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夜の帳 1
丈を見送ってから、俺は庭に出た。
行きた所があった。
会いたい人がいた。
月影寺の庭は広大だ。
国道に面した山門から長い階段を上り切った場所に、本堂・離れ・座禅会や夏休みなど長期の休みに特別に宿坊体験できる施設・茶室・流さんの工房などが点在し、その殆どが渡り廊下で繋がっている。
寺の庭は広大で池だけでなく滝まであるのには驚いた。四季折々の樹木で鬱蒼とした森のようになっている。更に本堂の裏手には見事な竹林が広がりその先に、両親の眠る墓地がある。
朝日が降り注ぐ竹林に、足を踏み入れた。
美しき竹の庭。
翠さんの話によると、ここは二千本近くの孟宗竹《もうそうちく》の庭で、一年を通じて竹の美しさと力強さを堪能できる場所だそうだ。
竹はいい。
竹はまっすぐに力強く伸びて行く。
見上げて深呼吸してみる。
天を貫くような竹に心奪われる。
この寺で生きよう。
この道で大丈夫だ。
そんな気持ちが、ここに立つと足元から満ちてくる。
竹藪を抜けた場所に、墓地があった。
苔生した大地に覆われた、温もりの場所だ。
この寺に移してもらった母の墓の左隣に、今は実父の墓も並んでいる。そして母の右隣には、あの夕凪の母親の夕顔さんのお墓もある。
俺と関わりのある人たちの集まる墓地は、怖いなんて事はひとつもなく安らぎの里のようだった。
膝をついて、手を合わ目を閉じた。
「父さん母さん……おはようございます。洋です。俺……今までで一番ぐっすり眠れました。ここの居心地はどうですか。俺は気に入っています」
静かに目を閉じ竹を吹き抜ける風の音を聴いていると、背後で茂みがガサッと揺れた。
振り返ると流さんが立っていた。
「あ……流さん」
「なんだ洋くんか、こんな朝早くから竹藪に入るなんて珍しいな」
「今朝はどうしてもここにお参りしたくて」
「そうか」
見れば流さんは、右手に紫色の花を握りしめていた。
「その花は……?」
「あぁ桔梗だよ。寺の庭に咲いていたので摘んで来た」
「もしかして墓に?」
「そうだ。ほら供えてご覧」
桔梗といえば秋の七草として知られ、紙風船のような蕾から薄青紫の品のよい花を咲かせる、和の趣のある美しい花だ。
両親の墓の前に花を供え、その隣の夕顔さんの墓にも……お礼を言おうと振り返ると流さんの姿が見えなかった。
少し歩いて探すと、更に奥にある墓の前で手を合わせていた。
なんだか背中が辛そうに見える。
何故だか、切ない魂の叫びのようなものを感じた。
そっと背後に歩み寄り、流さんに声をかけてみる。
「あの……これは誰の墓なんですか」
「あぁこれは俺たちの曾祖父の墓だよ」
なるほど、確かに墓石には『張矢 湖翠』と刻まれていた。さらに、その墓に寄り添うように建てられた墓があるのに気が付いた。だがそこには何も刻まれておらず、誰も眠っていないようだった。
一体誰のものだろう。
怪訝に思って流さんを見ると、なぜだか悔しそうな表情を浮かべていた。
流さんは無言で湖翠さんのお墓と名もなき墓に桔梗を供えた。
聞いてはいけない……
そんな雰囲気だったが、俺には感じるものがあった。
俺の両親のように寄り添うように建っているこの墓。
これは湖翠さんの真の伴侶の墓ではなかろうか。
暫くの沈黙のあと、流さんに頭を叩かれた。
「おいっ、何しんみりしてんだ?」
「痛っ」
気まずい雰囲気を打ち消すように、作務衣姿の流さんはいつもの笑顔を浮かべていた。
人には知られたくないことがある。
でも頼りたい時もある。
今後どう転んでも、俺はどちらにも対応していきたい。
「さっ帰るぞ。今日は少し時間あるか」
「あります!」
「じゃあ、洗濯物を干すの手伝ってくれよ。薙の分も増えて大変だよ」
「あっ喜んで」
「よし、行こう」
「あれ?」
俺の前をスタスタを歩く流さんの無造作に後ろで束ねた髪の毛に、笹の葉が絡まっているのに気が付いた。あんな場所に珍しいな。
「流さん、どんな茂みに入ったんですか? 髪の毛に笹の葉を絡ませるなんて」
「え? わっ……まずい!バレる!」
おどけて笑う流さんを、訝し気に見つめてしまった。
「あの、一体何がバレるんですか。えっ……まさか」
つい先ほど丈と話した会話が頭にポンっと浮かんで、顔が赤く染まってしまった。
「ま……まさかっ。俺のこと……覗き見したんじゃ……さっき…」
「わー許せ!でも映画のワンシーンみたいに綺麗だったよ」
「なっ……」
絶句した。
でもなんだか笑ってしまった。
見られたのは恥ずかしくて死にそうだが、茂みに潜り込んだ流さんの様子を想像したらなんだか怒るに怒れない。
これって……翠さんに告げ口したら、どうなるだろう。
流さんの弱み、握ったな。
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