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第140話 やり残した事(2)
執務室へと戻ったユリエルに、クレメンスとシリル、そしてレヴィンが苦笑する。一仕事を終えたその心地よい疲れをほんの僅かに感じている。
「休まれますか?」
「いや、いい。それよりもクレメンス、知っていたのか?」
問えば、悪戯っぽい笑みを浮かべて片眉が上がる。実に楽しそうだ。
「いつだ?」
「リゴット砦の戦が終わった直後です。陛下こそ、随分と早くお耳に入れていた様子。リゴットの一件は、これが原因ですね」
問われ、ユリエルも困った様に頷いた。
「お前の事を過小評価していたらしい。クレメンス、優秀な臣を持った私は幸せだ」
「再評価を頂けました事、光栄に思います。ですが陛下、臣として一言申し上げます。信じていただけねば、主の心を疑います。貴方が信じ、託して頂けないと動けない。我らはいつでも、貴方の無謀を現実にするために尽力いたすのです。忠義を疑えば、人は離れましょう」
有り難い忠告をもらい、ユリエルは苦笑して頷く。だが、事があまりに大きすぎて言えなかったのだ。今もまだ、言えないのだ。
「陛下は随分と前にこの情報を仕入れていた様子。ですが、ルルエに間者を個人的に入れてはおりますまい。繋がりを持つルルエの者がいるのですか?」
「そんなところだ。だが、これ以上は詮索するな。相手の素性は明かせない。危険に晒す事はできない」
「心得ております」
丁寧に礼をしたクレメンスは、本当にこれ以上は踏み込まない。そこが有り難い。
「ですが、やはり問題はルルエの現状です。あの国は教皇と国王が同列にいる。その教皇が野心を持って国を侵食しているのでは、王もうかつには動けないのでしょう。和平の道は教皇を退けねば遠い」
「宗教家に手を出せば、和平への道は遠ざかります。ルルエの民は王を敬愛し、神を信仰している。教皇を害すれば、民の反発はこちらに向きます。和平は叶わない」
ユリエルの言葉に、クレメンスも深く頷く。
実際の問題、これは大きい。ルーカスは教皇を廃するための手を打っているが、明らかな謀反の証拠がなければ教皇の不信任を出す事も難しい。出したとしてもルーカスを民が選ばなければ、玉座から落とされるのは彼の方になる。
なんとも悩ましい。自国のことなら手の打ちようもあるのだが、他国の政治に介入するとなるとかなり繊細にしなければいけない。
ルーカスの助けになりたいが、出過ぎれば彼を危険に晒す。この微妙な力加減に苦慮しそうだ。
「ユリエル様、ルルエ側に協力者がいるのでしたら、細かな情報を拾う事をお忘れなく。こちらは準備が整っております。効果的な時に、効果的な方法でアプローチをする。ですが、教皇側の人間に知られる訳にはゆきませんよ」
ユリエルはその言葉に、思慮しながらしっかりと頷いた。
その夜、執務室隣の仮眠室を訪ねる者がいた。ユリエルが開けるとシリルとレヴィンが並んで立っている。穏やかに笑い、ユリエルは二人を迎え入れた。
「どうしましたか?」
「兄上、ルーカス様とはその後どのようになっているのですか?」
事情を知っていると面倒がない。気遣わしい様子でシリルが問いかける。レヴィンも頷きつつ、周囲の様子を注意深く探っているようだ。
「…私がリゴット砦を出る前に会った様子では、苦戦しているようです」
「親書のありかが分からないのですか?」
「それは分かったようですが…持っている人物が実に厄介なようです」
心配そうな顔をするシリルに、ユリエルは腰を下ろしてゆっくりと事情を話し出した。
リゴット砦を出る前に、ユリエルはルーカスと会った。長く離れる事になりそうだったから、その前にと思って。
事情を聞いたルーカスはとても心配そうな顔をした。その心配がユリエルばかりではなく、シリルやレヴィンにまで及んでいるのは確かだった。
「無理をしないでくれ、ユリエル」
「分かっています」
「シリルもレヴィンも、無事でいてくれるのを願う。タニスの地が平定されることを、心から願う」
穏やかに、深い優しさを込めた言葉に頷き、抱きしめてくれる腕に甘えた。離れるとしばらく会えない。こうした時間も、あとどれくらいか。
「必ず収めてきます」
「あぁ」
「貴方の方はどうですか? 親書の行方、分かりましたか?」
問いかける。それに、ルーカスは実に深刻そうな顔で頷いた。
「親書を持っているのは、バートラムという男だ。聖教騎士団団長、つまり軍事総長をしている。教皇アンブローズの直属の部下だ」
その事実に、ユリエルは僅かに落胆した。そのような人物が親書をかすめ取ったのなら、もう残ってはいないだろう。
肩を落としたのが伝わったのか、叩かれる。そしてとても穏やかな金の瞳が、ゆっくりと首を横に振った。
「あの男が関わったなら、おそらく親書は残っている」
「え?」
信じられないが、ルーカスは確信しているようだった。どういうことなのか、それを問いたい思いで先を待っている。
「アンブローズという男は歪んだ征服欲を持っている。こういう男は実に厄介だが、バートラムは違う。奴は狡猾だが、中身は権威欲と金欲だ。実に扱いやすい」
確かにルーカスの言う事にも頷ける。征服欲というのは実に厄介だ。他を平伏せなければ収まらず、その為に様々な事をしでかす。権威や金も厄介だが、まだ俗物だ。
「だが、問題は狡猾さと肝の小ささだ。軍人としての腕はあり、自信に満ちているがそのくせ小心だ。故に保身に走って始末すべき証拠を持ち、自身は城以上に堅牢な屋敷に住んでいる」
「なんてちぐはぐな…」
とは言うが、案外そういうものなのだろうか。
ルーカスまでもが苦笑して頷いている。彼もまた、そう思うのだろう。
「うちの密偵に探らせて、ほぼ間違いない事が分かったが潜入ができない。顔を見知った精鋭の部下百人が常に常駐だ。手伝いや出入りの人間まで顔見知り以外を屋敷に入れない徹底ぶりだ」
「随分ですね」
「あぁ、まったくだ。この状態では密偵を入れられない」
「その密偵というのは、以前レヴィンと刃を交えた者ですか?」
「あぁ、そうだろうな」
そういうことなら、少し話を聞いた。まだ若い小柄な人物だったと記憶している。
「ヨハンという。腕はいいが小柄で力がない。百人の屈強な騎士を相手にするには力が足りない。長時間の戦闘には耐えられないだろう。しかも屋敷に人を入れない事で見取り図が分からない。どこに何を隠しているのか、まったく掴めていない。しかも奴はよほどじゃなければ自ら戦場に出ていかない。可愛い部下を送り出すばかりだ」
「それはいいのですか?」
責任ある者が引きこもり、部下ばかりを表に立たせるなんて。誰よりも前に立って戦場をかけるユリエルからは想像できなかった。
「俺が命じる事のできない聖教騎士団だ、どうにも奴を屋敷から出せない。しかも俺が何かをすれば、教皇アンブローズに感づかれる。手詰まりだ」
「引き離す事が出来ればいいのですがね」
確かに厄介だ。探すにはよほどの確信があるか、奴を長時間引き離すしかない。しかもルーカスの管轄にないのでは、現状動きようがないのか。
「こちらは何とかする。ユリエル、まず君は国を治めてきてくれ。そちらだけでも準備が整えば、後に動きやすくなるだろう」
そう言って、穏やかに微笑み見送ってくれた人物は優しいキスをくれた。
ルーカスの現状を伝えたユリエルに、シリルとレヴィンは複雑な顔をする。動きが取れない事は察してくれたらしい。
「難しいな、それは。暗殺も密偵も、まずは中に入り込む事が一番だ。そこがまずできないのは難しい。おそらくフェリスでも、顔見知りばかりで現場を仕切られると動けない」
「やはりそうですか」
どうにかならないか。思ってフェリスに例え話で聞いてみたが、即答で「無理です」と返ってきた。
それによると、変装して入り込む事までは可能なのだと言う。だが、あまりに人の関係が密な場所だとちょっとした仕草、話し方、会話のズレが違和感となるそうだ。そこから綻びが出る。彼女いわく、一時間程度の潜伏が精々とのことだ。
「どうにか表に出す方法はないのでしょうか」
シリルの問いに、ユリエルも上手くは答えられなかった。
「まぁ、そちらは状況を見ながら考えます。ところでシリル、本当に私と一緒に前線に戻るつもりですか?」
問いに、シリルは目を丸くして至極当然のように頷いた。
「はい、ご一緒します」
「王都でも十分に貴方の力は発揮できますよ。それでもですか?」
「はい。兄上は前線で軍の指揮を執ったり、和平に向けた頃合いを見計らったりしながらの執務です。僕は戦場に出る事はできませんが、日々の執務を軽減する事はできるでしょう。兄上の側で直接、お役に立ちたいと思います」
淀もない視線にユリエルの方が苦笑する。戦う事を恐れ、戦場を恐れていたはずなのに今ではこうだ。なんて頼もしい。
確かにシリルが側につく事は有り難い。以前は彼を傀儡にしようとする輩がいたが、今はいない。だからこのまま王都詰めでもいいと思っていたのだが、どうやら手伝ってくれるようだ。
「後方の支援や、兵糧の管理、国内情勢の把握はお任せ下さい」
「そんなに?」
「はい。今クレメンスさんに内政で出来る限りの軍事支援を教えて頂いています。大体は把握できましたので、後は少しずつ実践を交えてやっていけば、コツが掴めると思います」
「…」
一ヶ月、ユリエルが国政で忙しくしている間にシリルもまた逞しく成長したようだった。
「ユリエル様、前線が動いたらあの人との情報交換どうするつもりだ?」
レヴィンはそう問いかけるが、既に何かを察してくれているようだ。その点を、ユリエルも困っていたのだ。
今は谷間の家で会話をしていたが、リゴット砦よりも前に前線がせり出せばあそこが使えない。彼と連絡を取る方法は鷹のフォレだけとなってしまう。それも頻繁には飛ばせないだろう。
「俺が運ぼうか」
ニヤリとレヴィンが笑い、シリルが頷く。てっきり反対するかと思っていたシリルは、あっさりとこの事を了承しているようだった。
「いいのですか?」
「俺はあの人の顔を知ってるし、あの人も俺が味方だってのは知ってる。周囲にばれないようにできれば、話が早いだろう」
「兄上、レヴィンさんに任せて下さい。勿論身の危険が迫れば引き返してもらいますが、これは大事な事です。すれ違ってしまったら大変な事です」
「シリル…」
にっこりと笑うシリルに穏やかな笑みを浮かべ、ユリエルは心から頭を下げた。
翌日、国民は城の前の広場に集められた。そこには旅人や商人の姿もあり、今や遅しとユリエルが出るのを待っている。
ユリエルは凛とそこに立った。一歩下がってシリルとレヴィン、クレメンスが立ち、その更に後ろに家臣団が控えている。人々の熱のある視線を受け、ユリエルは心を落ち着けて語り始めた。
「ここに集まるタニスの民に、国王ユリエルより大切な事を伝えたい」
男の声にしては高く、女性にしては低い。だが耳に心地よく、よく響く声をユリエルは持っている。通りにまで溢れる人のその端々にまで届くよう願いを込め、ユリエルは更に言葉を発した。
「この度、宰相ロムレットは国の臣や多くの民を人知れず葬り、その周囲の者も同じ罪を犯した事実は知らせた通りだ。だが、彼が犯した罪はそればかりではない」
人の息を呑む声は、これほど集まれば大きな揺らめきに聞こえる。動揺は未だに人々の中にあるのだろう。表向きは落ち着いていても、あれだけの人の処刑は目に焼き付いてそうは離れないものだ。
「ここに、ルルエ国王ルーカス・ラドクリフ王からの親書がある」
手に、丁寧に畳まれた親書を持って人々の前に掲げた。それがどれほど小さいかは分かっている。紙には僅かに赤黒く変色した部分もあった。これを持った使者が、最後までこれを手放さなかった証だ。
「彼の者はルルエの使者を殺し、王の親書を奪い取った。国家に背く、しかも宰相という立場にある者にあってはならない行為だ。これがもしも開戦前に届いていれば、国家の行く末はもっと穏やかなものとなっただろう」
ザワリザワリ、人の動揺は空気となって伝わってくる。人々のそれは大きな波だ。ユリエルはその前で、親書を広げた。
「親書をそのまま読む。皆に伝える王の言葉を、そのまま受け止めてもらいたい。
『タニス国王、ユリエル・ハーディング殿
この度のタニス侵攻は、ルルエ国王としての私の治世において最も愚かな、猛省すべき行いだと思っている。多くの民が死に、私もかけがえのない者を失った。全ては王としての力不足によるものだ。
だが同時に、貴殿の心を知る事ができた。人づてに、貴殿が両国の死者を分ける事なく等しく葬り、丁寧に慰霊を行ってくれた事を知った。心より感謝する。
碑に刻まれた貴殿の、両国を憂い平和を願う言葉を聞いて、貴殿とならば血濡れた国の溝を埋め、手を取り合って和平を結ぶ未来を描けるのではないかと思っている。
二国の間にある溝は歴史の深さだけあるだろう。だが、どこかで手を取る事ができねばつぶし合う事となる。これ以上の争いを私は望まない。私はタニスという国を、平和的に旅し、触れてみたいと願っている。
貴殿の中に私と同じ心がある事を願い、ここに話し合いの場を求める。過去の清算と、これからの国のあり方を語らいたい。
色のよい返事を待っている。
ルルエ国王、ルーカル・ラドクリフ』」
親書をしまい、ユリエルは瞳を閉じる。
この親書を読んだとき、一人で部屋で涙を流した。これがラインバール開戦よりも前に手元に届いていれば、彼と穏やかに出会い、驚きつつも話ができただろう。潜んで愛を育むのではなく、もっと堂々と会うことができただろう。
そうならなかった事が悔しい。そして改めて、彼の心を知った。彼の大きな願いを知った。
人々もまた、動揺している。静かに揺れるそれが、困惑を伝えてくる。胸の苦しさを押し込め、ユリエルは凛と前を見て問いかけた。
「私がこの親書に応える事は簡単だ。王として、これ以上の争いを私も望んではいない。悲しい歴史を無視する事はできなくても、これからの未来に同じ影を落とし、怒りと憎しみに支配されて血を流し続ける事を望んではいない。だが、王の一存では本当の意味で国を動かす事はできない」
視線がこちらを一身に見る。言葉を待つその視線に立ち向かうように、ユリエルは更に言葉を紡ぐ。
「国の心は民の心。私はそのように思っている。この声を聞く皆の心には、未だ憎しみが宿るのだろうか。その憎しみを、子や孫に伝え続けるのだろうか。戦いがその身ばかりか、愛しい者を焼く事を望むのだろうか」
顔を俯ける人の姿も見ることができた。多くの人の心に問う、王の声はなおも訴える。この胸にある深い願いを届けるように切々と、ユリエルは声を張り上げた。
「私は戦を止めたい。これ以上の流血を願ってはいない。この国の痛みはそのまま、ルルエの痛みでもあると考えている。戦で死ぬのはこの国の民ばかりではない。ルルエの民もまた同じく死んでいる。憎しみではなく、同じ痛みと悲しみを知る者として許し合う事も必要だ。慰め合う気持ちも必要だ。そしてそれは同じく戦い失ってきた両国だからこそ、出来ると信じている」
ジョシュを殺したユリエルを、ルーカスが許したように。深い慈悲の心を彼から貰ったのだ。あの瞬間の安堵を、そして深い贖罪の気持ちをユリエルは忘れない。そんな彼だからこそ信じている。
「今一度、立ち止まって考えてもらいたい。戦いがもたらす多少の土地や利益よりも、受ける悲しみの方が深い事を。隣人の悲しみを。ここにいる多くの者の心に、私は問いたい。和平を願う心があるのかを。私は頃を見計らい、両国の停戦と和平交渉の席に着く。その時に隣人を受け入れる心が皆の中にあるのか。それが、一時的ではない二つの国の絆には必要な事だ」
一時を平和に保てても、そこに住まう人が拒めば本当の意味で平和な関係とはならない。ユリエルが死に、ルーカスが死ねば崩れる脆い和平では困るのだ。それに、最終的な願いは一国。民の心が許し合わなければ、遙か遠い事となる。
だが、安心した。声を聞いた人々の中から、強い負を感じない。戸惑いもあるが、考えてくれている。ユリエルは考えを押しつけるつもりはない。それほどに憎しみを深く持つ人もいて、それを押し込めると歪むのだ。だから、考えてもらいたいのだ。そう、訴えたのだ。
「陛下、まずは受け入れられたようですね」
ユリエルに聞こえる声でクレメンスが言い、背後の臣も深く頭を下げて安堵の表情を浮かべている。ユリエルもそれに頷いた。
そしてもう一つの罪を、誰にも知らせずに今明かそうとしている。
「もう一つ、ここにいる民に伝えたい事がある」
静かに声を落ち着けたユリエルの声に、一度俯いた視線が上がった。
これには話を聞いていないクレメンスやシリル、他の家臣も驚いたように顔を上げ、動揺を露わにしている。それに構わず、ユリエルは続けた。
「この度、この親書を宰相ロムレットから守った者がいる。その者はかつて天使と呼ばれ、忌みとして見放され、多くの罪を背負わされた者だった」
動揺は一番大きいだろう。民達の間では未だに天使の影がある。隠そうとすればするほどに、こうした事は根強くあるのだ。
「その者はロムレットに天使である事を強要されながらも、いつかその罪を明かそうと多くの証拠を守り抜いてくれた。そしてこの親書もまた、私に届けてくれた。彼がいなければ、私は彼の王の心を知る事はなく、今もまだ戦う事を決断しただろう。残念な事に、その者は既にこの世にない。最後の天使は使命を果たして世を去った。王として、私はその者の功績に感謝すると同時に、彼らの存在に蓋をして消し去った国の罪をここに認め、謝罪をしたい」
人々の中に、ユリエルはフェリスを見た。大きな目に涙を浮かべた彼女は人前だということを忘れて泣いている。
そして、背後でも空気が揺れるのを感じている。今、レヴィンを見る事はできない。彼らの今後を考えて、天使はこれ以上いないとしたのだ。悟られてはいけないし、そんな必要はない。天使はいなくなる。本当にもう、いなくなるのだ。
「国の卑劣な行いによって死んだ、多くの子供達。そして、未来を歪められてしまった者達に、王として謝罪する。すまなかった」
一歩下がり、頭を下げるその姿を、民はどう見るのだろうか。間違いを間違いと認めなかったこれまでを、どうしてもユリエルはよしと思えなかった。晒す事になるが、これでいい。この治世はこれでいい。そう思っている。
ポンと、肩を叩かれる。見ればシリルが隣に並んで、ユリエルの代わりに一歩前に出ている。人々の声があがった。ユリエル以上に、シリルは民の前に出ないから。
「タニス国王ユリエル陛下の弟、シリルと申します。王に代わり、皆にお願いがあります。国の暴政によって亡くなった多くの子供達は、温かな手を必要としていました。国はその子供達に絶望を与え、道具のように扱い殺しました。時を戻す事は叶わず、散った命を取り戻す方法はありません。私たちに出来る事は心からの贖罪と、祈る事ばかりです。どうか、祈ってください。恐れではなく、哀れみと来世を願い、安らかに眠るよう共に祈りを捧げてください」
胸に手を当て、瞳を閉じて祈りを捧げるシリルを見つめ、ユリエルも頭を上げて同じく祈りを捧げた。見れば多くの人々もまた、一人、また一人と胸に手を置き祈りを捧げてくれる。
この国は大丈夫だ。まだ誰かを思う心を忘れていない。祈る事を忘れてはいない。ユリエルはそう確信し、心の中で何度も感謝した。
執務室に戻るといきなりフェリスが抱きついてその頬にキスをした。ずっと言葉のないレヴィンもまた、シリルを抱きしめユリエルの側にいる。
「ありがとう、陛下」
フェリスの感極まった声に微笑み、抱きついたままの頭を撫でてやる。側に近づいたレヴィンもまた、ユリエルの背中に額を当てた。
「無理して…もう、いいって言ったのにさ」
「私が気持ち悪かったんですよ」
「バカ正直。どうすんのさ、反発されたりしたら」
「私のやり方で認めさせますよ」
泣きそうな二人を慰めるユリエルを見る、シリルとクレメンスもまた穏やかな表情で笑っている。
何にしても、これでユリエルも一つの区切りがついた。気持ちは前を、ルルエへと向けたのだった。
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