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短編 『雪色の涙』

 それは凍えるような冬の日だった。  俺は朝からずっとキチの警護で外を歩いている。  我儘な王がお忍びで市場を見たいというので、目立たぬよう小人数の近衛隊を編成し警護している。そのため一瞬足りとも気が抜けない。  そんな張り詰めた空気の中、突然色鮮やかな布が風にたなびいているのが目に飛び込んで来た。冬の色褪せた風景の中、そこだけは別世界の様に色で満ちていた。  あれはいつのことだったか……  つかの間の休暇が取れ、ジョウと笑いながら肩を並べ歩いた市場には、色鮮やかな布がはためき、その色に俺は酔いしれ、二人きりの時間に心は踊るようだった。  遠い過去のジョウとの暖かな思い出は、会えない時間が増すうちに、重石をつけたように心の奥底へ沈んだはずなのに……しばらく忘れていたはずなのに、何でよりによって今日なのだ?  こんなに心まで凍える寒さの日に、あの陽だまりのような時を思い出すなんて。  その時ちらちらと雪が降り始め、 粉雪が頬に舞い降りた。そして溶けた雫が、涙のように俺の頬を伝い流れ落ちた。 「ヨウ隊長? もしや……泣いておられるのですか」  通りがかった部下にそう声をかけられ、はっとした。 「馬鹿を言うな! 余所見するな! 気を張れ!」  俺が泣く……そんなはずはない。 「もっ申し訳ありません。雪と見間違えて……」  怒られると思ったのか、そそくさと逃げて行った。 「ふっ……雪のせいか」  泣くに泣けない。  泣く暇なんてない 。  そんな毎日を過ごす俺のことを雪が慰めてくれたのか。 「雪のせいでヨウが泣いているように見えたんだな。良かった……心配したよ。ヨウお前は大丈夫なのか。躰が辛そうだ。俺にだけは強がるなよ」  いつの間にか隣にやって来たカイが微笑みながらそっと囁いた。 そう言われると、この寒さも悪くない気がしてきた。  再び色のない空から舞い落ちてくる雪を見上げて見ると、雪は顔に触れ生きている俺の体温ですぐに涙のように溶けていった。  あぁ……そうか。これなら泣いているように見えないだろう。  今ならそっと泣いても許されるだろうか。  カイだけは知っている。俺とジョウの関係を……そしてジョウが忽然とこの世から消えてしまった顛末も。  あの日冷たくなっていたジョウは、俺の腕の中から朝日に包まれると同時に、突然露のように消えてしまった。王様と赤い髪の女には、願いを込めて時空を超えてもらったのに、何の音沙汰もないまま、ただ時だけが静かに流れていた。あの可愛らしい王様も赤い髪の女も、皆俺を置いて、この世から消えてしまった。  ただ俺だけが取り残され、生き恥をさらすように生きている。  近衛隊長としての顔とは裏腹に、新しく王になったキチに蔑まれ弄ばれる辛い日々だ。 「ジョウ……」  久しぶりに愛しいその名をそっと口に出してみる。  この雪を溶かす肌の温かさに、君と触れ合った日の温もりを思い出してしまうなんてな。  お互いの体温を分かち合った時間 、ジョウの包み込むような熱い眼差し、温かな口づけ、俺を抱く腕の強さ、すべてが懐かしい。  ジョウ、お前は一体どこへ消えてしまったのか 。  またいつか俺の元へ戻ってきてくれるよな?  生きていればきっとまた会える 。  そう信じさせてくれる雪色の涙が一筋、俺の頬を伝って零れ落ちていった。  お前が消えてしまってから次々と俺を襲う辛い現実だが、正面突破していくだけだ。  俺は生きている。  お前に再会するために、死ぬわけにはいかないから。 「逢いたい……」  募る気持ちを胸の奥にもう一度沈め、俺はまた真っすぐに歩き出す。 **** あの日ジョウは忽然と姿を消してしまいました。 それからの残されたヨウの冬のある日を思い描いてみました。こんな風にヨウは、ジョウのことをふとした瞬間に思い出し、また会えると信じて耐えて生きていた。そう思っています。 「重なる月」では洋が奮闘し、王様と赤い髪の女が時空を再び超える時が訪れました。この悲しみに沈みながらも再会を願うヨウの元に、まもなく幸せが形となって現れます。

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