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解けていく 5
結局、翠のことは起こさず、弟の方だけが役所の中に入って行った。
まぁ事務処理みたいなもんだから、ふたりで行くことはないよな。
ハンドルに手を載せて、もう一度バックミラーに映りこんでいる翠のことをじっと見た。
「んっ……」
眉根を寄せる表情に、急にドキッとした。
朝日に照らされた横顔は端正で、同い年とは思えないほど若々しく、新緑の碧のような瑞々しさ、潤いを感じた。
翠は、こんなに色っぽっかったか。
おいおい、男に向かってなんで……俺、どうしちゃったんだ?
思わず自分の目を擦ってしまった。
翠は大学時代から綺麗な男だったが、そういう目でみたことはなかったし、俺にはそういう趣味はないはずだ。
首を傾げながらも、その額に玉のような汗が浮かんでいるのが気になって、俺は運転席から後部座席へと移動した。
「翠……おい、大丈夫か」
外はもうすっかり冬の気候で、ドアを開けたためか、車の中も冷えて来た。
なのに……ダウンジャケットを掛けてもらっている翠は、暑苦しそうだ。
そっと、額に手をあてると熱が思ったより高くて驚いた。
結構、発熱してるじゃないか。
どんどん上昇しているようだ。
慌ててハンドタオルを取り出し、額の汗を拭ってやる。
「翠、大丈夫か」
「うっ……身体が熱い」
喉元まできっちりと留められたボタンが苦しそうで、外してやろうと思った。
躊躇われたが、苦し気な表情に意を決し手を伸ばした。
ひとつ……ふたつ
翠がほっとしたような呼吸を漏らした。
なんだ、やっぱり息苦しかったのか。
思い切ってもうひとつ外した時に、思わず息をのんだ。
胸元から駆け上がるように散らされた赤い鬱血のような痕。
これは、まさか!
思わず固まってしまった。
っとその時、背後から罵声が鳴り響いた。
「おい、ちょっと! 兄さんに何してるんですか」
戻って来た弟だった。
振り返れば、今にも雷が落ちそうなほどピリピリとした空気を纏っているじゃないか。
「あぁ……悪ぃ。勝手に。熱が上がって来たみたいで苦しそうだから襟元を緩めてやっていた」
「……そうですか。あとは俺が介抱します。ちっ熱が高いな。兄さんっ兄さん」
「なぁ……寒空でお前達、一体何をしてたんだ?」
口に出してからしまったと思った。
弟の表情が思いっきり曇る。
そのタイミングで、翠が目を覚ました。
俺と弟の奇妙な沈黙に何かを察したようで、慌てて居住まいを正した。
すぐに胸元がはだけているのに気が付き、慌てて手で押さた。
「道昭……悪かった。お前には迷惑掛けっぱなしだ」
その様子があまりにも必死なので、可哀想になり話題を変えてやった。
そうさ、俺が関与することじゃない。
翠も弟も、もういい歳の大人だ。
二人の間に何があったのか、それは二人だけのことだ。
気丈な翠の振る舞いは、長年の修行の賜物なのか。
この位の熱で寝込むわけにはいかない気丈さが見え隠れし、翠らしいが……同時に痛々しい。
「翠、熱が高いみたいだぞ。寺に戻るか」
「いや、大丈夫だ。それより流、持ち主が分かったか」
「あっああ、兄さん……でも熱が」
「いいから続けて」
静かに制するのは兄らしい声だった。
「分かったよ。あの廃墟の持ち主の住所が」
「どれだ? なるほど烏丸御池か、道昭悪いがこの住所まで連れて行ってくれないか」
そう言って、翠が書類を手渡した。
****
「あ──浅岡さんのそのマシーン!!どーしたんですか?昨日は持ってなかったのに」
昨日丈から買ってもらったばかりのデジタルメモ機を机の上に出した途端、高瀬くんが食いついて来た。
「これ? えっと……昨日買ったんだ」
正確には丈が買ってくれた。
「うわぁ、まじ? いいなー最新のだ。キーボードが折り畳み式か。くそぉ~ちょっと使わせてもらっていいですか」
「え?」
俺の中では、丈に買ってもらったばかりのものだから誰にも触れさせたくなかったので、高瀬君が触れようとしたその手を、思わず制してしまった。
「駄目だ。これは俺のだから」
思わず出た言葉。
俺の中にも、小さな子供のような独占欲があるんだと、自分でも驚いてしまった。
「え?」
「あっごめん。あの……ほら、もう始まるし、俺ちょっとこの操作に慣れないといけないから」
「あぁそういうわけですか。なーんだ。しかし浅岡さんもライターなら、やっぱりこの機械の方が断然いいですって」
「もしかして君はずっと使ってる? 張矢先生の取材の時にも?」
「張矢先生の時も、もちろんこれですよ。旧型だけど僕の大事な仕事道具ですから」
「……そうか」
「そういえば張矢先生もこのマシーンに興味津々だったな。なんでだろ?ははっ。もうすぐ折り畳み式のキーボードの新商品が出るって教えたのも僕ですよ」
屈託なく笑う高瀬くんに、少しだけ後ろめたい気持ちが募ってしまった。
同時に、丈が俺の仕事道具にまで心を配ってくれているのが分かって、嬉しかった。
でもやっぱり少し妬いた。
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