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番わない覚悟★

 身体を重ねて少し落ち着いたため、和泉に抱えられて朔耶はシャワーを浴びた。和泉は自ら浴室に湯を張り、身体から力が抜けてしまった朔耶をわざわざ運び、身体を洗ってくれ、共に湯船に入った。  取引先のドクターなのにと、申し訳なさしかない。  いつまた発情の波がやってくるか分からない。多忙な和泉をこの学会期間に拘束し続けるわけにはいかない。  朔耶は汗を流して少し休んだら、大変不本意ではあるが、和泉に緊急抑制薬を投与してもらい、ホテルに戻ろうと思っていた。  広めの湯船に和泉が背中を預け、朔耶の身体を抱えるように浸かっている。背を向けているので、目を合わさなくて良くて助かっている。ただ、ずっと和泉の左腕が、朔耶の腰を抱いていて、もう一方の手は朔耶の性器を緩く弄っている。  そこにどうしても意識が行ってしまう。 「和泉先生……」  朔耶にとって和泉は大事なクライアントだ。和泉に請われ、名前で呼ぶことを了解したが、朔耶が和泉に話し掛けるのに、敬語以外の選択肢などない。 「あの……」 「ん……?」 「本当に、ご迷惑をおかけして……」 「……」 「オメガだってことも……」 「なんで、言わなかった」  和泉の口調が少し硬いことに気付く。 「言えませんでした……」 「会社にそう言われた?」  少し躊躇って、首を横に振る。はっきり、そう言われたわけではない。自分がそう判断しただけだ。  あとは、つまらないプライドでしかないような理由しかない。 「……オメガだと知られれば、やはりハンデは生じますし、どうしても使い物にならない時もあります……」  発情期か……と和泉は呟く。 「……あのな、そんなのは配慮するよ。オレだって……」  呆れたような和泉の言葉に、朔耶の声はだんだんしぼんでいく。 「僕は……多分、先生の信頼を得られるか心配だったんです……」  背後の和泉は左腕に力を込め、朔耶を抱き寄せる。 「そんなことで、朔耶に対する信用は揺るぐことはない」  本当はこの言葉が欲しかったのだと、朔耶は思う。だから涙が出るほどに嬉しい。なのに、素直には喜べない。実際のところは、抑制剤が効かずに結局は発情期を迎えてしまい、和泉にも迷惑をかけてしまい、今ここにいるためだ。 「まさかこんな大事な出張の直前になって、急激に抑制剤が効かなくなるなんてことが起こるとは予想もしていなかったんです……」  言い訳をするように、言葉を重ねる。  自己管理の欠如以外なにもない。情けなくて、彼が寄せてくれる信頼をこれ以上傷つけたくなかった。 「……すみません。もう帰ります。あの緊急抑制薬を処方していただけると……」 「なぜ」 「だって、そろそろ帰らないと…」  そう言い淀む。いくらなんでも、緊急抑制薬がなければ、ここから外には出られない。 「帰る必要はない。君は、ここで、発情期が終わるまでオレと一緒に過ごすんだ」  決定事項のように和泉の言葉に朔耶は驚く。 「長田所長にもそう言ってある」 「……」  もう、どうなっているのだろう。  そんな戸惑いが空気に出ていたのだろう。和泉は言葉を重ねた。 「実を言うと……、この部屋は、君が発情期を迎えてしまった場合を想定して押さえたものだ」 「え」 「……よく考えてみろ。オレひとりが寝泊まりするだけではこんな広さはいらない」  たしかに、ベッドはダブルサイズだったし、今入っている浴槽も大きく、シャワーブースと浴槽が別々に設置されている部屋だ。しかもシャワーブースにはレインシャワーがついていて、この浴槽にも照明を段階的に変えられるオンオフスイッチが点いていたりと、やたらと凝っていて、それなりの値段がしそうな部屋だ。  それが和泉なりの気遣いであったのだと初めて気がついた。だから、ホテルの手配は無用と言われたのかと今更ながらに思い至った。  では、和泉は、一体いつから、自分がオメガであると察していたのだろう……。 「っていうことは、いつから先生は、僕がオメガであると……」 「オレは、わりと最初から気がついていた」 「え……」  その告白には、驚くしかない。 「最初、長田所長に連れられてきた時は分からなかったけど、その翌日にはもう違和感があった。おそらく、さほどかからずにオメガあると分かったんじゃないかな。君が漂わせるわずかな香りが、オレの気持ちをかき乱す。でも、その香りは少しずつ、ほんの少しずつ濃くなってきていて……」  和泉は朔耶の身体を抱き寄せる。 「抑制剤のコントロールが巧くいっていないなんだと思っていたが、君はベータだと言うし、オレが踏み込める話ではない。でも、正直ひやひやしていた」  その力のこもった腕から、彼の想いが伝わってくる。 「この学会期間が懸念材料だった。オレのところに来るようになって、君が連続して休んだという話は聞いていない。一般的にオメガの周期はだいたい三ヶ月だ。だから、そろそろなのじゃないかと思っていたんだ」  朔耶が誠心医科大学病院の担当になって二ヶ月半。たしかにその通りだ。  和泉の苦しそうな告白は続く。 「東京でだったならまだいい。ちゃんと休めるし、問題はない。でも、札幌でそうなったら……。オレが君を抱こうと決めていた。誰にもそんなことを任せたくなかったし、こんな出張先で一人で発情期を越えさせるなんて、可哀想なことをさせたくなかった」 「オレに相手がいるとかは……」 「君は分かりやすい。そんなことはまったく考えなかったな」  あっさりと見抜かれていたことに、朔耶は恥ずかしい気持ちになる。  これまで抑制薬がよく効いていて、前回の発情期もその前も、微熱が出て、自分を慰めて一度欲望をはき出せば正気を取り戻せる程度のものだった。こんなに重い発情期に当たること自体が久しぶりのレベルなのだ。  おそらくそれに油断していたのだろう。 「…僕自身は、これまで比較的に抑制剤が効きやすいタイプで、ベータに近いオメガだなんて思っていて。まともな発情期もここ数年経験していなくて……。だから、油断していたのかもしれません」  自分の身体のことなのに、なにも分かっていなかったのかもしれない。些細な体調変化にも気がつかずに、ずっと和泉に心配を掛けていたのだ。自分よりも自分の周期に詳しいのではないかと思う。彼の方がずっと本人よりも朔耶自身の身体を観察していたし、分かっていた。 「……先生はすべてお見通しだったのですね……」  すると和泉はふっと表情を崩した。そんな風に言わないでくれ、と囁く。 「オレも……、対外的にはベータと偽って生きてきた。もちろん、病院は知っているが、メルト製薬のヒート抑制剤を常用している。あの、診察室にわずかに漂う、オメガのフェロモンも、他のドクターより敏感に拾う。引きずられることは勿論ないけど。なのに、君のは違ったんだ」  自分のフェロモンだけが違ったということか、と朔耶は考える。 「オレが君の体調の変化を察知できたのは、普通は引きずられさえもしない香りに揺さぶられたからだ。オレも、君に引きずられて、ヒートを起こしている。ずっとヒート抑制剤でうまく折り合いをつけてきたのに、肝心なところで効かないものだな」  ふわっと和泉が発するサンダルウッドに似た香りが浴室内を漂う。それは朔耶にとって、和泉の人柄のような、包み込むように暖かで、無条件で安心できる香り。 「やばいな……」  首筋にかかる和泉に吐息に熱がこもっているのを感じる。  さわさわと湯のなかでうごめく和泉の右手が、艶めきを持ち始めるのを感じた。  こんなところで…と思う。  和泉の片手が、脚の間を伝い、その奥に進む。その蠢きに熱い吐息を隠せなくなる。 「あ……ふぅん」  こんな明るいところで……と思う。  思わず、身じろぎをする。そして彼の胸に頭を預け、語りかける 「ここは嫌……。せめて……、ベッドに連れて行って」  それから、どのくらいの間、互いの身体を貪り合っていたのか、朔耶には時間的な感覚は全く分からなかった。  ふと朔耶が気がつくと、しっとりした暖かい腕のなかに居た。もちろん、和泉の腕の中だ。ふたりで、ベッドの中に全裸で抱き合って寝ていた。  顔を上げると、全く見えないほどではないが、辺りは暗い。夜なのか、朝なのか、まったく分からなかった。  久しく衣服を纏っていないと思う程度に、ずっと和泉に抱かれていた。彼の熱情を受け止めて、今回の発情期はそれなりに収束してきたようだった。  こんなにすごい発情期は初めてだ。  自分が気持ち良くなること、セックスのことしか考えていなかった。いや、和泉のことしか考えていなかった。 「朔耶……」  不意に耳に蘇る声。  この人が、自分を抱いてくれている。  その幸福感にひたすら恍惚としていたと思う。 「君を最後まで束縛しようとは思っていない。でも、今だけ。オレを名前で呼んでくれ。オレが君を朔耶と呼ぶように……」  和泉は朔耶の名前を呼び求め続けた。 「暁さん……?」  朔耶がそっと呼びかけると、和泉はとても嬉しそうに笑顔を浮かべ、朔耶を抱き寄せた。  ベッドの中で和泉は誠実だった。  背後から抱き寄せ、肩にキスを落とす。そして、背後から手を伸ばし、朔耶の性器を優しく愛撫した。するとそれはすぐに首をもたげ、和泉の手はさらに奥へ。  朔耶も大胆だった。  早く和泉が欲しくて、自ら俯せになり膝を立たせて尻を上げ、脚を開いた。こんな格好、普通なら屈辱でしかないのに。あのときの自分は、ここに、和泉を一刻も早く感じたくて、埋めて欲しくて仕方が無かった。  そんな欲望に応えるように、和泉も朔耶の腰を取り、その背後から、一気にずぶりとその場所を突き上げた。  背中がしなる。 「あ……あん」  思わず上がる嬌声に、和泉はさらに大胆に動く。  背筋を指で撫で上げられ、反り返るとさらにそのまま身を起こし、もっと深く繋がるように、座位に体位を変えた。首筋に強めのキスを落とし、所有の証を付けていく。  なのに。  和泉は項を噛んではくれなかったのだ。  自分から番にしてほしいとは言えなかった。  そのまま、腰を突き上げ、揺らぎ、乳首をいたぶるのに。  背後から何度も求められ、責められたのに。  長い時間、身体を重ねて、朔耶が抱く和泉への信頼感は確固たるものとなっていた。  番にされてもいいと思うほどに。  なのに。  やっぱり、出張先で体調管理もできない憐れなオメガが発情したからと、ボランティア精神で抱いてくれているのだろう。  そう思うと悲しくなる。    だって、もう和泉とは会えないのだ。  MRとしてこんな失態を犯した以上、おそらく、もう誠心医科大学の担当は外されるに違いない。  仕事で会えることはもうないだろう。  プライベートでも会えないとなったら。  もう二度と会えないのだ。  そう思うと、鼻がつんとして、涙があふれてきた。  どうしよう。嗚咽が止まらなくなって焦る。和泉が起きてしまう……。 「朔耶?」  懸念したとおり、朔耶を抱きかかえる和泉も眼を覚ました。もうこの状況、どうやって説明すればいいんだ……と思う。 「……なんで泣いてる?」  朔耶は、和泉の腕のなかで小さく首を横に振る。  聞かないでほしい。期待をしすぎた自分がいけないのだからと思う。  しかし、和泉は許してはくれない。口元を押さえる朔耶の手を取り、一緒に身体を起こす。そして、朔耶を胸の中に抱き寄せた。 「どうした?」  穏やかな問いかけ。  背中を優しくさすってくれる。 「暁さん……」 「なんだ」 「僕は、あなたの番になることは……できませんか」   嗚咽を飲み込みつつ、決意した告白だった。  和泉がわずかに止まった気がした。それが拒絶を示しているように朔耶には思えた。 「いや……違うんだ」  その声色が変わった。  あの和泉が、少し焦っているような、動揺しているような……。 「違わないな……」  少し観念したように、和泉は大きくため息を吐いた。   「朔耶。オレの話を聞いてくれるか」  涙でぐずぐずになっている顔をまっすぐに見られた。  その真剣なまなざしに、かろうじて、頷く。  すると、ベッドサイトにあったティッシュでそっと涙を拭いてくれる。胸を貸してくれ、ただ、ひたすら落ち着くまで背中をさすってくれた。 「朔耶の気持ちはとても嬉しいんだ。オレ自身、そうできたらって思う」  そんな風に和泉の告白は始まった。  和泉の答えはシンプルだった。 「オレと番った相手を不幸にする、そう思うから番えない」  和泉ほどに優しい人が何故相手を不幸にすると言い切るのか。  和泉の告白は意外なものだった。 「実は、オレは子供が出来にくい身体なんだ」  子供。  アルファとオメガが番えば、自然と子供はできる。とくに発情期のオメガの妊娠率は高い。ベータに比べて圧倒的に人数が少なく、とくに男性型のオメガの妊娠、出産は女性よりも危険が伴うため、高い妊娠率があると言われている。  要するに、アルファがオメガと番えば子供は間違いなくできると世間では思われているのだ。 「だから、ベータと偽っていた」  ベータならばアルファとオメガほどに周囲から子供を求められない。子供ができなくても、それもまた一つの人生だと、選択肢が用意されているのだ。 「どうして……」  朔耶もさすがにショックを隠せなかった。 「十代の頃に、急性の血液がんに罹患してな……」  中学生の頃だったという。生命の危機に瀕し、生と死の間を彷徨ったという。幸いながら、一命と取り留めたものの、その治療の過程で、大量の放射線を浴びたため、子供が出来にくい身体になったという。 「子供は望めないかもしれないと、医師からも言われたと思うけど、子供だったし、その言葉の重大性がよく分かっていなかったのかもしれない。でも、あの治療を受けなければ、今自分がここにいないというのは、よく分かっている」  和泉が第二の性がアルファであると分かったのは、その病気から生還してからだったという。 「第二の性が知らされる通知、来ただろ。あれを見て、オレは決意した。アルファとして当然の幸せは望めないだろう。将来は、アルファのヒート抑制剤が難なく手に入る仕事に就けば、自分はベータと偽って生きていくことができる。そして一生独身を貫こうと」  それは悲痛な決意のように朔耶には思えた。 「オレのように、子種が怪しいアルファなんかと番ってしまったら、相手のオメガは不幸だ」  思わず朔耶は和泉を抱きしめた。これまで和泉に抱きしめられていたのに、抱きしめたいと思ったのだ。こんなことを、和泉に言わせてしまった。詳しく問うたことを少し後悔した。  驚いた和泉が、身体を捩ったが、奇跡的な早さで、朔耶は和泉の唇を奪った。  ためらいなく、歯列を割り、舌を入れ込む。  ぐっとその奥にいた和泉の舌を、自分のものと絡ませる。唾液を交じ合わせる。舌と液体が絡む、湿った淫靡な音がしばらく続いた。  ようやく、唇を離す。 「そんなことを、言わないで」  朔耶は胸に迫る気持ちをそう吐きだした。 「それは、暁さんが懸命に生きてきた道なのだから。その苦しみは、僕には分かりません。でも、それを分かち合えることはできる」  朔耶は気持ちを決めた。 「その苦しみを、僕に半分ください」 「な……」 「暁さんが生きていてくれて、僕は本当に嬉しい。そのときの、その決断に感謝します。あなたが生きるために失った機能であるのならば……そして、それ故に苦しむのならば、僕はそれを半分背負いたい」  和泉は言葉を失っていた。 「僕の両親はふたりともベータです。だから僕自身、ベータの家庭で育った、ある種の雑種です。両親は長く子供ができなかったと聞いています。父の方が子供が出来にくい身体であったそうですが、母はそれを知っていて結婚しました。運良く授かったのが僕でしたが、それまで母もいろいろと言われたそうです」  不妊となると、どちらに原因があったとしてもまず授かる方に問題があると思われがちだ。 「馬鹿な。そんな目に朔耶を遭わせるわけには……」 「僕がいいと言っているんです。ふたりで居れば、苦しみもいずれ和らぐ」  朔耶は和泉のまなざしを直球で受け留める。  大丈夫、と力強くうなずいた。   「僕を番にしてください」 

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