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初心をもって 10

「軽蔑するよね……僕と流は実の兄弟なのに」  胸元の傷痕を隠すように、湯船に更に深く浸かった翠さんに、小さな声で問いかけられた。  白い湯気の向こうの表情は曇ってよく見えない。  だがきっと苦し気な表情を浮かべていると思った。 「いいえ」  軽蔑なんて、するはずないじゃないか。  ここ最近の翠さんの穏かな満ち足りた表情と流さんの明るい笑顔。  二人が愛しあっている事は誰にも言わない。  むしろ応援したい。  それは心から思っていることだった。  それにしても……こんなにもすんなりと受け入れられるのは、何故だろう。  胸の奥から『喜び』という感情がやってくる。 「やっと結ばれたあなたたちのことを、応援しています」  やっと……?  自然と口から零れた言葉に自分ではっとして、思わず口を押えてしまった。  俺は一体何を知っているのだろう?  ヨウ将軍でも、洋月の君でもない人物の記憶が蘇ってくる。  これはまさか夕凪……あの日邂逅した君の願いなのか。  翠さんと流さんの恋を応援したかったのは、君なのか。  翠さんと流さんのことに気が付いた時に、どうしても京都へ行かないといけないと思った。そこからは不思議と用意されたように順調だった。思いがけない所から京都での仕事が舞い込み、翠さんも同行してくれた。  本当にすべてが最初から決まっていたかのよう。  その意味を知った。 **** 「洋くん、僕は少し道昭と飲んでくるから先に部屋に戻っていて。そうだな1時間後、22時には戻るよ」  部屋の前まで戻って来たのに何故か翠さんは部屋には入らず、そのまま浴衣姿で道昭さんの部屋に行ってしまった。  大丈夫だろうか?  道昭さんは大学の同級生で、少しも嫌なところはなかったから信じよう。  それにしても妙に細かい時間まで指定してくれるんだな。  あ……そうか。翠さんは気をつかってくれたのか。俺が丈に電話する時間をくれたのか。  さり気ない心遣い。  さっき電話に出れなかった俺のために。  翠さんの気遣いが温かくて心地よい。  本当に有難いよ。  こんなにも俺は愛されている。  そう思うと、本当に翠さんと兄弟になれて良かったと思う。 …… よかったな。俺も名残惜しかった。あの人たちの元を離れなければ……俺が傍にいれば、あんなことにならなかったのではと、ずっと死ぬまで悔やんでいた。 ……  また遠い昔から声が聞こえる。  兄弟になりたかったのか。  夕凪……君も。  時計を見ると21時過ぎ。  俺はすぐに丈へと電話をかけた。  京都から鎌倉へ、声を繋ごう。 ****  時計の針は21時を回ったところだ。  来る。  そんな予感が走った。  ベッドの上に置いたスマホに、洋からの着信通知が灯る。 「もしもし……」 「丈、俺」 「あぁ」 「あの、さっきはごめん」  ふっ……真っ先に謝ってくるのか。  そんな生真面目な所、相変わらずだな。 「いや、いいよ。今の方がゆっくり話せるだろう。翠兄さんと一緒の部屋なのか」  今度は私が気遣って聞いてみる。 「翠さんと同じ部屋だが、今は大学の同級生の所に行っているよ」 「大学の同級生? 大丈夫か」 「え……あ? うん…何を心配している?」 「あぁ悪い。なんでだろう。最近になって翠兄さんと洋が被るのか。なんだか放っておけなくてな」 「そうか……」  喉が渇いて、また一口梅酒を呑む。  カランカランと氷が音を奏でる。  舌先に感じ取るのは、甘く濃くとろりとした蜜の味。 「丈、今何か飲んでいるのか」 「あぁ梅酒。洋のを拝借したよ」 「あっ!勝手に飲んだな。それ流さんが漬けてくれた大事なのだから、あまり飲むなよっ」 「ははっ、まだ一杯目だ」 「でも珍しいな。丈はいつもワインかウイスキーなのに」 「今宵は甘いのを飲みたかったからな」 「そうか……それ美味しいだろう?」 「あぁ洋のこと考えながら飲んでいた。洋を感じたくてな」  受話器の向こうで洋がゴクッと喉を鳴らしたような気がする。 「丈……俺も、丈のこと考えていたよ」 「梅酒は甘くて濃くてまろやかで、私の腕の中で熟成していく洋のようだよ。洋の躰も甘いからな」 「丈、そんな言い方やめろよ、変になる」  受話器の向こうで、今度はきっと耳まで赤くして赤面しているのだろう。  本当に初心な反応を。  一人寝の寂しさからか、それとも梅酒のせいか。  もっと洋を苛めたくなってしまった。

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