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翠雨の後 7

 父さんと、こんなに柔らかい会話が出来るなんて思いもしなかった。    擽ったくも嬉しくて、思わず頬が緩むよ。  すると父さんもオレと同じ表情を浮かべてくれていた。  よく似た顔に、改めてオレは正真正銘、父さんの子供なんだと思う。  こんなにも父さんを身近に感じられるなんて不思議だな。 「父さん、早くしないと桜が散っちゃうよ」 「ん?」 「桜は入学式までもたないだろうから、今、写真を撮ろう!」 「え、でも……父さん、まだ袈裟だから着替えないと」  あー もう焦れったいな。 「オレは袈裟を着ている父さんと撮りたいんだよ!」 「えっ、僕はてっきり……」  もしかして、オレが嫌がると思った?  父さんの戸惑いは無理もないか。  小さい頃、父さんの袈裟が大嫌いで「はやくぬいでよ」と駄々を捏ねたことを鮮明に思い出した。  袈裟に焚かれた香は子供にはキツかったし、硬い肌触りの布も嫌いだったんだ。  オレって、やっぱり小さい頃から好き嫌いはハッキリしていたんだな。 「父さん、昔は昔! 今は今さ!」  すると、父さんがスッと顔をあげた。    こういう時の父さんって、凜々しさを増すんだよな。  同じ男として素直にカッコいいと思う。 「そうだね、薙……父さんも今を大切にするよ」 「父さんとオレはやっとスタートラインに立てたんだ。まだまだ、これからさ」  そこに竹藪を揺らしながらヌッと現れたのは、流さんだった。 「その通りだ、翠」  流さんは最近、オレの前で堂々と父さんのことを「翠」と呼ぶようになった。  それでいいと思う。  オレは父さんと流さんの子供だから。 「流、いつの間に?」 「そろそろ出番かと思って。ほらっ父さんのカメラを拝借してきたぞ。今日という日をフィルムに収めようぜ」 「流……ありがとう。僕も今日はそのカメラで撮って欲しかった」 ****  翠の心は、真っ直ぐ俺の元に届く。    今、何に怯え、何を欲しているのか。  手に取るように分かるんだ。  遠い昔、この世を去る瞬間まで求め続けた人だからなのか。  まるでテレパシー、不思議な感覚だ。  先程、庭先で洋の母親へ手向ける花を摘んでいると、翠の心が届いた。   ……  薙、いよいよ高校生だね。  ブレザーの制服がよく似合っているよ。  あぁ、この瞬間を写真に収めたいな。  今日という日を、今日の薙を、あのカメラで。  僕らの歴史を刻んだ父さんの一眼レフで―― ……  俺たちの父さんはのほほんとした人で、趣味らしい趣味は持っていないが、一眼レフで写真を撮ることを楽しんでいた。今は自ら望んで母さんの付き人のような生活をしており、箱根や熱海の手狭なマンションを点々とする暮らしなので、私物はこの寺に置きっぱなしだ。  俺たちの成長を収めたあのカメラで、薙を取って欲しいんだな。  よし! 分かった! 今、行く!  そんなわけで俺は今、桜の樹の下で二人の門出を撮影している。  張矢 翠  張矢 薙  これでようやく落ち着いたな。 「よし、バッチリ撮れたぞ」 「ありがとう。流も撮ろう、今度は僕が撮るよ」  兄さんが申し出てくれるが遠慮した。 「俺はいい」 「……でも……」  ここまではいつもの流れ。  だが、ここからは新しい流れだ! 「おーい、二人とも遠慮するなって! じゃあオレが撮るよ」 「薙が?」 「うん! じいちゃんに撮り方教わったことがあるんだ。さぁ、流さんと父さんはもっと近寄って」  桜の樹の下で、俺は胸を張って、翠の華奢な肩を抱き寄せた。 「翠、正々堂々だ!」 「あ……うん……そうだね、僕も顔を上げるよ」  そうだ、それでいい。  ここは俺たちのテリトリー。  月影寺で生まれた愛を静かに育む場所だから、もう背伸びも遠慮もいらない。

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