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【まるでおとぎ話】 志生帆 海

明らかに場違いだった。 気品のある横顔、ピンと伸びた背すじ。 漆黒の黒髪は濡れたように艶めき、色白の涼しげな肌にしっくりと馴染んでいた。 ほっそりとした身体に凛とした空気を纏い、パーティー客の視線を器用にすり抜けて行く。 さっきから目が離せない。 なんだって君はこんな場違いな場所に来てしまったのか。 このパーティーの意図を知っているのか。 **** 500坪をゆうに超える土地に建てられたクラシカルな洋館は、四季折々の花に囲まれた美しい佇まいだった。 僕はこの都内の一等地で、とても豊かな幼少時代を過ごした。それと言うのも先代からの事業を引き継いだ裕福な家に生まれたお陰だった。 洋館の中庭でのティーパーティー。 美しい母はいつも朗らかに少女のように笑っていた。小さな弟は、真っ白なベビーカーの中で無邪気な声をあげていた。 そんな甘く脆い砂糖菓子のような思い出の詰まった中庭は、今は誰も手入れするものがおらず、すっかり変わり果てたものになっていた。 目の前の世界は、もう何もかも荒廃していた。 そう…今や僕の生まれた育った冬郷家(とうごうけ)は、戦前から築き上げた地位も屋敷も空前の灯火となるほど、落ちぶれていた。 僕が大学4年生の時、事故で両親が一度に亡くなり、人生の転機が訪れたからだ。 悲しみに暮れる間もなく突然明るみに出たのは、多大な事業の借金。 会社は既に大きく傾いていた。学生の身分で跡を継ぎ…なんとか存続しようと頑張ったが、気付いた時には両親の残してくれた保険金や財産をほとんど使い果たしていた。 その直後、親戚からも見放された。地位も財産も失った我が家とは、深く関わらない方がいいという判断だろう。 結局僕に残されたのは、借金の抵当に半分入ったこの洋館と10歳年下の病弱な弟だけだった。 祖父母の代から受け継がれ、母が愛した白薔薇の庭を持つ洋館と、残された唯一の家族、弟の存在。 どちらも何物にも代えられない大切なものだ。 僕の使命は、この二つの宝物を守り抜くこと。 **** 僕は大学をなんとか卒業し、父親の事業に幕を下ろした後は、慣れない出版社で必死に駆け出しの記者をし、ようやく2年目を迎えていた。 そんなある日、仕事場の机に一通の招待状が置かれていた。 「落ちぶれた僕に、パーティーの招待?」 両親が生きていた頃は社交界と縁もあったが、何故今更こんな誘いが舞い込んだのか。 怪訝に思いながら封を切ると、会場は有名な日比谷のTホテルで、主催者は名のある医療機関だった。 怪しいものではないのか。 それにしても…どこで僕のことを知って、こんなものを送りつけたのか。 **** 「兄さま、お帰りなさい」 コンコンとくぐもった咳をしながら僕の部屋に入ってきたのは、弟の雪也(ゆきや)。 まだ14歳。虚弱な体質のせいで学校にろくにい行けず、家で過ごすことが多い不憫な弟だ。 「顔色が悪いね。今日も具合が良くないようだ。もう早く寝ないと」 「はい…でもそれは何?」 会社から持ち帰った※封蝋が施された封筒を、目ざとく見つけたようだ。(※手紙に封をする為に赤い蝋を垂らして紋章を押すスタンプのこと) 「これ?あぁパーティーの招待状だよ」 「いいな。僕もいつかそんな場所に行ってみたい」 「大人になったら連れて行ってあげよう。だからしっかり治療して」 治療といっても病院代がろくに払えず、すでに使用人も手放し、弟の世話をする人もいないのが現状だ。 学校にろくに通っていないせいか、弟は年の割に幼いまま成長している。 その天真爛漫なあどけない笑みは、僕が守る一番優先順位の高いものだ。 絶対に守ってやりたい。 得体の知れないパーティーだが、思い切って行ってみよう。 もしかしたら医療団体というからには、医師の知り合いが出来るかもしれない。 このまま放置していたら雪也は大きくなる前に、きっとこの世から去ってしまう。 悪い予感ばかり募る毎日だから、多少の犠牲は覚悟で見知らぬパーティーへ請われるまま赴く決心をした。 **** 次の土曜の夜。 僕は意を決して、クローゼットの中から薄い鼠色の一丁羅(いっちょうら)の三つ揃えスーツを選んだ。 両親が健在の頃、成人の祝いに購入してもらった高級品だ。これならどんな場所に出ても、恥ずかしいことはない。 ホテルの受付で半信半疑に招待状を差し出すと、確かに出席者名簿に「冬郷 柊一(とうごう しゅういち)」という僕の名があった。 入り口でグラスシャンパンを受け取り、会場へ足を踏み入れる。 「なんだろう…」 僕へと向けられた視線に、はっとした。 会場には女性もいたが圧倒的に男性が多かった。僕と同年代の青年から上は初老の男性まで様々だ。 居心地の悪い視線の意図が分からないまま、誰一人知り合いがいない会場を当てもなく彷徨うことになった。 あっまただ。 まるで値踏みされるように見られている。 あまりに不躾な視線だ。嫌な予感で居たたまれなくなり、窓辺の暗闇に紛れようとした時だった。 「やぁ柊一くんやっぱり来てくれたね。いかがですかな。セレブパーティーの居心地は」 はっとして振り向けば、そこには中年の男性が立っていた。 「あの…何故僕の名を?」 「ははっ、君のことはよく知っているよ。冬郷家のご子息で、今は事業はたたんで神田の出版社にしがなくお勤めだろう」 相手は見知らぬ男性なのに、素性がばれているのが気持ち悪くて、その場を去ろうとしたら腕をグイッと掴まれた。 「まぁまぁ少し話そう。君の弟さんは重い病気だとか」 「…何故それを?」 「それでお金に困っているそうだね。悪いようにはしないから、私がパトロンになってあげよう。その代りに欲しいものがあってな」 「何を…」 嘘だ。分からない程、初心ではない。 この時点で会場に男性が圧倒的に多かった理由の真意、僕が値踏みされていたことも理解していた。 心の奥底では、もしも親切な人がいれば、お金を融資してくれるかもしれない。そうすれば雪也の治療費の捻出や洋館の維持も出来るかもしれない。 そんな浅はかな甘い考えを持っていたのだ。 だが現実は違った。握り締められた汗ばんだ手に、ぞくりと粟立つ。やはり…融資には躰が必要なのだ。 「さぁ向こうで二人きりになろう。やっぱり君は美しいな。その躰を早く抱いてみたいよ」 「…」 どうしたらいい。 僕が我慢して、この男性に躰を明け渡せば、弟の命が救えるかもしれない。 そんな有り得ないはずの考えが芽生えて、抵抗する気持ちが萎えていく。 「いい子だね。援助は惜しまないよ」 「っつ」 さらに男性の手が僕の腰を撫でながら馴れ馴れしく抱いて来たので、そのやらしい動きに、ぞくりと背筋が凍った。 無理だ!やっぱり嫌だ! そう喉まで出かかった時、僕の前に立ちはだかる人影があった。 「すいませんが、この人から手を離してください」 「なんだって?この青年は私が出版社で見初めて招待した客だ。邪魔をする気か」 「先生はおれのことをよくご存じでしょう」 「あっ君は!」 青年の顔を見た途端、気まずそうに先生と呼ばれた中年の男性は逃げて行った。 「あの…」 「はぁ…君さ、危なっかしいよ。さっきから」 振り返った相手は、どこか日本人離れした背の高い美丈夫だった。 明るい色の髪は男性にしては長く、白系のスーツがよく似合っていた。 僕よりずっと年上らしく、ぐっと大人の余裕の笑みを浮かべている。 どこかで会ったような懐かしい雰囲気。 そうか…雪也がまだ幼い頃によく読んであげた外国の絵本の挿絵だ。 悪い魔女によって囚われた姫を助け出す、ハンサムで勇敢な青年の絵をふいに思い出し、赤面してしまった。 僕は一体何を想像した? 「あの…あなたは?」 「おれは森宮 海里(もりみや かいり)だ」 「僕になんの用ですか」 「おっと、助けてあげたのに怖いね。まぁ…それよりここを出ようか。表向きはセレブのパーティーのようだが、そうじゃない輩が紛れていることが分かったろう?」 「っつ」 二人でホテルの最上階にあるクラシカルなBARにやってきた。 「どうぞ。もしかしてあまり飲めない?」 「ええ。実は」 彼に助けられたことが、少しだけ後ろめたかった。 僕は本当は会場に足を踏み入れて暫く様子を伺ううちに、表向きは着飾った上流階級のパーティーだが、男同士の社交場を兼ねていることを理解していた。 その先に待っているものが、何かも知っていた。 これでも出版社の平社員として世間の荒波に揉まれて来た。そういう世界があることも、その時教えてもらったから。 気付かないふりをして、会場内を歩いていたのだ。まるで声を掛けられるのを待つかの如く。 恥ずかしい!僕はなんてことを…もう少しで、自分の身を自分で堕とすところだった。 「参ったな。そんな顔すんな。おれは取って食いやしないよ」 「あなたは、じゃあなんで…」 「おれはあのホテルの息子だよ。表向きは健全でも、そこに紛れて如何わしいことをしている団体があると聞いて、潜り込んで調べていたってわけだ」 「…そうだったのですか」 拍子抜けした。彼が男を買いにきたわけでないことにほっとしたのと同時に、何故か少し寂しい気持ちになっていた。 僕は何故こんな気持ちに? 「でもね君のことはずっと見ていたよ」 「なぜ?」 「好みだった。掃き溜めに鶴のような清廉潔白な姿に惚れたよ」 彼の手が僕の手に重なれば、ストレートな言葉と手の感触に、胸が高鳴った。 さっきあの中年の男性に触れられた時は、おぞましい気持ちで一杯だったのに、なんだか変だ。 「ぼっ僕はそういうつもりじゃ…」 「ふっそういう所もいいね。さぁもう今日は帰った方がいい。君は自分の魅力に無防備すぎるよ。ここにはパーティーから流れてきた客がいるようだ。邪な視線ばかりで居心地が悪い」 森宮さんは、どこまでも大人で紳士的だった。 華やかな容姿のせいか、第一印象は浮ついた人間かもと警戒してしまったのが、恥ずかしい。 「乗って」 いきなり自家用車に乗るように言われて戸惑った。さっき出会ったばかりの人間を警戒するのが普通だろう。 「そんなに硬くならなくても。まだ酒は口にしていなかったし、君は魅惑的だが、おれは節操なく手を出す程不自由はしていないよ。そんなに警戒されると君が意識しすぎていることになるけど?」 「あっ」 恥ずかしい。両親が突然いなくなってから、僕はずっと一人で奮闘してきたから、こんな風に助けてもらったりするのに本当に弱くなっている。自分の中の甘えた心を罰した。 彼の運転は滑らかで、乗り心地が良かった。 彼からは上流階級の人が持つ独特の余裕が滲み出ていた。それに彼のトワレなのか…懐かしい匂いだ。両親が健在の頃の華やかな日々を思い出してしまう。 それにしてもなんだか猛烈に眠い。グラスのシャンパン1杯で僕は酔ってしまったのか。 次の瞬間、ゆさゆさと肩を揺さぶられた。 「柊一くん、起きられる?」 「あ…僕…寝てしまった?」 信じられない。初対面の人の車中で眠ってしまうなんて。 「歩ける?危なっかしいな。ほら肩を貸して」 疲れと緊張とで酒が一気にまわったようだ。 フラフラな足取りを心配して、彼が肩を貸してくれた。 「すいません…」 消え入るような声で告げると、彼は軽く微笑んでくれた。 「気にするな。君は頑張りすぎだ。さぁおれの肩に掴まって」 なんだろう…この人の居心地の良さ。 **** 玄関の鍵を開けた。 いつもなら「お帰りなさい」と可愛い声で出迎えてくれる雪也がいないことが気がかりだったが、家に無事に帰って来た安堵から急に吐き気が込み上げ、トイレで嘔吐してしまった。 口の中が気持ち悪く、歯を磨き顔も洗った。 ひどく焦燥した顔が、洗面所の鏡に映る。 僕は本当に疲れた顔をしている。 「あっそうだ、森宮さんは」 酔った僕を送ってくれた人のことを思い出し慌てて戻ると、彼はまだ玄関にいてくれた。 「顔色戻ったね。大丈夫だった?少しすっきりした?」 「はい…すいません。あの…よかったらお茶でも飲んで行ってください」 「こんな時間にいいの?」 「ええ」 よく知らない人を家にあげるなんて大胆なことをと思ったが、僕は彼のことを何故か最初から信じることが出来ていた。 なんだろう…この安心感。 「ソファで待っていてください」 「へぇ内装もクラシカルで、いい部屋だね」 「古いだけで手入れが大変です。あの…弟がいるので呼んできます」 「あぁ、ぜひ挨拶させてくれ」 「はい」 **** 「雪也入ってもいい?」 いつもなら僕の帰りを待ちわびている可愛い弟の声が聞こえない。 不審に思いドアを開いて驚愕した。 パジャマ姿の雪也が、ベッドではなく床に倒れていた。 「雪也!雪也!」 「うっ…にいさま…くるし…」 一体どうした! 雪也の顔は真っ青で、胸を押さえひゅーひゅーと息を吐きながら苦悩に顔を歪ませていた。 「雪也!しっかりしろ!」 僕の驚愕した叫び声を聞きつけた森宮さんが、すぐに駆けつけてくれた。 「どうしたんだ?」 「あ…弟が!」 「どけっ!」 彼はすぐに弟に人工呼吸と心臓マッサージをしてくれた。 医療の心得があるのか、とても手際よかった。 森宮さんの額に汗が玉のようの浮くのと引き換えに、雪也の呼吸が楽になってきた。 必死に弟の処置をしてくれている姿に、感銘を受けた。 雪也…すまない、一人にして。 「ぼんやりしないで、救急車を呼んで!」 「あっはい!」 **** 病院のベッドの上で落ち着いた寝息を立てている弟の姿を見て、僕は涙した。 僕があんなパーティーに行ったから、すぐに発作に気付いてやれなかった。こんなにも弟の身体が衰弱していたなんて。仕事にかまけて気付いてやれなかった。 今日は一命をとりとめたが、この先はどうなるのか。 先ほど診察した医師の話だと弟の心臓はかなり弱っており、早いうちに手術をしないと大人になるまでもたないと宣告されてしまった。 ショックだった。 とにかく…治療費をなんとかしないと。だが手術にどの位のお金がかかるのか、僕は無知で検討がつかなく途方に暮れた。 いよいよあの屋敷を売って、それで暮らしていくしかない。 それでもすでに抵当に入っている部分も多い家だから、手放しても手元に残るお金は限られているのが現実だ。 もう八方塞がりだ。 気が付くと病室から背を向け、ふらふらと病院の屋上に来ていた。 仰ぎ見れば無数の星が夜空に広がっていた。 低い建物なのだろう、大きく伸びている樹木の新緑の匂いが濃く立ち込めていた。 生命の息吹を感じながら、このまま弟とここから飛び降りたら楽になれるのでは…そんな馬鹿なことを考えてしまう程、追い詰められていた。 両親との思い出の詰まった屋敷。 僕の曾祖父が建てたクラシカルな煉瓦の洋館。 今の季節は外壁にも白薔薇とツタが絡まり、趣が一層増している。 何もなければ…幸せだった僕の未来。 弟まで失ったら、僕はもう生きていく意味がない。 ならばいっそ… **** 覚悟を決めて、今度は病室で目覚めたばかりの弟を誘った。 「雪也、兄さんと一緒に行こう。この病院の屋上からは星が綺麗に見えるよ」 「兄さま、ごめんなさい。具合が悪いこと黙っていて…」 「いいんだ。言えなかったのは僕の不甲斐なさからだ。雪也は、お父様やお母様に会いたくない?」 「えっ会えるの?」 「うん、一緒に行こうか」 「嬉しい」 砂糖菓子のように微笑む弟の様子に、胸が締め付けられる。 許して欲しい。 家も奪われ、可愛い弟の死を待つだけなんてむごすぎる。ならばいっそ穢される前に、逝ってしまえばいい。 何も知らない雪也は、屋上で両手を思いっきり空へと伸ばしていた。 「うわぁ星が一面だね。いつもは兄さまが夜風は身体に悪いからと外に出してくれないのに、今日はどうしたの?」 「雪也…一緒にいこう」 「え…」 幼い弟の目が、突然光を失い曇った。 すぐに僕が望むことを察知したようだ。賢い子だから。 「駄目だよ…兄さま、そんなこと。僕は自分が長く生きられないこと位知っている。だけど…そのために兄さまが犠牲になることなんてない!」 「雪也をひとりで逝かしたくない。ならばいっそ今!」 「兄さま…」 「さぁ」 「やめて!兄さまっそんなことしちゃ駄目だ」 「僕のことなんて誰も必要としていないよ。僕には雪也だけだ。唯一の肉親だろう?」 「家族を作ればいい。僕は知っているよ。兄さまのことを愛している人がいることを!」 「何を馬鹿なことを」 「あっ兄さま!駄目!嫌だ!」 雪也の細い躰を抱き上げて、僕は錆びた白い手すりを一気に超えようとした。 新緑の匂いが僕を呼んでいる。 僕の目からも雪也の目からも、はらはらと涙が散っていく。 「その人は兄さまの傍にいる!今日だって助けてくれた!」 「え…」 その瞬間…僕と雪也の躰は、背後から伸びて来た腕によって力強く抱き寄せられた。 「全くなんてことを!目を離した隙に、君って人は!」 「あっ海里さん!」「森宮さん!」 雪也と僕の声が重なった。 これは一体どういうことだ? 次の瞬間、僕は彼に頬を思いっきり叩かれた。 「命を無駄にするな!簡単に諦めるな!」 一喝された。こんなに真剣に誰かに心配されたのは、いつぶりか。 「あ…なぜ」 「兄さま、やっと海里さんと知り合えたんだね。僕は兄さまよりずっと前からの知り合いなんだよ」 「一体どういうこと?」 「だって海里さんは僕の先生だったから」 「え?」 「お母さまと一緒に何度か大きな病院に行ったでしょう。その時の主治医の先生なんだ」 「え…だってさっき…ホテルの息子だって」 「あーまぁそれは…おれは次男坊で、本業は医師だ」 「お母さまが亡くなってから、何度か兄さまと一緒に通院したことを覚えていない?」 「…あの頃はバタバタしていて…よく思い出せない」 行ったことは覚えていても、医師の顔までは気にかける余裕がなかった。借金の返済に追われ、頭が一杯だったから。 「そっか。先生は兄さまのことを見かけて以来ずっと好きだったのに、兄さまは何も覚えていなかったんだね。僕が病院に行けなくなったのを先生が心配してくれて、何度か訪ねてくださったんだよ。兄さまのことを来るたびに何度も聞くので、流石にその想いに気付いたってわけだよ」 「なんだって…」 そんなこと知らない。 思わずキッと彼を睨むと、彼は少しきまり悪そうに笑っていた。 「出会いのきかっけを探っていたが、君はいつも帰りが遅くて会えなかった。なのに…まさか今日あのパーティーで会えるとはな。おれは親に頼まれて監視していたんだ。そこに君が現れた時には息を呑んだよ。まったく無茶な真似を…」 「う…だって…僕は…どうしたらいいのか…」 「なぁおれにも少しは頼ってくれないか?君の弟さんの許可はもうもらっているよ」 「あの…それって…まさか…」 「つまり、君が好きなんだ。ずっと追いかけていた。一目惚れから始まったが、知れば知るほど好きになった。君が頑張っている姿をずっと応援していた」 「兄さま!僕もそれを願っているよ。応援しているよ。海里先生は頼り甲斐もあって、僕も大好きだ。だから…兄さまも…少し肩の荷を下ろして欲しい。なにもかも押し付けてごめんなさい」 「雪也…」 小さくて頼りなかったはずの弟が、急に大人びて感じた。 つまり僕は…僕自身も…弟も、白薔薇の洋館も…捨てなくていいのか。 彼と未来を歩む道…そんな道があったなんて。 「おれと付き合ってくれないか」 こんな展開信じられない。 まるで幼い雪也に読んであげた、おとぎ話のようだ。 「うっ…僕もあなたのこと、今日会った時から惹かれていました」 荒廃した中庭。それでも白薔薇だけは逞しく成長し美しく咲き誇っていた。 その意味を、今日僕は知った。 白薔薇の花言葉は「純潔」 **** おとぎ話の結末。 洋館の2階にあるアーチを描く出窓から、僕は白薔薇の咲き乱れる中庭を見下ろしていた。 白い薔薇の花が、夜空から降り注ぐ月光に照らされて、静寂の中、清々しい空気を生み出していた。 あの日から森宮さんと僕は、付き合いを始めた。 付き合うといっても、僕の方はそういう方面に疎く、始終リードしてもらう日々だ。 この洋館は森宮さんの口利きで、ホテル直営のレストランとして貸し出せるようになり、安定した収入を得るようになっていた。 そのお陰で借金もきちんと返せたし、雪也の治療費も出せるようになったのが、ありがたい。金銭的にも余裕が生まれ、この秋に雪也は手術を受けられることになった。 これで雪也は大人になれる。 何度考えても…信じられない結末だ。 身を売ることも、死をも覚悟したというのに…僕は何も捨てずに愛を手に入れてしまったのだから。 「柊一、何を考えている?」 「あっ森宮さん」 「いつまでも堅苦しいな。名前で海里(かいり)と呼んでくれ」 「…海里さん…」 「そうだ、いい子だ」 「あっ…」 顎を掬われ、口づけをされる。 「んっ…」 しいていえば彼が慣れていることが癪だが、今は僕だけを見てくれている。 「舌を出して…ほら」 「んっこう…?」 「そう…」 おそるおそる口を開けば、海里さんの舌の侵入を許し、中を思いっきり懐柔される。 そのまま彼の手が、とうとう僕の襟元のボタンを外しだした。 「そろそろ…いいよね?辛抱強く慣らしたつもりだよ」 彼は見かけの派手さとは正反対で、慎重だった。 男に抱かれるのが初めての僕のことを考え…暫くは口づけだけで、決して無理はしなかった。 ここまでは…だがきっとこの先は歯止めが効かなくなるだろう。 でも、もうそれでいいと思った。 僕はそれほどまでに、彼のことを信頼し愛していた。 「いいね。もう我慢できない。途中でやめてあげることは出来ない。それでもいいか」 緊張のあまり上手く声が出せず、小さく頷くとベッドにどさっと押し倒された。 月光が足元まで忍び寄って来る。 僕は恥ずかしくて、暗闇へと丸まっていく。 縮こまる僕に海里さんが覆い被さって、額、鼻筋、唇、耳たぶへと順番に沢山の口づけをしてくれた。 それでも緊張して震える手は絡められ、ぎゅっとシーツに押し付けられた。 「あ…雪也がいるから…」 「大丈夫。もうぐっすり眠っている。さっき見たら幸せそうな寝顔だった。僕たちが結ばれるのを、彼も喜んでいるよ」 「でも…」 「さぁもう委ねて…気持ち良くさせてあげる」 気が付けばシャツの前は大きくはだけ、胸が丸見えだ。 「最初はここから」 トンっと指で押されたのは、ついていることすら意識していなかった乳首。 「え…」 指先で摘ままれ驚いた。なんでそんな所を?僕は女の子じゃないから、そこを弄られても…戸惑っていると、突然海里さんがそこに吸い付いた。 ちゅうちゅうと音が出る程きつく吸い上げられ、腰が震える。 「ん…海里さん、やだ…そんなところ…」 なんだか変な気分になってくる。 もう片方の空いている乳首を指先で捏ねられたりするうちに、下半身に熱が籠っていくのを感じた。 合間合間には雨のようにキスが降って来る。 「柊一は意外と初心だな。綺麗な顔をしているし優しいから、さぞかしモテただろう?」 「…そんなことない…それどころじゃなかったから…」 「嬉しいよ。よかった」 海里さんの手のひらが僕の脇腹を撫でて来る。 くすぐったいような心地良いような…ふわふわとした変な気持ちになってしまう。 「そう…いいね。リラックスして…」 怖がる僕の髪を、手櫛で梳きながら囁いてくれる。 ズボンのベルトも外され、下着ごと持って行かれてしまう。 剥き出しになった下半身には、5月の風がさぁっと吹き抜けた。 「あっ窓が開いているみたい。閉めないと…声が…漏れてしまう」 「あぁ部屋が少し蒸し暑くて開けたよ。大丈夫。この家の庭は広い」 「でも…」 「静かに」 更に着ていた白いシャツも完全に脱がされた。 これで僕は生まれたままの姿になった。思わず手で股間を隠すが、優しくどかされてしまう。 じっと海里さんが僕の躰を見ているので、居たたまれないような消え入りたい気持ちになる。 本当に僕はこういうことに慣れていない。 「よかった、綺麗なままで。ずっと…いつ君が身売りしてしまうかと冷や冷やしていた。ましてあのパーティーに現れた時は、ひっくり返るほど驚いた」 「あ…もう言わないで。あの時のことは」 「あのパーティーでおれは二度目の一目惚れをしたんだよ。今度は時間をかけずにすぐに手に入れようと誓った瞬間だ」 「え…あっ?…んんっ」 剥き出しになった下半身の僕のものを、気が付けば海里さんが咥え込んでいた。 そのまま膝頭を掴まれ左右に開脚されて、信じられない淫らな姿に唖然としてしまう。 海里さんが巧みな舌で、僕を追い詰め出す。 「あ…駄目…そんなにしないで」 「柊一、柊一」 「ん…嫌だ…その声…響く」 「ここに?」 「海里さんっ…あっ」 「柊一、愛してるよ」 艶めいた官能的な声だ。 下半身を撫でられて、びくっと腰が浮く。 色っぽい仕草で僕のものを舐め続ける海里さんの姿は、壮絶な色気に溢れていて蹴落とされてしまう程だ。 「いいね、柊一のここ、淡い色で綺麗で美味しいよ」 「そんな…」 必死に内股に力を入れて閉じようとしても許してもらえない。それに気持ち良さが先走ってしまい、僕の先端から滴が零れては、海里さんにじゅっと吸い取られていく。 「まるで花の蜜だね」 「いやだ…そんな風に言うなんて…」 海里さんの指が、とうとう僕の中へ潜りこんで来た。なにか滑りが良くなるクリームを纏っているので、痛みは少ない。でも違和感があって… 「少しづつ慣らしていこう」 「ん…ん…」 怖くて慣れなくて、彼に必死にしがみ付いてしまった。 「いいね、だいぶ広がって来たよ。ほら…」 僕の襞の内側を長い時間をかけて広げるように弄られて、震えてしまう。 最初は怖かったのに、今はもっと触れて欲しいとさえ思ってしまうなんて… 気持ち良すぎて感じすぎて、窓を開けているのに汗まみれになっていると、彼の躰からふわっと白薔薇の香りが漂ったような気がした。 触れられた部分が熱い。 太腿や胸を、彼の手のひらが行き来する。 心も身体もすべてじっくりと解されていく。 両親を失って頑なだった心も、弟を守ろうと必死だった心も…何もかも緩んでいく。 「柊一、これからはもう…ひとりで頑張りすぎないで欲しい」 「海里さんっ」 白薔薇が花弁がひらひらと散るように、僕の目からは大粒の涙が零れていた。 「ツンと澄ました君の外での姿にもそそられたが、おれの腕の中で…そんな顔してくれるとはな…煽られる」 一気に片脚を掴まれ彼の肩に担がれて、僕の震える中心がいよいよ丸見えになっていく。 「あぁ…うっ…」 「いくよ…」 パーティーで出逢った僕たちは、今一つになっていく。 深く強く、僕を貫いてくれる。 僕を永遠に…この白薔薇の洋館につなぎとめて欲しい。 ぐぐっと挿入される。 「あうっ」 慣らしたとはいえ、初めての行為だ。 破瓜の痛みを必死に呑み込んでいると、彼が心配そうに見つめてくれる。 「痛い?大丈夫か」 「う…」 「ずっと待っていた。この日を…君がおれのものになってくれる日を」 「それは…僕の台詞だ。あなたは…僕の騎士みたいだ」 「ふっ…柊一は一見冷たそうな外見なのに、中は相当なロマンチストだな」 「なっ、そんなこと」 「いいよ、それで…それが可愛い」 「あっあ…」 次の瞬間、ぐいっと躰を起こされ腰を支えられた。 そのまま、まるで乗馬しているかの如く、彼の上で揺さぶられた。 二人で草原を駆け抜けて原っぱに寝転んだような、ふかふかの温かい気持ちになって、共に果てた。 見上げた青空は、どこまでも澄み渡っていた。 青い空、緑の芝生。 寝そべる僕たちの躰に、洋館の白薔薇が風にのって舞い降りた。 おとぎ話の結末は、きっとこうだ。 『白薔薇の咲くお城で、二人はいつまでも仲良く暮らしました』 これは僕らだけのハッピーエンド。 海里さんと僕が紡いでいく、これからの人生。 全てはこの白薔薇の洋館で営まれていくだろう。 海里さんあなたと! **** 『まるでおとぎ話のような…本当の話だよ』 あれから長い年月が過ぎた。 僕は白薔薇の咲く中庭に立ち、雪也の孫の赤ん坊をあやしながら、独り言のように昔語りをしていた。 最期まで僕を愛し続けてくれた貴方はもうこの世にいないけれども、僕の心と体には貴方が愛してくれた印が深く刻まれている。 今も、この先も…永遠に。 まるでおとぎ話のような人生をありがとう。 もうすぐまた逢える。 『まるでおとぎ話』 了 【感想はコチラまで】→ 志生帆 海@seamoonyou

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