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愛しい人 15

「僕たちは、もうすれ違う必要はないだろう? そんな時間は勿体ない」  俺の首に手をまわした翠が、耳元でもう一度そう告げてくれた。その言葉に刺々しく荒れていた心が凪いでいく。 「翠、悪かったよ、ホテルに寄ったと聞いてカッとなってしまって、俺が干渉すべきことでもないのに」 「流……来てくれ」  翠はくるりと背を向けて、無言で部屋を出ていってしまった。 「おいっ、一体どこへ行くつもりだ?」  慌てて羽織を持って追いかけると、そのまま翠は下駄を履いて外に出た。その肩に防寒のため羽織をかけてやると、翠は軽く頷いた。そして寺の中庭を突っ切るゆうに迷いなく歩き始めた。 「翠!」  いつの間にか……庭には白い靄が立ち込めていた。  まるで俺たちの行方を隠すように…… ****  茶室   ── 俺たちだけの隠れ家 ──  翠、本当にいいのか。ここに来る意味を分かっていて、俺を誘うのか。  翠はここに到着するまで。始終無言だった。そっと横顔を伺うと、何か思い詰めたような表情を浮かべていた。  茶室に入り、薄明るい電灯を翠が灯した。  俺が建てたこの茶室も、随分と老朽化したもんだな。畳みも襖も傷んで、早く翠に似合うように整えてやりたい。京都へ行ったりバタバタしていたが、この茶室のリフォームの件を早く進めよう。  灯した灯りも心もとなく、ジリジリと音を立てている。  この茶室で、幾夜荒んだ心を持て余したか。何度も何度も……空想の翠を俺のものにした。 「流……信じて欲しい」    そんなことを考えていると、翠が突然羽織をバサリと潔く脱ぎ捨てたので、驚いてしまった。  おい? 何をするつもりだ。 「確かめてくれないか。僕は確かにホテルへ彩乃さんと言ったが、何もしていない。僕はもう流でしか……感じなくなってしまったんだ」  訴えるような翠の声。  さっき居間で見た時は兄らしく、また、落ち着いた父親らしい顔をしていたのに……こんな切なげな表情を浮かべて、これでは俺が我慢できなくなる! 「翠、分かったから……ここは冷える。こんな寒い日に、こんな場所で翠を抱けない。宇治でも無理をさせただろう。翌日熱を出してしまったし、もう無理はさせたくない」 「流……」  翠の勢いに付いていけずに戸惑ってしまった。だが翠の方が潔かった。翠はいつの間に、こんな強さを身につけたのか。  俺の目の前で翠は迷いなく裸体になっていった。  それはとても美しい所作だった。潔く迷いなく……流れる川に身を任せるように、裸になっていく翠に見惚れてしまった。 「ここにいる時は……お前だけの僕でいたい。だから……見て欲しい……触れて触れて」    翠が自らの意志で、吸い付くようにしっとりとした肌を、俺にぴたりと預けてくれた。  

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