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追憶の由比ヶ浜 3

「ようちゃん、またいらっしゃいね~」 「はい、ありがとうございます」  呼ばれ慣れない名前で、気恥ずかしかった。  再び運転し出すと、助手席で翠さんが朗らかに笑っていた。 「くすっ、洋くん、驚いた? 僕や流が小さい時からの贔屓の店でね、おばあさんにはずっとあんな調子で可愛がってもらっているんだ」 「『すいちゃん』も『りゅうちゃん』も、可愛い呼び名でした。あの……丈は一緒ではなかったのですか」 「うーん、丈はね……頑なに行かなかったよ。僕たちが誘っても首を横に振るだけで……でも最中は好きなんだよ。今日は丈の分も買ったから、お土産に持ってお帰り」  しまった! 気を回して丈の分を買えば良かうべきだった。  あぁ、俺は相変わらず不器用だ。  己の気の利かなさに、腹が立った。 「すみません。俺が気付けば……駄目ですね」 「ふっ、そんなことないよ。洋くんがいれば、丈はそれで幸せなんだよ。だから君は何も気にしなくていい」 「……はい」 「僕が兄として可愛い弟にお土産を買ったまでだ。ん? そうだろう」 「ありがとうございます」    翠さんは、こんな風にいつだって向き合っている相手の心の機微に敏感だ。 逆に励まされてしまった。 「あ、間もなく到着します。えっとナビによると……」 「大丈夫だ。ここまでくれば僕にも分かるよ。あの路地を曲がれば、すぐだから」 「こっちですか」 「そう、あ、そこが入り口なんだ。駐車場が左手にあるから停めて」 「はい」  いよいよ、到着だ。 「ここなんですね」    お祖母様の話通り、瀟洒な白い洋館が建っていた。  こじんまりしているが、とても優しい雰囲気が漂っていた。  もう人が住まなくなって朽ち始めていたが、大正浪漫を感じさせる佇まいだ。  俺は一度もここに来たことがないのに、不思議な感覚に陥った。  道を挟んで海が見える素晴らしい眺望……海岸線を走っているのは誰だ。  小さな女の子たち……その後から声がする。 『ゆうちゃん、あーちゃん、お待ちなさい』  若かりし……祖母の声が聞こえた。  その後、空に瞬く星が二つ、白い洋館に降ってくるような情景も浮かんだ。 「生命の源……?」 「洋くん、大丈夫?」 「あ、はい。あの、祖母から鍵を預かっているので、中に入ってみましょう」 「うん。この看板まだあったんだな」  翠さんがすっと指さす場所には、かなりペンキの剥げた看板があった。 『海里診療所』   「わぁ……本当にここは、翠さんが話してくれた海里先生の診療所だったのですね」 「うん、現実に見ても不思議な感じだね。やはり洋くんと僕たちは深い縁で繋がっているんだね」  こんなに素晴らしい人達との縁なら、大歓迎だ。 「嬉しいです」 「あ、洋くん、そっちではないよ」 「え?」 「実は……すぐ隣りに、同じスタイルの洋館が二棟並んで建っているんだよ」 「あれ? あれれ……本当だ」  看板を挟んで右と左。  まったく同じ家が並んでいる。 「海里診療所は左だよ」 「でもどうして、全く同じ建物が?」 「うーん、それは僕にも分からない。洋くんのお祖母様に聞いたら分かるかもしれないね」 「お隣さんは今も住んでいるみたいですね」 「あ……本当だ」  隣の庭に、白いシーツがはためいているのが見えた。   **** 「ようちゃん……」 「え?」 「あら嫌だわ。ごめんなさい……私、何を言って」   つい……洋のことを「ようちゃん」と口に出して呼んでいたのを、雪也さんに聞かれてしまい気恥ずかしくなった あの子はもう30歳近いのに、こんな呼び方は今更よね。 「今度呼んであげてください。きっと洋くんは喜ぶでしょう」 「そうかしら? 気持ち悪がられないかしら」  心配になって雪也さんに伺いを立てると、背後から明るい声がした。   「まぁ、その発言は、白江さんらしくないですよ」 「春子ちゃん!」 「白江さん、ご無沙汰してすみません。今回は英国まで足を伸ばしていたので」 「ええぇ? 日本だけでなく英国にまで行っていたの、あなたはタフね」 「ふふっ、はい。未だに好奇心の塊です。でもこうやって雪くんがデンと構えてくれているので、安心して行っては戻りを繰り返せています」  熟年になった春子ちゃんは日本でも有名な民俗学者となり、著書も多い。本当にびっくりよね。初めてあなたがここにやってきた時は、読み書きも満足に出来なかったのに。 「春子ちゃんはいつもこんな感じですよ」  未だに『春子ちゃん』と『雪くん』と呼び合うおしどり夫婦がここにいる。 あとがき(不要な方はスルー) **** 補足です。 雪也の妻の春子ちゃんの話は『鎮守の森』里帰り番外編 『楓』以降にて書いています。物語はどんどんクロスオーバーしていきます! 他サイトですみません。 https://estar.jp/novels/25788972/viewer?page=72

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