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ただいまとお帰り 6
「ご馳走様」
「どうだ?美味しかったか」
流さんが自慢げに聞いて来るので、素直に答える。
「うん、美味かった」
「そうだろう。これは兄さんの好物だから、薙も気に入ると思ったよ」
またか……
流さんの口からひっきりなしに漏れる話題は、本当に父さんのことが多い。オレには兄弟がいないから、少し父さんのことが羨ましくなった。これは自分でもよくわからない感情だ。
「薙、お風呂も沸いているし、後は自由に過ごすといいよ」
「……はい」
父さんに促されて席を立った。どうにも父さんと話す会話が思いつかない。普通の親子ってどういう感じなのか、それを知らないからなのか。
オレは本当に家族の距離感というものが掴めていない。ただいまとお帰りを言い合える場所に来たが、まだなにも手に入れていないような気がした。
「明日も学校だし風呂入って寝るよ。今日は疲れた」
「そうするといい。あ……父さんは毎朝お堂で写経をしているから、お前も気が向いたらおいで」
「……」
やっぱり……オレの父さんはお坊さんなんだなぁとウンザリする。
朝から写経なんて、かったるいこと、するはずないだろう。
朝は一分一秒でも長く寝ていたいのにさ!
そのまま片付けもせずに、部屋に戻ろうとしたら流さんに窘められた。
「おいおい薙。片付けは手伝え」
「えっーメンドクサっ」
「いいから、ほら下げてきて」
「分かったよ」
それでも流さんとの距離感は好きだ。オレの懐に飛び込んで、ぐいっと引きあげてくれるから。
****
薙は風呂に入ったようだ。それを確かめてから翠の部屋をノックした。
翠は寝間着に着替えようとしている最中だった。脱ぎかけの下着姿が色っぽくて、思いっきりあてられた。
「手伝うよ」
「流……ありがとう」
翠は俺の言うままに大人しくしてくれる。
思えばこんな風に翠の着替えを、手取り足取り手伝うようになったのは、翠が離婚してこの寺に戻ってきてからだ。
翠の上半身の肌着を脱がしてやる。
露わになっていく肌色の……心臓の下の火傷の痕が目についた。
くそっ!これを見るたびに胸が痛くなる。
この傷は翠が俺を守るために犠牲になった証。そしてこの傷を刻まれた後……俺のために翠はこの寺を去って行った。
何があったのか、どんなに問いつめても口を割らなかった翠。
「ここ……消えなかったな。翠の綺麗な躰にこんな痕を残すなんて」
「流、どうした? 今更なことを」
「翠、もう絶対に無理すんなよ。この先は俺を庇うことなんてしなくていい」
「流……僕は……」
「薙のことも無理すんな。親子だからって絶対気が合うとも限らない。とにかく翠が無理するのだけはやめてくれ。今までだって散々一人で我慢してきたのだから」
優しく火傷の傷痕に触れて、そこに口づけを落とす。
「あっ……」
控えめな小さな声。堪えるように俺の髪に指を絡ませ、撫でて来る。
「流……流……離して……ここじゃ……そうするから……もうそうするから……」
「あぁ茶室の改装を楽しみにしていろ。俺も丈のように翠のための部屋を早く作ってやりたいよ」
****
「洋……眠ってしまったのか」
もう恋人は夢の中だ。
今日の洋は一段と可愛く乱れ官能的だったので、何度でも抱けると思ったが、今日はやめておいた。胸に大切な恋人を抱き、その背中を何処にも行かないように抱きしめるだけでも幸せだった。
この寺でかつて家族で暮らした日々を思い出していた。
居場所がなかった私の、どこかつっぱって寂しい日々のことだ。関心がないふりをしながらも、本当は仲が良すぎる兄たちに混じりたかった捻くれた幼い心。
気を遣われるのも癪で、逃げるように中学から寮生活を選んだのは自分だ。家族にも経済的にも恵まれていたのに、どこか心が寂しかった。かといって、それを訴えることもせずに、その場から去ることばかり選んできた人生。
人に関心を持たない方が楽だと悟った二十代。
研修医やインターンの時期も、私はどこか冷めた人間だった。言い寄って来る女を好き勝手に抱いてしまった時期もあった。それは認めよう……
だが今は違う。
洋といるだけで、洋の言動に一喜一憂し、感情というものが七変化していく。
まったく洋はすごいよ。この歳でこんなにも様々な感情を私に抱かせるなんて……
洋の髪の毛を優しく撫でながら、額にキスして私も眠りにつく。
人肌が心地良くて、堪らない切ない気持ちが込み上げて来る。
幸せというものは、どこか切なくもあるものだ。
そんなこと知らなかった。
人を想う気持ち。
それがこんなにも胸を焦がすことも知らなかった。
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