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堕とす 1

「いいな拓人。お前は行く所が他にないだろう。このまま北鎌倉で生活したかったら、いい子に言うことを聞くのが身のためだ。お前にとっても悪い話じゃない。欲しいものは迷わず、早めに手に入れて置くべきだ。これは父さんの教訓だ。だからお前にはそんな苦しい思いをして欲しくないんだよ」 「そんな……身勝手なこと出来ない。俺は友情と信頼を、薙からもらっているのに」 「可愛いこと言うね。よくお聞き……これはお前への親切心なのだよ。だからあの子を連れて、また東京まで遊びにおいで。楽しい遊びをしよう。父さんの方も準備が整ったらまた連絡する。さぁこれはお小遣いだよ。好きなものを彼に買ってあげなさい」  父さんと別れてからも、まだ心臓がバクバクしていた。  手のひらにはいつの間にか一万円札が握らされていた。それは汗で破けそうになっていた。更にくしゃくしゃになったお札を開けば、中から紙切れが出てきた。それは父さんの連絡先だった。この電話は俺しか知らないという。何のために用意したのか、俺に何をさせようとしているのか……考えるだけで身震いがする。  怖い……父さんが怖い……大人が怖い。  誰か助けて……  だが頼りにしていた母さんは、もういない。  ばーちゃんには、絶対に心配をかけたくない。  幼い弟や妹の顔が浮かんでは消えて行く。    俺はどこまでも重い足取りで、駅ビルに入った。 **** 「おい拓人……こんなのもらえないよ」 「いいから、もらっとけよ。父さんからお小遣いもらって余ってたんだ。薙、コレ好きだって言ってただろう。このミュージシャンのCD欲しいって言ってたじゃないか」  休み明けに、拓人から新品のCDをもらって困惑した。そりゃ欲しかったものだけど、これ三千円以上もするんだぞ。 「なぁ最近なんかあったのか。金遣いが派手じゃないか」 「……別に。父さんの羽振りがいいだけさ」 「ふぅん……そういえば退院したお父さんと一緒に住まないのか」 「まさかっ」  ギロッと睨まれてしまって、肩を竦めた。  もともと他人の家をどうこう言える立場じゃないし、関心もなかったはずなのに……拓人の様子がおかしくて気になってしまう。前は他人に気を配ることなんてなかったのに変だな。それだけ今のオレは充実しているのかもしれない。 「……薙、今度はまた一緒に渋谷に遊びに行こうぜ」 「あぁ、いいよ」 「じゃあ期末テストが終わった翌日なんてどうだ?」 「いいよ。朝から行くか」 「じゃあ十時に北鎌倉の駅で会おう」 「了解!」  そんな誘いを軽く受けた。この前久しぶりに渋谷に行ったけど、やっぱり生まれ育った街っていいよな。スクランブル交差点の雑踏もセンター街も、みんな懐かしかった。  月影寺の面々には申し訳ないけど、オレはやっぱりゴミゴミした都会が好きみたいだ。だから洋さんみたいに、あんな風にまだ若いのに隠れるように月影寺に籠っているのは、やっぱり理解できないな。  いい人なんだけど、もったいない。  もっと洋さんも堂々としたらいいのに、外の世界に出ればいいのに……なんであんな控えめなんだろう。まぁこんなこと、オレみたいな中学生に言われても、しょうがないだろうけどさ。 「おい薙、約束だぞ。俺は……待ちぼうけは嫌いだから。お前はそんな目に遭ったことはないだろうけど」 「いや分かるよ。オレさフランスに行く母を見送っ時、二時間経っても迎えが来なかったことがあって……あれは流石に堪えたよ」  ふと『待ちぼうけ』という言葉から、連鎖的にあの日を思い出してしまった。    あの日のオレは期待よりも不安で一杯だった。  いきなり交流も途絶えがちだった月影寺に預けられることになって、やっていけるか不安だった。更に空港で待ちぼうけをくらって、その不安がどんどん膨れ上がって……不覚にも泣きそうになっていた。  そんな時に現れた流さんの姿に心底ほっとしたんだよな。だからオレの中での流さんって、困った時に現れるスーパーマンみたいだ。 「へぇ薙もそんな思いを? 」 「夏休みの終わりだったよ。羽田空港国際線ターミナルで待ちぼうけさ」 「えっそれ何日のこと? 」 「ん? 夏休みの最後の日曜日だったよ」 「……そうか……」  拓人の顔色が、更に悪くなったような気がした。   「でも薙にはちゃんと迎えが来たんだろう」 「あっ?うん、流さんが平謝りで、ほっとした」 「……それならいいじゃないか」 「え……?」  次の瞬間、拓人は背を向けて歩き出してしまったので、その表情は伺えなかった。  「おいっ……待てよ」

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