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解けていく 2
流の手によって躰を隈なく清められ衣類も整えてもらい、最後に流のダウンを肩にかけてもらった。
「……これじゃ、お前が寒いだろう?」
「運動したし寒くないよ」
快活に笑う流には、確かにエネルギーが満ちているようだった。
僕は疲労困憊だっていうのに。
明け方まで流に執拗なほど求められ、絞りだされた。
「兄さん、美味しかったよ」
ずるいな。こんな時だけ……兄と言うなんて。
まるで僕の羞恥を煽るようなことをする、悪戯な弟だ。
思わず昨夜の情事を思い出し、頬がかっと熱くなってしまう。
「さぁ、翠の荷物もまとめて」
「うん、分かった」
宇治の廃屋で帰り支度をしていると、朽ちた扉がギィ……っと突然音を立てた。
「誰だ?」
流が鋭い声をあげると、袈裟姿の道昭が立っていた。
「おいおい? 怖い声だな」
「えっと」
流は道昭のことが分からないらしく、怪訝な表情を浮かべていた。
僕はどうしてここに道昭が現れたのか分からなくて驚いた。
「道昭!なんで」
「翠……そう驚くなよ。下山の手伝いに来てやったよ。崖の下まで車で迎えに来てやったんだ」
そこで流がやっと口を開いた。
「あぁ、あんたが風空寺の道昭さんか。……兄が世話になっています」
「やぁ昨日は電話でどうも。君、大きくなったな」
「別に背も大してあの頃と変わってませんよ」
「はははっ。そのつっけんどんな口調、懐かしいな」
そうか……道昭は大学生の頃、何度か月影寺に泊まったことがあった。だから流とも面識があるのだが、あの頃の流は本当にぶっきらぼうでハラハラしたものだ。
「とにかくお前達、こんな寒い場所でよく夜を明かせたな」
部屋を見回す道昭と目があって恥ずかしくなった。
僕の躰は大丈夫だろうか。
流に抱かれた痕跡はないだろうか。
やましい心で俯くと、いきなり道昭が僕の額に手をあてたので、大袈裟に驚いてしまった。
「なっ何?」
「いや……さっきから、少しぼんやりと惚けた顔してるから、熱でもあるのかと思って」
「おいっ、翠に気安く触んなよ」
その横で流が、怒りモードで立っている。
「んっ? 何で呼び捨てに?」
「あっいや……兄さんに触んな…」
流が動揺している様子が伝わってくる。
流、落ち着け。
お前のそんな様子じゃ……かえって怪しい。
ハラハラと見守るしかなかった。
「お前のブラコンさぁ、その歳になっても健在なのか、やれやれ翠はいつまでも弟の子守りで大変だな」
「そんなことないよ。とにかくありがとう。一旦戻ろう。行きたいところもあるし」
流水さん達には、心の中で挨拶をした。
(また来るから、少しだけ待っていてください)
廃屋を振り返りつつ、そう誓った。
とりあえず、この廃屋にも持ち主がいるはずだ。
それを突き止め、事情を話して、墓を移す承諾を得よう。
その事情を道昭に話しながら、僕たちは車で下山した。
****
京都の洛北にあるリゾートホテルから、洋と一緒に出掛けた。
今日も『日本心臓外科学会学術総会』で一日を過ごすことになっている。
もちろん洋もずっと一緒なのが、嬉しい。
今日も洋はメディカルライターとして仕事をこなし、私は様々なセミナーを聴講する予定になっている。
まずはタクシーで最寄りの地下鉄駅まで行き、電車に乗った。
「洋、こっちだ」
「了解。俺は方向音痴だから、丈が一緒だとスムーズで助かるよ」
朗らかに笑う洋の笑顔は、明るかった。
満員の地下鉄に、洋と乗るのはいつぶりだろう。
そうだ……あのテラスハウスでの日々を思い出す。
まだ私達が付き合う前だ。出逢って間もない頃、洋のあとをつけて同じ地下鉄に乗った事があった。車内の離れた場所から眺めていると、驚いたことに洋は……痴漢に遭っていた。
……
ホームに降りて冷や汗を拭いながら暗いため息をつき、スーツの皺を整えている洋に慌てて駆け寄った。
「洋、お前大丈夫か」
「丈、いつから見ていた? 俺のこと……」
「やっぱり、そうか。どうして抵抗しないんだ? 私は気が気じゃなかったぞ! 何故助けを呼ばない?」
洋は無理矢理……悲し気に笑顔を浮かべた。
「俺、慣れているから。こんなこといつものことだから、この位は大丈夫だ」
「ふざけるな!私が大丈夫じゃない!」
この人は……と胸が潰される思いだった。
※「雨に濡れて 4」より引用
……
もう二度とあんな思いはさせない。
結果、あの時の痴漢騒ぎどころではないことが、洋の身に降りかかってしまったのだが。
今でも後悔が残ることだ。
今こうやって月日が経ち、目の前で明るい笑顔を浮かべる洋を見ていると、何故だか無性に泣きたい気持ちになってしまう。
洋は私と一緒にいるのに、心配で堪らない。
22歳の頃よりも、雰囲気は変わったが、体格はほとんど変わらない。
普通はもう少し骨格が太くなっていくのに、洋はもともと華奢な骨の造りのせいか、見た感じの儚さや簡単に男に組み敷かれてしまいそうな危うさを元来持ち合わせている。
こんなことは洋に話したら怒るだろうが、本当のことだ。
あの頃よりも大人びた顔は、私と愛し合うようになって一層艶めいているようで、本当に危うい。
ひとりで行動させたくない。
そんな庇護欲にかられる存在だ。
現にこの地下鉄でも、洋のことから目を離せなくなっている輩が山ほどいるじゃない。
洋はもうそういう視線に慣れているようで気にならないようだが、私は気が気じゃない。
久しぶりに洋と公衆の面前に立って、嫌という程思い知らされる事実にやきもきしていた。
「丈、どうした? 暗い顔して?」
「洋はこっちに来い」
誰に見せたくなくて、洋の腕を強引にひっぱり反転させて……ドアに押し付けてしまった。
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