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互いに思う 2
「張矢さん……張矢 翠さんですよね。検温のお時間です」
「あっ!」
突然女性の声がしたので、驚いて飛び起きた。
体温計を渡されて、一気に状況が呑み込めた。
慌ててキョロキョロと辺りを見回すと、付き添い用のベッドで流が横を向いて眠っているのが見えほっとした。それから自分の躰も確認すると綺麗になっており、ちゃんとパジャマも着ていた。
はぁ……良かった。
「……よくお休みになられたみたいですね。夜中の巡回は不要だと医師の指示だったもので心配しましたが……お身体の方は大丈夫でしたか」
「あっはい……よく眠れました」
「付き添いの方もよく眠っていらっしゃいますね。あ……もう平熱ですね。ではあとは医師が九時過ぎに来ますので」
看護師さんが退室すると同時に、流が起きた。
「兄さん、そんなに焦らなくても大丈夫だよ」
「流……お前……」
ぱっと昨夜の流との情事が思い出されて、顔が火照るように染まっていくのを感じた。僕の方から流を強く求めて、ここが病室ということも忘れ、あんなに乱れてしまった。
「クスッ、兄さん可愛いな。そんなに赤くなって」
「……流が後始末を?」
「あぁ丈がいろいろアドバイスと手配をしてくれてな。しかしアイツ……本当に気が利く弟だ。もしかして洋くんを病室で? いや洋くんは入院してないか。さては今後連れ込むつもりか」
「こらっ! 何をブツブツ言ってる」
「だが夜中の巡回をパスするとか、替えのシーツの準備とか部屋の換気とか、妙に細かい指示が入ったからな」
「はぁ……僕はなんという弟をふたりも」
思わず眉間に手を当て溜息をつくと、流が嬉しそうに笑った。
「翠、改めておはよう。元気になったようでよかった。いつもの兄さんらしいよ」
「流……」
目が合うと、流が豪快に笑った。
その笑顔につられて、僕も自然に微笑むことが出来た。そして素直な言葉を届けることが出来た。僕はもう昔みたいに我慢しない、強がらない。流にだけは。
「流、昨日はありがとう。僕を助けに来てくれて」
「翠が俺を呼んだ。俺こそちゃんと俺の名を呼んで助けて求めてくれて嬉しかったよ。躰はどうだ?」
「うん、その……」
「なんだ?どこか痛いのか」
「……いや……違くて……まだお前のが……挿っているみたいで」
「うわっ! 翠の口からそんなこと……」
慌てて口を塞がれ苦笑した。
昨夜の事件が嘘のように和やかな朝を迎えることが出来て本当に良かった。それというのも悪夢のすべてを流が奪い取るように、僕から持っていってくれたからだ。
朝……僕の躰に残ったのが、流の余韻だけだったことに深く安堵した。
****
「痛っ!」
腹の上に足がドスっと乗っかってきて、強制的に目覚めた。
あれ……ここどこだ?
見慣れない風景に一瞬固まったが、すぐに思い出した。
ここは丈さんと洋さんの住む離れの寝室か。そっか……オレ……あれからすぐ寝ちゃったんだな。
それにしても、この足は……洋さんか。
綺麗な顔に似合わず寝相悪いんだな。くくっ
なんか可笑しくなって寝返りをすると、逆側には丈さんの顔が至近距離に見えたので、飛び起きてしまった。
「うはっ!」
オレ思いっきり、彼らのど真ん中で寝ちゃったわけ?
これってさ……超お邪魔じゃん。
男三人で川の字ってベタなファミリードラマにもないようなシチュエーション。しかも両端のふたりは超熱々の恋人同士だぞ。
「あぁ薙……もう起きたのか」
「丈さん……あっおはようございます。あの……オレお邪魔しちゃって」
「いや、いいんだ。嬉しかったよ。君が洋のことをとても慕ってくれて有難いと思っているよ」
「洋さんのこと……確かに。オレなんでか分からないけど、洋さんといるとすごく落ち着くんです」
「ありがとう。これからもそうしてくれ。洋の居場所を作ってやってくれ」
「あ……はい」
スヤスヤと眠る洋さんの寝顔は、まるで穢れを知らない天使のように見える。
でもきっとそれは傍から見ただけの姿なんだ。洋さんも、父さんのように人に言えない苦しみを抱えて生きてきたのかもしれない。
ふと、丈さんが洋さんを見守る優しい眼差しから感じとってしまった。
オレは今までこんな風に、他人に対して深く考えたことがなかった。
きっと昨夜のことがなければ……まだ父さんに対して突っ張った態度を取っていただろう。
なんだか恥ずかしいな。くそっ。
父さん自身がそうであったように、人には一方向からでは見えない面があるということを思い知ったよ。
だからその人の苦しみを無理やり全部知ろうと思ったり、知らなかったことや教えてもらえなかったことを怒ったり責めたりしたくない!
もうこれからは。
現に父さんが抱えてきたものは、とても簡単にオレに明かせるようなものじゃなかった。でもその一方でオレはモヤモヤしたものに、ずっと腹を立てていた。
難しいな……人間同士が理解していくってさ。
そしてオレが洋さんのこと慕う理由。
言葉ではうまく言えないけど、なぜか無性に慕いたくなるんだ。
多くは語らない黒く澄んだ瞳に、無条件に吸い込まれるようだし、何も言わずにそっとオレに寄り添ってくれるようで心地良いからだ。
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