳴が聞こえたから」
「あぁさっきのか。ごめんね。驚かせて悪かった」
洋くんは翠兄さんが握りしめている水着を見つけて、やっぱりという表情になった。
「あー翠さんは、もしかして……水着……褌ですか」
「えっそういう洋くんは? 」
「聞いて下さいよ。丈が選んだのこんな紐だけのなんです」
洋くんが手に握り締めていた水着を見て、思わず吹き出してしまった。おいおい丈、可愛い洋くんにこれを着せたい気持ちが分かるが、こんな露出度の高いもの身に付けられてウロウロされたら、俺達も目のやり場に困るじゃないか。
「うわっ丈がこれを? 」
「……そうなんです。でも俺にはこんなの無理です。翠さんからもなんとか言ってください」
洋くんが甘えるように、翠兄さんを頼る。
「うん、確かにそうだね」
翠兄さんは頼られるのが嬉しいようで、少し思案してから、丈を静かな声で呼んだ。
こういう時の兄さんはちょっと怖いんだよな。
「丈、いいかい? この水着は丈が着なさい」
「えっなんでそうなるのですか。でもサイズが違うから入りませんよ」
丈は思いっきり不服そうな声を出した。
「いや大丈夫なはずだ。だって紐で調節できるだろう」
「ええええ?」
「君は大事な人にこんな姿をさせて心配にならない? 」
「いやそれは……」
「プライベートビーチっていっても、他の泊り客もいるだろう」
「まぁそれは……でも……せっかく買ったのに」
「じゃあ僕たちもこれを着る機会を作ろう。それならいいだろう」
「翠兄さん、それじゃ丈があんまりにも」
必死な訴えの丈が可哀想になって、援護してやろうと思ったら、とばっちりを食った。
「それから流、この褌はお前の方が似合うよ。着たところ見たいな。なぁ駄目か」
「っつ……」
出た!
俺が兄さんの頼みを断れないのを知っていて、この人は言うんだよな。いつもこうやって。
「あー分かったよ! 丈一緒に着ようぜっ!」
「ええっ?……流兄さんまで、あんまりです」
「いいから、翠兄さん怒らすと後が怖いぞ」
「はぁ……」
うなだれる丈の肩をポンポンっと叩いてやった。
それを見て、翠兄さんが満足げに頷いていた。
「二人とも聞き分けがいいね。流石僕の可愛い弟たちだ。その代りに、後で貸し切り温泉の中で僕たちは着てみることにしよう。それで約束は守ったことになるしな」
「ええ! 温泉でわざわざ水着? 」
丈と不服の声を揃えてしまった。
それってかえってマイナスじゃないか!!!
ううう……翠兄さんはやっぱり手ごわい。参ったな。
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