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その後の話 『一枝の春』 2

「この梅を頂戴していこう」  ジョウは腕を伸ばして、頭上の梅を一枝手折った。 「それをどうするのだ?」 「後でお前にやる」 「馬鹿か……女でもあるまいし花など貰っても嬉しいはずないのに」 「まぁいいじゃないか。とても良い香りがするしな」 「……勝手にしろ」  ジョウは時折妙な行動をする。俺みたいな無骨な男相手に、そんな風情のあることをしても無意味なのに……全く恥ずかしい奴だ。だがそう思いながらも、こんな風に王宮を二人で離れ、普段しないような行動や会話をするのが嬉しくもあった。 「さぁ少し急ごう。日が暮れる前に着きたいからな」 「あぁ」  馬を走らせ王様の乳母だった女性が静養する家に、夕刻にはなんとか辿り着いた。 「あぁそうか……乳母とは、あの方のことだったのか」  すっかり失念していたが、乳母は俺の母方の親戚にあたる筋の出だった。彼女は幼い頃から王宮に仕えており、俺と会う機会は滅多になかったので忘れていたのだ。  門番に事情を話し、乳母の部屋まで案内してもらう。すでに王様から文が届いていたようで、すんなりと通してもらえた。 「乳母殿……ご無沙汰しております。近衛隊長のヨウです」 「まぁ……あなたはあの小さかったヨウなの? まるであなたのお顔は、お母さまの生き写しのようですね」  彼女は俺の顔を見るなり感激の涙を零した。俺にはもう母の顔など思い出せないので、戸惑ってしまう。  母に顔向けがで出来ないことがありすぎて、もう思い出さないようにしているうちに本当に忘れてしまったのだ。乳母は母の親戚だ。彼女の顔は母に似ているのだろうか。それすらも思い出せず、何も感じない自分を恥じてしまった。  そんな俺の気まずい雰囲気を、ジョウは読み取ってくれたようだ。 「はじめまして。私は医官のジョウです。さて乳母殿、お加減はいかがですか。王様から生薬を預かってきましたので、少し診察してもよろしいですか」  隣に座っていたジョウが脈診をし出したので、診察が終わるまで俺は庭で待つことにした。  昼過ぎから降り出した雪はしんしんと音もなく降り続き、咲き出したばかりの梅の花を優しく覆うように白く積もっていた。小規模だがよく行き届いた主の心の深さを感じさせる庭園だ。俺の生家もこんな庭があったが、あそこにはあれっきり行っていない。  あの家でジョウと初めて躰を重ねたのだ。その時の震える気持ちを思い出すと、躰の奥底から疼くように震えてしまった。  しっかりしろ。今日はそんな目的で来たのではない。  そんな時、背後で雪を踏む音が聴こえたので振り返った。そうだ……あの日も振り返ったらジョウが立っていてくれた。 「ジョウ……」 「ヨウどうした? 大丈夫か。もう診察は終わったよ。薬湯も作ったので王命はここまでだ。乳母からこの近くに良い宿を教えてもらったので、今日はもう移動しよう」 「そうか……ならばそうしよう」  ジョウの声にはっと我に返り、躰の昂りを悟られないように、必死に沈めるように努力した。 **** 「ここか」 「あぁここで待て、一晩宿を頼んでこよう」  乳母の静養先からそう遠くない場所に、その宿はあった。  それにしても今日はすっかりジョウの言いなりだな。いつもは隊長である俺が部隊を率い、率先して動くので、こんな風に任せっきりなのに慣れなくもどかしくも感じる。だがこんな風にジョウと二人で過ごす機会は滅多にないので、今日位は委ねてもいいかという妙な気分になってくる。  それにしても躰がすっかり雪に濡れ冷えてしまったので、早く濡れた衣を脱いでしまいたかった。  宿の女将と交渉したジョウが微笑みながら戻って来た。 「こんな雪だから、客人は私達だけだそうだ」 「そうなのか……」 「さぁこちらだ」  部屋は母屋から離れた場所にあった。庭先に白い湯気が立ち込めているので何だろうと目を凝らすと温泉のようだった。本当に久しぶりだ。戦で野営することが多く、こんな風に誰かとゆっくりと宿に泊まるなんてことは滅多にない。  しかもその相手がジョウだと思うと、柄にもなく恥ずかしく、頬が火照って行くのを感じて……それを見られたくなくて顔を背けてしまった。 「どうした? ヨウ……もしかして緊張しているのか」 「いや、それより、お前は何故そうも淡々としているのだ」 「はっ馬鹿だな、私が落ち着いているとでも思ったのか」  そう言いながら、ジョウは俺の手をとり、自分の下半身へと誘った。 「あっ」  布越しにもはっきりと分かる。すっかり形を変えて硬くその存在を誇示しているようなジョウのものに触れて、びくっとした。 「ヨウ、もう待てない。こんな風に二人きりの夜はいつぶりだろうか」 「ジョウ……」  そのまま、勢いよく寝台に押し倒される。 「あっ待て、衣が濡れているから」 「脱げばいい」  そう言いながらジョウがいつになく乱暴な手つきで忙しなく、俺の衣類を一気に脱がしていく。いつもは付けている重たい鎧も今日は簡素なものにしていたので、あっという間に裸に剥かれてしまった。燭台の灯りの下で、一糸纏わぬ姿にさせられ、ジョウが俺の全身を包みこむ様に抱きしめてくる。 「ヨウ……ヨウ……やっと今宵は存分に君を抱けるのだな」  肌を合わせた先から、ジョウの心臓の鼓動がトクトクと早鐘のように聞こえてくる。  俺だけではないのだ。この男も俺と同じ気持ちだったのだ。俺がこの男に差し出せるものは、この躰と君を想う気持ち……ただそれだけだ。  人前では決して触れ合えぬ。王宮ではこうやって過ごす時間もない。  だからこそ今宵は……存分に……そんな気持ちで満ちてくる。 「あぁそうだ。抱いてくれ」 「ヨウ……先ほどの梅を枕もとに置いてもいいか」 「……梅の香りは好きだ」 「そうか……良かった。これは※一枝之春(いっしのはる)さ。今宵の記念に、君に何か贈り物をしたくて。だが急過ぎて何も用意できなくてな…」 ※【一枝之春】 江南に住んでいた陸凱が、北方に住んでいた范曄に「ここ江南には、なにも贈る物がないので、とりあえず梅の一枝とともに春をお届けします」と一首を認めたもの。 贈范曄詩    「范曄に贈る」詩                     折花逢驛使  花を折って 駅使に逢い            寄與隴頭人  寄せ与う 隴頭(ろうとう)の人に       江南無所有  江南 有る所無し               聊贈一枝春  聊(いささ)か贈る 一枝(いっし)の春    そう漢詩を口ずさみながらジョウは、枕元にそっと梅の枝を置いた。  途端に芳醇な梅香がふわりと漂い出して来た。  その香り漂う中、優しい口づけから始まる営み……  俺はジョウに大切にしてもらっている。こんなことをされると、嬉しさが募り胸を占領して何故か逆に泣きたいような気持になってくる。  あぁそうだ。俺はずっと待っていたのだ。こんな風に俺のことを一心に求め、大切にしてくれる相手が現れることを。  その相手は君だ。  ジョウが愛おしくて堪らない。  その気持ちを込めて、俺も口づけを深めていく。

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