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雲外蒼天 18
私は、月影寺の山門の階段に安志くんと腰掛けている。
10分、20分待っても、洋たちはまだ戻らない。
すっかり日も暮れ、闇が迫ってくる。
だがその闇は月影寺の門前で跳ね飛ばされていくように感じた。
月影寺にはやがて静かな月光が降り注ぐ。
「遅いですね」
「由比ヶ浜でおばあさまと楽しい時を過ごしているのだろう」
「そうですよね。だけどちょっと腹減りません? 俺、午後ずっと身体を鍛えていたのでペコペコです」
ずっと身体を鍛えて?
むむ、それは負けられないな。
安志くんは洋の幼馴染みなので、私より7歳も若い!
私も外科医として時に10時間にも及ぶ手術と向き合うのだから、体力には自信があるが……おちおちしていられないなと密かな闘志を燃やした。それに私は職業柄、空腹に打ち勝つ術も知っている。
グーグーグー
ところが安志くんは無邪気に腹を鳴らす。
「ははっ、腹時計は正確ですね」
「君は……恥ずかしくないのか」
「恥ずかしいなんてことありませんよ。これがありのままの俺ですから」
「……そうか、それもそうだな」
そこに小さな影が忍び寄る。
「あのぅ~」
振り向けば寺の小坊主小森くんがトコトコと階段を下りて来た。
腹がぽこんと膨らんで見えるのはおやつの食べ過ぎか。
それとも何か抱えているのか。
「お二人ともお腹が空きませんか。さぁ、これをどうぞ」
私たちに鯛焼きをお供えし、合掌された。
差し出されたのは『鯛焼き』だった。
安志くんの腹の音が聞こえたのかもしれない。
「おぉ、仏様のお恵みだ!」
安志くんが遠慮せずに鯛焼きにかぶりつく。
「美味しいですよ~ えぇ! 安志さんは頭からなんですね」
「おぅ! 好きなものは最後に取っておくかた、あんこの詰まった旨い箇所は最後だ」
「ふぅん……好みは人それぞれなんですね」
「そうだ、みんな違って、みんないいってヤツさ! モグモグ」
安志くんの言葉に、小森くんはハッとした表情を浮かべた。
「安志くんのお陰でまた一つ学べました、丈さんも、どうぞ」
「あぁ、ありがとう」
「丈さん、あの、時には待つことも大切なんですね」
「ん?」
小森くんの言葉を噛みしめる。
さり気ない声掛けだが、物事の本質を突いている。
今宵は、いつも洋を待たせてばかりだから、私が待ってみようと思った。
待っていると色んな事が浮かんできた。
洋が戻ってきたらなんと声をかけようか、何をしようか、夕食は何にするか。
今宵はどんな風に洋を抱こうか、洋のワンピース姿はさぞかし綺麗だろうな。
四方八方へ洋への甘い想いが広がっていく。
そうか、私は幸せを待っているのだ。
安志くんも同じ気持ちなのか、私と気軽に肩を組んでくれた。
「丈さんと一緒に待つのもいいもんですね。俺たち、あの過去を共有していますよね。だから丈さんは尊敬し合え、気持ちを分かってくれる友人だと思っています」
友人と?
その言葉にいつになく心が熱くなった。
人付き合いが苦手でいつもムスッと寡黙でいたら、いつの間にか冷静沈着な人間だと定着してしまった。
また一つ世界が開かれる。
人と分かりあえることの喜びを知る。
友人もろくにいない私は、安志くんが気軽に肩を組んでくれることも、私を友人と呼んでくれるのも、密かに嬉しかった。
少しは相手に心を開きたい。
だから精一杯の気持ちを込めて、返事をした。
「そうだな、今宵は友がいてくれるから気長に待てるよ。待つのも楽しいものだ。これから幸せがやってくると思えば……」
「そう! 幸せと言えば、俺の妖精を一目この目で!」
安志くんが俄然元気になるのが、端から見て可笑しかった。
「体力を残してきたようだな」
「え、いやだな。そんな下心ありま……すよぅ!」
明るい安志くんに苦笑しつつ、涼くんとお似合いだと思った。
彼等はベッドの上でも飛び跳ねていそうだ。
「……離れの床は軋むから、気をつけた方がいい」
「え? いやだなぁ、そんなアクロバットなことしま……すかも?」
「ははっ、何かあったら応急処置は流兄さんに頼むといい」
ついお節介を焼いてしまう。
「んー 俺を呼んだか。弟よ」
「流兄さん!」
「鯛焼きが喉に詰まったら大変だろうから、茶を持ってきたぞ」
「ありがとうございます」
階段で、お煎茶を淹れてもらった。
それから流兄さんもドカンと階段に座り、空を仰いで目を細める。
「月見酒と思ったが、今宵はやめておいたよ」
「……そうですね」
「あ、確かに」
何故なら素面で向き合いたい人がいるから。
やがて坂道を上ってきた黒塗りの車のライトに、私たちは照らされた。
まるでスポットライトを浴びたような心地だ。
車の中には、洋と涼、そして白髪の貴婦人、白江さんの姿の見えた。
「全員揃って戻ってきたようだな。さぁ出迎えよう」
安志くんが隣で珍しく動揺した。
「あ、あの……俺、どうしたら? なんと挨拶したらいいのか……涼に迷惑かけるわけには……」
「……さっき君が言った通りでいいと思うが」
「へ?」
「洋と涼のおばあさまは理解のある方だ。だから安志くんもありのままでいるといい」
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