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安志&涼編 『僕の決意』7
「ふぅ……なんとか終電に間に合ったぜ」
北鎌倉駅に降り立った俺は、都会にはない北風の冷たさにブルっと震えあがった。
涼はきっと驚くだろう。今日は実家に泊まって来ると思っているからな。
あぁ早く涼に触れたいし、冷えた身体を温めてもらいたい!
逸る気持ちで、街灯の少ない寂しい坂道を一気に駆け上った。
ある程度坂を上り切ると、目が回わっていた。
「ヤベッ! 酒が回ってきたな」
真昼間から高級な酒を結構飲まされたので、かなり酔っぱらっている自覚はあった。しかし飲みなれない酒ばかりだったな。ウイスキーにブランデーなんて俺世代じゃ飲まないって。酒はビールが一番だ! 生ビールの泡なんて最高だ!
「でも、あと少しだ!」
それでも涼に会いたいという気持ちで突っ走った。
本当になんだろうな。この逸る気持ちって。
涼は可愛くって若くてキラキラだから、ちゃんと摑まえておかないと、すぐにどこかに吹っ飛んでしまいそうな、心もとない気持ちになってしまう。
そうさ、涼がモデルとして有名になればなるほど、言いたくないが俺のつまらない嫉妬心が増殖していったのは認めよう。
それが年末年始をずっと一緒に過ごせるなんて、嬉しくて仕方がないよ。滅多にないシチュエーションに新年の朝からかなり浮かれていた。いや正確にはあのクリスマスからずっと浮かれっぱなしだ。クリスマスの朝には単位が危なく大量のレポートを終わらせないといけない涼は、一旦自宅マンションに戻ったが、また正月から三日間を月影寺で一緒に過ごそうという誘いがあり、飛び上がるほど嬉しかった。
なのに俺はそんな涼を置いて今日は実家に行ってしまうなんて……まったく男らしくないと自分を責めてしまう。とにかく今日の俺はこの自分勝手なモヤモヤとした気持ちを持て余しているが、涼に会えたら吹っ飛んでいくだろう!
「あれ? 不用心だな」
月影寺の母屋の玄関は施錠されていなかった。
まぁ中には屈強な男たちがいるから大丈夫だろうが……実際丈さんと流さんのふたりは俺と背も変わらずいい体格だ。
特に流さん、あの人はすごいな。身体を相当鍛えているのは衣服の上からも分かるよ。まるで山男のような風貌で凛々しくってヤバイ! 負けられないと競争心が湧いてくる。
「あのぉ……夜分にすいません」
玄関で声をかけるが誰も出て来ない。覗き込むと廊下の先の部屋から団欒の灯りが漏れている。なるほど酒盛りか。盛り上がってんな。寺の厳かな雰囲気とは真逆の賑やかな笑い声や食器のぶつかる音が漏れてくる。
あの中に洋もいるのかと思うと、明かりが灯るようだ。あの日、洋が失った世界が、ここにはある。
十三歳の春に、洋は母親を病気で亡くした。
それからよく知らない男性……義父との暗い生活が続いた。
正月なんて当時の洋には苦痛でしかなかっただろうに。あいつは、冬休みが近づくと、いつも浮かない顔をしていた。
そういえばある日、変なことを聞いて来たんだよな。あれは中学最後の冬休みを迎える前日だった。
****
「なぁ安志、変なこと聞いてもいいか」
ふたりきりの帰り道、洋が躊躇いがちに聞いて来た。
「どうした?」
「あのさ……普通、正月って何をするもの?」
「普通ってどういう意味だ?」
「正月って親と一日ずっと家にいるだろう。何をするのかなって思って」
「あぁそういうこと。うーんそうだな。親戚が朝からいっぱい来てお年玉もらったり、大人はそのまま昼から酒を飲んで、俺は従兄弟たちとゲーム三昧かな。でも今年は受験生だから勉強しないとな。あぁ、めんどくせーな」
「……そうか」
「ん? じゃあ洋は冬休み何をするんだ?」
「えっ」
突然聞き返されて、洋は何故か顔を赤くした。
「ん……お義父さんがずっと家にいるから」
「ふぅん、アイツか。ふたりっきりで何するの? あんな大人の人と共通の話題ってあるのか」
「え……」
明らかに動揺した目をしていた。
「退屈だろ? なんなら俺んちに遊びに来いよ。従兄弟ばかりだけど洋なら仲間にいれてやるぜ」
「……ありがとう。でもやめておくよ。あの人はそういうの嫌がるから……きっと許してくれない」
「そんなの勝手にやればいいじゃないか。本当の親でもないんだから、もっと言いたいこと言わないと駄目だぞ」
「うん……そうだね」
……
洋の寂し気な微笑みが忘れられない。
あの頃の俺は、なんて無神経なことを言ったんだ。本当の親じゃないからこそ、言えなかったのだろう。
本当にしたいことも、やりたいことも。されたら嫌なことも……嫌と言えず。
あの頃に戻って、あの時の能天気な自分を殴ってやりたい気分だ。
俺はもうあんなガキじゃない。社会人のいい大人だし、あの頃より人の心が深く読めるようになってきているはずだ。だからこそ涼とのことは慎重に進めたい。もう……二度と苦い失敗はしたくない。
去年出逢った俺達の恋。今年はもう一歩踏み出したい。
廊下の向こうから一際大きな歓声が聞こえたので、思わず目を細めてしまった。
あの団欒の中心で、洋はきっと明るく晴れやかな顔で笑っているのだろう。そんな光景を頭の中で想像すると心がぽかぽかになる。俺はもう洋の親みたいな気持ちだ。
あそこに今更、部外者の俺が今更入るのはお邪魔だろうと思い、そっと泊まる予定だった部屋に向かうことにした。
涼に会いたい。
涼を抱きしめたい。
俺だけの涼を――
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