1 / 1
第1話
青い海、デカイ花火、涼しいプール。
オレは夏休みが大好きだ。毎日遊んで過ごせる最高のシーズンだからな。
でも、そんな楽しい夏休みも今年で最後だろう。兄ちゃんが中学はそんなに甘くないぞ、リュウは今の内に楽しんどけ、って言ってたからな。
小学生最後の夏休み。7月中に宿題を済ませたオレは毎日友達と遊び回っていた。
そんな夏休みラブのオレも、嫌いな時期がある。それはお盆だ。
お盆の間は友達がみんな街からいなくなっちまう。みんなは親の実家に帰省してるらしい。しかし、オレは婆ちゃんと一緒に住んでるから帰省しなくてもいいのだ。
家に引きこもってるのも癪なので、オレは目的もなく近所をぶらついた。
容赦なく照りつける日光がオレを刺す。汗が粒となって全身から吹き出してきた。
こんな暑い日は木陰で涼むのが一番だな。オレの足はみどり公園に向かっていた。
みどり公園はこの街で一番大きな公園だ。隣接する林と繋がっていて、木に覆われた公園は昼でも薄暗い。林の奥では近所の子供が建てた秘密基地をよく見かける。
子供たちに大人気のみどり公園だか、唯一誰も近づきたがらない場所がある。
それは公園の一番奥にある、古い公衆便所だ。外から吹きこんだ落ち葉や、誰かが捨てたゴミが散乱したトイレの利用者は皆無だ。
大人はよく、あのトイレに近づいてはいけないと言う。
それを聞いた友達は「あそこには、おっかないお化けがいるから行っちゃダメなんだよ。」と物知り顔で言った。
オレは知っている。あんな暗くて誰も来ない所には悪い奴らが寄り付きやすいんだ。だから大人はあそこに行くのを禁止するのだ。
駄目と言われたらしたくなるのが人間の本能だ。
実を言うとオレはあのトイレに一人で行ったことがない。今日はとても暇だから新しいことに挑戦するのも悪くないな。
オレは禁断の公衆便所に駆け寄った。
=====================
その公衆便所を覗いてみると、何故みんなが怖がっているのか理解できた。
水垢と砂埃で汚れた壁に割れた鏡、点滅する蛍光灯、トイレのドアに描かれた巨大な落書き。
オレは来たことを一瞬で後悔した。さっきまで胸に広がっていた好奇心はすっかり萎んでいた。
……ウッ……ヒック、ウッ……ウェ……
風の音か?いや違う。蝉の鳴き声でもなさそうだ。
まさかこの音は……泣き声?噂の幽霊……!?
グチャグチャになった頭で必死に考えた。とにかく今は、トイレの奥にいる幽霊に気付かれないように外に逃げなくては。
しかしオレの脱出作戦はすぐに終わった。
一歩踏み出した瞬間に床に散らばっていた枯れ枝を踏んでしまったのだ。
ギィィっと背後でドアの開く音がする。
もう、こうなったら戦うしかない。死を覚悟して振り向いた。
=====================
そこには涙で顔を濡らした少年が立っていた。スラッとした体型に目元が隠れそうな長めの黒髪。泣き腫らした目元に広がる赤黒い痣。
幽霊のような人間だった。
「おま、あなたは人間ですか……?」
12にもなってこんな馬鹿げた質問をするとは思わなかった。
幽霊人間は、蝉の鳴き声に負けそうな細い声で言った。
「人間だよ。驚かせちゃった?ごめんね。ここに利用者がいると思わなかったんだ。」
事情を聞くと、幽霊人間こと結城祐一はよくここを利用するらしい。
兄ちゃんと同じ南中学に通う中学一年生で、夏休みになってから毎日トイレに来るらしい。
祐一に質問攻めしたオレは一つだけ聞けなかったことがある。
その痣は誰のせいで出来たんだ?
=====================
その日を境にオレは公衆便所に通い詰めるようになった。祐一が中にいるかは泣き声の有無で判断した。
祐一がいれば泣き止むまで待ち、その後取り留めのない話をした。
色々なことを話した。夏休みの宿題や中学校の授業のこと、そして心霊スポットとかしたトイレの汚さ。
たわいの無い雑談でも無意識に避ける話題は彼の顔や腕にある痣と、彼の両親のことだ。
ちょっと前に、親に暴力を振るわれる子供の話を図書室で読んだことがある。
きっと祐一も被害者なのだ。彼が話したがらないのならオレは無理に聞かないつもりだ。
8月も終盤に差し掛かる頃には、祐一の顔に笑顔が増えた。
「リュウと会ってから毎日が楽しいよ。このままずっと一緒にいたいなあ。」
その言葉にどきりと胸が動いた。
年上の祐一に頼られる喜びと、新しい友達が出来た高揚感とは違った胸の高鳴りだ。
こんなの初めてだ。祐一と会ってから自分の中の、何かが変わっていくのを感じる。
=====================
その日は久しぶりに友達と遊んだ。こんがりと肌を焼いた彼を見るに、相当お盆を満喫したのだろう。
走り回るのに疲れて、木陰で寝そべった。
黙っているのも暇なのでオレは彼に話しかけてた。
「最近、新しく友達が出来たんだ。でも、そいつといると変な気持ちになるんだよなー。」
「変?例えばどんな?」
「そうだなあ……。嬉しいような、緊張するような感じだな。」
彼はニヤつきながらオレをからかうような口調で言った。
「リュウちゃ〜ん。それって恋じゃないの?青春だねえ。まあ、俺は中学生になったら彼女つくるつもりだぜ!」
友達の声が遠くなっていくのを感じた。
恋?オレが祐一に?
=====================
人を好きになるってどんな感じだろう。
祐一と恋をしたら楽しいのかな。
よく理解出来ない感情を受け止め、整理するのには時間がかかる。
それでもオレは翌日、公衆便所に行った。不可解な感情を抱いたまま祐一に会うのは少し不安だったのだが。
トイレでは、いつものように祐一は泣いていた。
泣いている祐一を見たくない。
オレは咄嗟に個室のドアを開き中に入った。鍵が壊れていて良かった。
祐一は涙を流したまま、ぽかんと口を開け、こちらを見つめている。
ああ。また新しい痣が頰にできている。
祐一の体をぎゅっと抱きしめた。
「オレは祐一の力になりたい。こうして泣いてるお前を抱きしめるくらいしか出来ないけど。」
言ってしまった。これじゃあまるで愛の告白じゃないか。
後悔したその時、祐一もオレを抱きしめ返してきた。
「……ありがとう、人にこんなに優しくされたのは生まれて初めてだ。
もう少しだけ、このままでもいいかな……?」
抱きしめる力を少し強くした。
真夏の公衆便所で祐一と抱きしめ合っているこの状況が、たまらなく幸せに感じたのだった。
=====================
夏休み最終日。オレは重い足取りでみどり公園に向かった。
学校が始まっても祐一に会えるのだろうか。それだけが心配だ。
公衆便所に着くと、祐一は外でしゃがんでいる。向かって行くオレに気付くと、立ち上がってこちらに走ってきた。
「リュウに伝えなきゃいけないことがあるんだ。大丈夫、いい知らせだよ。」
「……何?教えてほしい。」
「僕、秋から両親と離れて、親戚の家に住むことになったんだ。それをリュウに伝えたくて……。」
しかし、祐一の表情は曇ったままだ。
潤んだ瞳でこちらを見つめる。
「でも、僕は街から離れる。引き取ってくれる叔父さんの家に住むんだ。…だからリュウとは会えなくなる。」
目頭がカッと熱くなった。目の前の祐一の姿がぼやける。
「……オレのことは気にすんな!新しい生活、楽しいといいな。」
オレに出来ることは一つ。笑顔で祐一を送り出してやることだけだ。
=====================
こうしてオレの一夏の初恋は終わったのだ。そんなオレも今日から中学生。
壁に張り出されたクラス表を見ようとした。全学年分同じ場所に貼るので、玄関前は人で溢れた。
人混みに流され、いつの間にか二年生のクラス表の前に移動していた。
なんとなく眺めていると見覚えのある名前を見つけた。
結城祐一
祐一がこの学校にいる?オレは人混みをかき分け、大声で彼の名前を呼んだ。
喉が痛くなり始めたその時、後ろから懐かしい声がした。
「リュウ」
そこには夏より背が伸びた祐一が立っていた。
「今年の春からまた、南中学に通うことになったんだ。
あの日からずっとリュウのこと忘れてないよ。」
オレは祐一に飛びついた。
これからは暗い公衆便所以外の場所で、祐一と過ごせるんだな。
あの日は堪えた涙は
今は止まらなかった。
ともだちにシェアしよう!