1206 / 1585

追憶の由比ヶ浜 14

「ただいまー、あぁ腹減った」  玄関に部活の荷物をドカッと置き靴を脱いでいると、父さんがやってきた。 「薙、おかえり」 「あ……うん」  父さんは浴衣姿で、風呂上がりの良い匂いがした。目元が腫れぼったいのは……一体どうしたのだろう? また何か嫌なことを思い出したのかと不安になる。 「薙、部活お疲れさま。お腹が空いているだろう? 今日は焼き肉だよ」 「ほんと? あぁもうペコペコだよ」 「くすっ、育ち盛りだもんな。さぁ手を洗っておいで」 「うん、父さん……あのさ、今日、何かあった?」  我慢出来ずに聞いてしまった。だって心配だ。子が親を心配するのは普通だろう? 「薙、ありがとう。お前の存在が嬉しいよ」  優しく穏やかな思慮深い瞳……いつもの父さんだ。  父さんの顔には泣いた痕はあったけれども、表情も声の調子も晴れ晴れとしていた。もう、心は泣いていないようだった。 「父さんは、何か進むべき道筋が見えたような顔つきだな」 「えっ、随分と大人びたことを言うんだな。薙は……」 「オレだって、来年には高校生だからね」 「そうだね、そういえば受験生だ。進路のことも今度話し合おう」 「う……うん、あとでな!」  ヤバイ! 勉強に話が触れたので、そそくさと洗面所にかけこんだ。  **** 「洋、今日は母屋で食事を取らないか」 「あぁ、いいね」   シャワーを浴びていると、丈に声をかけられた。  ふぅ……結局あのまま、ソファに移動して丈に抱かれた。  丈は労るように優しく俺に触れて、俺を癒やしていった。  丈の手は不思議だ。  丈の身体は不思議だ。  お前はすごいよ。いつの時代も俺を癒やしてくれる存在だ。俺は丈がいればいつでも何度でも浄化してもらえるので、安心して今日……翠さんに同調できたんだ。俺の惨い過去……義父にあの日されたことも、翠さんにちゃんと話せた。  髪を乾かしながら、窓の外に目をやった。  竹林の合間に、美しい月が見える。 そういえば、幼い頃から俺はいつも夜空を見上げていた。  夜空に浮かぶ月を見上げると、自然と瞳が濡れるのが不思議だった。  時に母が亡くなった後は特に頻繁だったな。  孤独に苛まれ、怯えていた。 『もう……叶わない』という、切なる想いに埋め尽くされていた。  遠い昔の俺の姿が、今の俺には見える。  月を受け止める湖で悲し気に宙を見上げて泣いたのは、洋月の君だ。   『ただ会いたくて、ただ抱いて欲しくて……丈の中将……君ともう一度……重なりたい』  萩の咲く秋の野原で、闇雲に剣を振り回して、必死に心を静めようとしていたヨウ将軍の瞳も潤んでいた。   『何故だ? どうして――ジョウ、医官のジョウ。お前がいなくて誰が俺の傷を癒やすのだ? 会いたい!』  2つの悲しい魂……思慕する心を持って、この世に生を受けたと、丈と出逢って初めて知った。 「洋、大丈夫か」 「あぁ、少し懐古していたが、もう大丈夫だ」 「そうか」  丈は物静かな男だが、俺の全てを理解し、俺の全てを明け渡せる男だ。 「待たせたな、行こう」 「あぁ!」  手を繋げば、今でもビリッと電流が走るようだ。  運命の人――だから。 「丈、なんだか上機嫌だな」 「そうか……洋、さっきのアレ、もう一度呼んでくれないか」  何を言うのかと思ったら……不器用な丈らしい。  俺はわざと聞き返す。 「なんだっけ?」 「コイツっ」  額を指で軽く弾かれると、笑みが零れた。  すると母屋に玄関に、作務衣姿の流さんの姿が見えた。 「おーいお前たち、遅いぞ! 早く来い!」 「あ、はい! すみません」  俺が走り出すと、流さんが楽しそうに丈を呼んだ。   「おーい、澄ました顔してないで、じょうちゃんもほらほら、走れよ」   じょうちゃん!?  どうやら流さんも上機嫌のようだ。  雄々しくも大らかな流さん、この人が傍に居れば翠さんは大丈夫だ。  俺を癒やすのが丈ならば、翠さんを癒やすのは流さんだ!

ともだちにシェアしよう!