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解き放て 22

 丈との電話を切ってすぐに身支度を整え、ホテルの事務室へ駆けつけた。 「悪いっ、寝坊した」  丁度二人は朝食を囲んで打ち合わせをしていたようで、俺の声に反応して顔を見合わせていた。 「洋、おはよ。いいんだよ。昨日は疲れただろう? 悪かったな。その……五月蠅かったんじゃ」 「……え……えっと」 「Kaiくんっ! ちょっとその話は」    優也さんはものすごく照れ臭そうだった。  それもそうだろう。昨晩の俺達の会話を反芻すれば納得だ。 「あの……優也さん、昨日は俺、飲みすぎたみたいで、いろいろ……もろもろ……すみません」 「いや……僕も酔って、洋くんに、とんでもないことを、けしかけた気が」  二人でモゴモゴ言い合っていると、Kaiがじれったそうに近づいて来た。 「おふたりさん、細かいこと気にすんなって、洋、それからおめでとう!」 「へっ? おめでとうって、何が」  意味が分からない。 「これはサービスだ」  どうやら朝食にパンケーキを焼いてくれたようだ。 「あぁ、朝食のことか」 「そうだよ。洋はちゃんと食べないと、すぐ貧血起こしてふらつくからな。今日はMIKAさんのガイドだよな。体力を昨日ですり減らしただろうから、チャージした方がいいって!」  パンケーキの上にKaiが生クリームを手際よく絞り出し、その上にちょんっとチェリーを置いてくれた。見ればお皿の周りに『졸업 축하합니다』とチョコペンで書いてあった。 「どうだ? こういうアニバーサリーサービスも、ここのレストランでしてみようかと思って」 「へぇ、いいんじゃないか。女性はこういうのスキだよな。でもさ『卒業おめでとう』って、何でこのメッセージ?」 「あははっ、洋のチェリーボーイのことだよ。ほらチェリーのっけてやったろ」 「ばっ……馬鹿! っていうか……何で知っているんだよ! あっ、まさか……あの時、起きてたのか」  恥ずかしい!  猛烈に恥ずかしい! 「洋くん、ごめん……Kaiはねぇ……本当にこういう所が、まだまだお子様なんだよ」  優也さんが申し訳なさそうに、フォローしてくれた。でもそんな優也さんの肌は、血色も良く艶めいていて、一気に脱力してしまった。  この二人って、本当にいいコンビだよな。    俺も早く丈に会いたくなってきた。 ****  今日はMIKAさんと달동네(タルトンネ)を訪問する約束になっていた。 「洋くんごめんなさい。お待たせしちゃた? 」 「いえ、大丈夫ですよ」 「よかった。今日こそ見つかるといいんだけど……母のルーツ、ひとつでいいから、持って帰りたくて」  飛行機で会ってから数日経ったが、MIKAさんの探すタルトンネを、俺達はまだ見つけられていなかった。  そもそもタルトンネ(月を望む街)とは、どこか特定の場所があるわけでなくて、丘の斜面など劣悪な場所に建てられた集落を概してそう呼ぶそうで……ソウル市内でも大なり小なり至るところに、同じ地名があるのだ。 「……MIKAさんのお母さんは、故郷に帰りたがっていたのですか」 「ううん、そうじゃないの。父とは大恋愛で結婚したので後悔はなかったの。だから亡くなるまで一度もそういうことは口にしなかったわ。でもやっぱり心の奥底では自分を産んでくれた親に会いたいと思っていたのでは……。これは私のエゴかもしれないわ。私には母がいてくれたけれども、母にも母がいたわけで……病気の時とか、不安になって、お母さんに会いたいと思ったんじゃないかなって」  そうか……俺の母はどうだったろう?  俺は母の親戚に一度も会ったことがなかったので、ニューヨークで涼のお母さんと出逢い、本当に驚いた。もしも叔母さんに日本での生家のことを尋ねたら、俺も母のルーツを探す旅に出られるのだろうか。  これは……日本に帰ったら、してみたいことの一つになるかもしれない。 「すみません、あまり役に立ってなくて」 「とんでもないわ! 洋くんみたいにカッコいい人と歩けて嬉しいわ」 「俺が……かっこいい?」 「えぇそうよ! 洋くんってモデルとか俳優さん並みの美男子だもん。男の人にしては綺麗過ぎるけれども、ちゃんと男らしくて頼りになるし……あぁやっぱりさっきからすれ違う女性が皆あなたのこと見つめてるわ。韓国女子にもモテるわね」 「え?」  今まで男性から変な目で見られることばかりだったので、意外な言葉だった。 「でもすごく残念、もう結婚してるのよね?」  俺の左手薬指の指輪をMIKAさんは見つめながら、深いため息をついた。 「あーぁ、洋くんの奥さんならさぞかし美人さんなんでしょうね。きっとご近所では美男美女カップルで評判だろうな」  そんな風に他人から見られているとは思っていなかったので、なんだか一気に恥ずかしくなってしまった。

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