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『蜜月旅行 83』明けゆく想い

「夜が明けるな」  地平線の向こうから、新しい一日がやってくる。オレンジ色に透き通った光線が、砂浜に座る俺と翠の躰を隈なく包み込む。 「……煽ったのは翠だからな」 「え?」  小首を傾げる翠のこと、このまま砂浜に押し倒したくなるほど愛おしかった。翠の表情、声、仕草の全てをもらいたくなる。奪いたくなる。俺は元来、貪欲なんだ。 「今晩は覚悟しておけってこと」 「流……僕はそんなつもりで言ったんじゃ」  肩を竦める翠。「参ったな」っと言葉では怒っていても顔は、優しく微笑んでいた。  結局全てを許してくれる甘い兄は、もう俺のもんだ。  翠を仰向けにして抱くのも好きだ。白い腹を見せ、無防備な姿を俺だけに曝け出してくれているのが、堪らなくいい。  ウミガメの白い腹から……俺はなんと破廉恥な連想をするのか。なんでも翠と結びつけてしまうなんて、やっぱりおかしいのか。でも絶対誰にも見せられない……あんな艶めいた翠の姿。昨夜明るい光の中で見つめた翠の裸体、そんな姿を見られるようになったことが、嬉しくて溜まらない。 「流……顔がにやけている」 「えっ」  隣に座る翠が怪訝な表情を浮かべていた。 「また変なこと考えていただろう。流は顔に出やすいから気をつけないと」 「うっ……」  翠には不埒な妄想までお見通しのような気がして、恥ずかしくなった。  そうさ、俺は煩悩の塊だ!  と開き直りたいところだが、そうもいかず言葉に詰まって俯いていると、パタパタと近づいてくる綺麗な足が見えた。ほっそりとした足首……裸足の持ち主は洋くんだった。 「流さん、こんな所にいたんですか」  息を切らした洋くんの声。 「翠さんも、早く早くっあっちで子ガメの放流が始まりましたよ」 「おお! 見に行くか。翠兄さん行きましょう」 **** 「丈、お待たせ。呼んで来たよ」 「洋、ほら始まったぞ」 「うん」  夜が明けてすぐ、朝陽が眩いほどの光を放ち、海を照らしている時間に子ガメの放流が始まった。孵化した卵から産まれたのは、さっきみた親亀のミニチュアのような生き物。  産み落とされてから約二ヶ月で孵化した子ガメが地上に這い上がり、一斉に海に向かって行くのだ。百匹程いるだろうか……皆、海の方角を目指して賢明に手足をばたつかせている。体が小さいから、浜に落ちている枯れ木やサンゴのかけらさえ、大きな障害になるようだ。 「がんばれ!」  思わず声を出してしまった。  海に帰る様子を見守っている全員が、声にならない声で応援しているのだと思う。体長五cm程の小さな子ガメには、砂浜から波打ち際に行くまでも遠い道のりだ。明るい朝日を目指して、まだよちよち歩きの小さな亀が一匹、また一匹と波にのまれていく。  泳ぐというよりは、海の荒波にのまれていく感じだ。  穏かな海とはいえ、子ガメから見たら荒波だろう。こんなに小さいのに生まれてすぐ、一人で旅立つんだな。 「洋、あれで最後の一匹だな」  とうとう最初の一匹が、無事に波打ち際までたどり着いた。ところが突然の高い波に飲まれて姿が消えてしまった。 「えっ」  一瞬不安が過ったが、すぐに沖の方でぷかりと浮かんだ姿を見つけることが出来た。俺に元気な姿を見せてくれたので、ほっとした。大海原へ果敢に泳ぎだす小さな命に、ひたすら勇気づけられた。 「どうか……元気で!」  自然の営みなんだ。すべて本能の赴くままに動き、自然に身を委ねている。  俺と丈はどんなに躰を繋げても、子ガメのような存在は産まれることはない。後世に何も残せない。命を繋ぐことはない。でも、それも自然の一部なんだ。  だって俺は今……こんなにも自然体だ。  足元をすくわれそうな波に躰を委ね、生きている。  波に逆らわずに寄り添って、生きて行こう。  丈がいてくれるから、俺は生きていける。  大袈裟かもしれないが、この先の人生という大海原を泳いでいけるんだと思った。 「丈、ここに来てよかったな。俺……一生この光景忘れない」  明けゆく想いをそれぞれ抱き、歩んで行く。  蜜月旅行も、もう間もなく終わりが近づいている。  俺にも丈にも……そして翠さんや流さんにも、深い恩恵をもたらす旅となった。 『蜜月旅行』明けゆく想い 了

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