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パーフェクト・ワールド・ゼロ①
絶え間なく降る雪が、世界を奪い去っていく。朝から舞い始めたそれは、夜になるにつれ、街を白く覆いつくしていた。
季節外れの、春の雪だ。
滅多と雪の降ることのないこの街の公共機関は千々に乱れ、テレビでは満開の桜の木々と雪とが織り成したコントラストが、幻想的に映し出されていたことを覚えている。
家まで続く、歩き慣れたこの並木道も、四角く切り取られたらば、幻想的な光景となるのだろうか。早咲きの満開の桜に積もるそれを、桜隠しと呼んだのは、数度目の検査に赴く孫たちを見送った祖母だった。
「どうして、あなたはアルファじゃないのかしら」
病院を出てからずっと黙り込んでいた母がようやく口を開いたのは、そんな取り留めもないことを考えていた折だった。
「どうして、あなたがアルファじゃないのかしら」
いつもの自信に満ちた凛とした声ではない。淡々とした口調で母は繰り返した。家で聞く母の声とも、テレビから届く女優としての母の声とも違うそれは、風雪に消えてしまいそうだった。
「ねぇ、祥平。あなたのお父さんもお母さんも、叔母さんも叔父さんも、おじいさまも、みんなアルファなのよ」
子どもは白く染まった地面に視線を落とした。母がつけた細いヒールの靴跡は、新たに降り積もる雪で、あっという間に消えていく。頼りない思いで見つめているうちに、ふと、昔、母に呼んでもらった童話を思い出した。ヘンゼルとグレーテル。道しるべにと撒いたパンくずは、知らぬうちに小鳥に食べられ、家に戻れなくなってしまう。
「あなただって、みんなからアルファに違いないって、ずっと言われていたじゃない。きっと、アルファの上位種だって。そうに違いないって」
感情を抑えていた声音が崩れ、語尾は僅かに震えていた。信じたくはない。けれど、認めなくてはいけない、と言うように。
「母さん」
ゆっくりと一度、瞬いて、子どもは顔を上げた。艶やかな黒髪が数メートル先で揺らいでいた。
二人の間を遮るように、空からはしんしんと雪が降り続いていた。頬に張り付いた雪花が、なぜか熱い。
「母さん、俺……」
アルファであれ、と言われてきた。望まれてきた。この道を辿れば幸せになれるとパンくずの先で母は微笑んでいた。けれど、もう消え失せてしまった。
呼びかけに、母は振り返らなかった。それでも子どもは、彼女によく似た面差しで、彼女の背中を一心に見つめた。
「母さんが望むなら、アルファになるよ。今までだって、誰も俺のことをオメガだなんて言う人はいなかった。だから」
ひときわ強く吹いた風が、雪とともに早咲きの桜の花びらを振らせた。桜隠し。数度目の検査に向かう娘たちを、もう一人の幼い孫を抱いて玄関で見送った祖母は、慮るように微笑んでいた。
きっと、今日こそは大丈夫よ。だから気を付けて行ってらっしゃい。
いったい、なにが大丈夫だったのだろう。お為ごかしだ。検査の数値が覆ることは有り得ない。そんなこと、分かっていたはずなのに。
この国のすべての子どもは、小学校に入学する前に、第二の性を判別する検査を受けることが義務付けられていた。
総人口の上位一パーセントしか存在しないとされるエリート層のアルファ。人口の大多数を占めるベータ。そして、被支配者層のオメガ。そのいずれであるかを知るためのものだ。
すべてにおいて秀でているとされるアルファであれば、その後の人生における幸せと成功を約束されたも同然で、オメガであれば、その真逆だ。
数十年前ならいざ知らず、表立ってオメガを差別する人間はごく少数だ。差別を助長しかねない第二の性は秘匿。どのような性でも人間は平等である。今は教育機関でも家庭でもそう教えられている。けれど、あくまで表向きでしかない。
オメガが繁殖のための種と称されていたことを知らない人間も、またいない。三ヶ月に一度、雄を誘うフェロモンを撒き散らし、獣のように発情する。アルファと性交をすることでしか生きていけない劣等種。
子どもはそれだと判定された。一度目も、無理を言って重ねた二度目、三度目の検査も。そして最後だったこの四度目の検査でも。
――けれど。
「だから」
自分自身に言い聞かせるように、子どもは一度、言葉を区切った。
「俺はアルファとして生きるよ、この先も」
立ち止まった肩にも雪は積もり始めていた。毛先が濡れているのも、手が震えるほど冷たいのも、ぜんぶ、ぜんぶ雪のせいだ。母は、振り返らなかった。降り積もる雪の重みに負けてしまったのだろうか。道の脇の桜の大木。先の別れた先端が軋む。春を奪い取るような桜色の雪が世界を塞いだ。
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