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解けていく 22

「やっぱり何か知っているんですか。何でもいいので知りたいです。張矢先生のことなら」 「……あのさ、高瀬くんに言っておきたいことがあって」 「何です?」 「張矢は、やめておけよ」 「え……何で」 「踏み込んではいけない気がするんだ」  陣内先生の目は真剣だった。  その強い眼差しに圧倒されて、それ以上言い返せなかった。  僕は確かに今までの人生で、自分のこの容姿を武器に欲しいものなら、女の人も男の人でも、簡単に手に入れて来た。  そんな生活を繰り返す中で『若手外科医を24時間密着取材する』という仕事を受けた。事前の打ち合わせもなしに、当直だった張矢先生の医師としての姿を追いかけた時に、妙な高揚感を感じた。  この人凄い!  冷静な判断力も、患者さんに対する包容力も半端ない。  静かな闘志ともいえるオーラが出ている。  なんだよ。好きになっちゃうだろ。  こんなすごいパワー持っている人出逢ったことない。  ところが当の張矢先生は、僕がどんなに仕掛けても少しも靡かない。  だからますます気になってしまった。    でも本当に脈がなくて。  ランチの誘いもディナーの誘いも……見事に無下に断られた。  僕に少しも靡かないということは、先生はノンケだと納得させてあきらめていたのに……あの浅岡さんと張矢先生が並んでいる姿を見ていたら、妙な危惧の念を抱いてしまった。  僕……浅岡さんに嫉妬しているのか。  僕の方が、浅岡さんより仕事の経験値も社交性も、優位のはずなのにと奢っていたのか。  はぁ、参ったな。  でもさっき中華料理店で、僕が浅岡さんを貶した時の張矢先生の対応。  あれは一体なんだったのか。  あぁ……考えれば考えるほど悔しくもあり、同時に敵わないとも思った。 「まぁ高瀬くんは賢い人間だから、わかるよな。遊び半分で手を出してはいけない部類の人間がいるってこと」  陣内先生の言葉が、今は身に染みる。 「僕だって」  僕だって、もういい加減に飽きていた。  上辺だけの付き合い。当たり障りのない会話。  僕の何を知って、何をいうのか。 「ごめん、言葉がきつかったか。泣きそうな顔だ」 「えっ」  陣内先生に心配そうに覗き込まれて、恥ずかしくなった。  こんな風に自分を出すなんて、この僕が…… 「そうだ。この店にはオリジナルのいい酒があるから、気分を変えて一緒に飲もう」 「なんていうお酒ですか」 「『翠(すい)』という酒だ」 「ずいぶん綺麗な名前ですね」 「高瀬くんみたいだよ」 「えっ」 「ははっ頼んでやるよ」 **** 「そういえばこの店だったな」  道昭がパラパラと目の前でメニューを開いた。 「何が?」 「お前と同じ名前の酒があるんだ」 「へぇ僕の名前ってことは『翠』ってこと?」 「あぁそうだ。芳醇なのに澄ました味なんだぜ。飲んでみるか」 「その言い方! クスッ……うん、飲んでみたいな」  道明が店員に頼むと「今年はよくこれが出まして、残り僅かですよ」と言いながら、恭しくボトルごと持ってきてくれた。  まさに翡翠のような緑色のボトルに真っ白なラベル。  そして正面にたおやかな文字で『翠』と書かれていた。  確かに僕の名前のお酒だ。  くすぐったいな。  これ……流にも飲ませてやりたい。 「気に入ったか」 「すごくいいね」 「ちゃんと土産にもたせてやるから、安心しろ」 「道昭……お前」  まるで僕の心を知っているかのような心遣いに、感謝した。 **** 「すいません、この『翠』というお酒をいいですか」 「今日はよく出ますね。ほらあちらでも」  陣内先生が頼むと、店員がそんな風に言うもんだから、思わずちらっと簾越しに通路を挟んで隣のテーブルを覗いてしまった。  僕たちよりも少し年上の男性二人が、優雅に『翠』という酒を飲んでいた。  こちらを向いている男性、素敵だな。  簾越しでよく顔は見えないが、ずいぶんと品があって、たおやかな人だ。  京都がよく似合う。 「高瀬くんさっきから何見ているの?」 「あっいや、このお酒飲んでいる人がいるっていうから」 「へぇ、あっちも男同士か」  陣内先生の関心はそこか。  でもさっきまでのもやもやとした気持ちも、落ち着いてくる。 「さぁ飲んでみて」 「えぇ」  口に含んで、はっとした。  とても澄んでいて、とてもやさしく舌先を包み込むような味わいだ。 「翠……か」 「なぁ高瀬くんは翠微(すいび)って言葉を知っているか」 「さぁ?なんです」 「薄緑色に見える美しい山の様子のことなんだが……そういう景色も大事にしたいって思わないか」 「……」  陣内先生の言おうとしている事が分かる。  張矢先生のことだ。  見守ることも大事だと、暗に伝えている。 「ですね。酒でも飲みながら……僕たちは見守りましょうか」 「君はいい子だな」  陣内先生の大きな手の平で、くしゃっと頭をなでられた。  何故かとてもくすぐったく甘く感じてしまった。

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