38 / 43

続 がんばれ!はるかわくん! -12-

─┘─┘─┘─┘─┘─┘─┘─┘─┘  咲 伯 《 DATE 2月14日 午前10時57分》 ─┘─┘─┘─┘─┘─┘─┘─┘─┘  衝撃で、春川と佐東は、ひとつの塊のように床へと倒れ込んでいく。  崩れ落ちる刹那の春川が、一瞬ぼくをみた。  哀しげな目で。 「春川!」  冷水がぼくを振り払って飛び出す。  冷水は、佐東の腕が巻きついたままの春川の体を、佐東からはぎ取るようにして抱え上げた。  呆然としていた佐東は驚いて冷水たちを見たが、もう何も言わなかった。  冷水は佐東から距離を置くと、春川を抱きしめたまま、ゆっくりと腰を下ろす。  途中で拾い上げたスタンガンを、壁の隅のほうに滑らせた。  そこでやっと冷水は、春川の体を、静かに床に寝かせた。 「……カイ…ト…」  上体を起こしながら、佐東が、2人を見たまま口を開く。 「……撃ったのか…、…お前……」  動揺して声が震えている。  春川の意識がないことを、どうやら勘違いしているようだ。 「当たっていたとしてもたぶん小さなアザが出来るくらいで、スグ消えるよ、エアガンだから。でも冷水は正確だから、スタンガンにしか当たってないと思う。」  教えてあげると、佐東は不思議そうに目をしばたかせた。  ぼくも冷水の銃を間近で確認していなかったら、春川は本物の銃で撃たれたんだと思ったろう。 「お前ら…、…本当に、何者なんだ……」 「とにかくあなたは、早くここから出て行ったほうがいいよね。」  というか、出て行って欲しい。  でないと冷水が次に何をするかわからない。  今なら、冷水は、床のうえの春川の様子をひたすら心配そうにしているので、佐東へ危害を加えることもないだろう。  佐東はうつむき、ようやくゆっくりと立ち上がった。  玄関へ向かって踏み出しかけたが、一度止まって、そこで冷水に声を掛けた。 「……お前、俺がカイトにつきまとうのは、財産目当てなんだと言ったな。」  春川だけを見ていたのに、冷水は、また佐東を見上げた。 (もう。早く出て行けってば佐東。)  佐東は、冷水と春川の前でしゃがみ込む。 (うわっ)  ぼくは内心焦った。  だが、冷水は何もしなかった。  佐東が手を伸ばして、ぐったりとした春川の、その髪に触り、指先で軽くといたときも、その手をじっと見ているだけだった。  激昂して佐東の目あたりに向けてエアガンを撃つんじゃないか、などと、具体的なイメージに肝を冷やしていたぼくは、少し安心した。  きっと冷水にも、ようやくわかったのだろう。  佐東に、ぼくらを噛み砕くだけの牙は、もう無い。  最初から無かったのだということを。  佐東は、春川から手を落とすと、ふっと笑った。 「……返してくれと言っても、無理だろうな。その様子じゃ。」  冷水は何も言わず、目の前の佐東を眺めている。 「こいつをよろしくな。気が向いたら、お前の叔父貴が詫びてたって伝えてくれ。」  そう言って、佐東は、ふふっ、と、今度は少し声を出して笑った。 「…無理なんだろうな。その様子じゃ。」  佐東は立ち上がると、今度こそ玄関に向かって歩き出した。  顔には微かな笑みが浮かんでいる。  その笑い方を見て、初めて、春川に似ている、と思った。 ─┘─┘─┘─┘─┘─┘─┘─┘─┘ 「佐東さん」  ドアの外で声をかけてみた。  佐東が振り向くと、口には火のないタバコがくわえられていた。  アパートの廊下は相変わらずがらんとしている。 「どうするつもりなの。これから。」  雨はもう止んでいるようだ。 「……なあ。」 タバコを指でつまんで、佐東は言った。 「俺にとってあいつは、すべてだったんだ。」  佐東はタバコをくわえ直し、コートのポケットを探しながら続けた。 「だけどそのことに気づいたのは、つい最近でね。」  ポケットからライターを取り出すと、いったんタバコに火をつけた。  手すりの向こうの景色を見つめながら、一度深く吸って、 「……俺のものだと思っていたんだがな…。――…… いや、思っていたかったんだよな、俺は。」 と、つぶやくように言った。  それから、ふうう、と、ゆっくり煙を吐き出す。 「とにかく、」 佐東はそこで2、3度咳き込んでから、こっちを見た。 「まあ、そういうことだ。」  そう言って、ニヤリと笑った。  その言葉がタバコの煙とひとつになって、湿った冬の大気に溶けていくのを、ぼくは静かに見守った。 「カイトの新しい飼い主が、俺よりいい男で良かったよ。」  佐東はそんな軽口をたたいて、また軽くふふっと笑い、タバコをくわえるとくるりと反転して再び廊下を進み始めた。  佐東が廊下を右に折れると、革靴が階段を下りていく音が何回か聞こえて… …やがてその音は、消えてしまった。  部屋に戻ると、冷水はまだ春川を見つめ続けていた。  さっきと違うのは、冷水はジャケットを脱いでいて、春川がそれにくるまれているところ。 「やり過ぎだよ冷水。春川のおじさん、死んじゃう気かも。」  冷水は興味なさげにつぶやく。 「死ぬなら1人で首でもくくればいい。」  ああそう。怒ってるんだね、やっぱりね。 「最近春川にかかりっきりみたいだけど、大丈夫なの?」 「大丈夫です。」 「そうじゃなくて。冷水にしてはなんかヤバいくらい能動的に攻めてたみたいだから。」  おかげで佐東はすっかり追い詰められていた。 「…あの内容は、事実ばかりではありません。」 「ん?」  冷水はようやく春川から視線を外してぼくを見た。 「固有名詞はあってますが、ツモリは出頭してもいないし、佐東の会社に関する資料などもありません。」  んっ!? 「そうなの!」 「佐東の会社は、決定的な証拠こそあがっていませんがすでに警察にマークされているし、傷害の3人の名前は、調べてみただけで居所までは知りません。3人のことは警察には匿名で通報しましたが、あとは警察の仕事です。」  冷水はまた春川を見た。 「頭に血がのぼって、とっさにいろいろな嘘をつきました…。すみません。」 (は、春川!)  きみは、冷水に、そこまでのことを! 「……あなた以外の人間が嫌いでした。」  冷水がぽつりとつぶやく。 「…あなた以外の人間に対するこの感情を、どうコントロールすればいいのか、わからない。 ……春川は私をかき乱す。冷静でいられなくなるんです。どうしても。 …それどころか、どんどんひどくなっていくようです。」  小さな呼吸を繰り返す春川を眺めながら、冷水はひとりごとのような声のトーンで話した。 「それを一目惚れというのだよ、冷水くん。」  冷水はこっちを睨んだが、耳がもう赤くなり始めている。(くう♪) 「…そんな陳腐なものじゃありません、…なんというか、……。」  冷水はぼくから目をそらすかわりに、また春川を見る。 「……昔、あなたに会う前、どうしても守りたかった人がいました。」 (えっ。)  初めて聞く話だ。冷水が自分のことをぼくに話すのは、とても珍しい。 「ぼくに会う前って…」 「冷水さんに拾ってもらう前、施設にいたころに…。」  冷水氏と冷水は血が繋がってない。実は、冷水の家庭環境もちょっと複雑なのだ。  冷水は少し哀しげな顔になった。 「…私はそのとき、守れずに、壊してしまった。彼を。」 「…彼…。そのひとに、似てるんだ、春川は?」  冷水は首を横に振る。 「いえ。ただ私は、自分の存在意義を確かめたかっただけなんです。…でも、コントロールのきかないこんな状態では、……。」  冷水は静かにぼくを見た。 「あなたがいなければ、私は何も見えないんです。きっと、私はまた同じ過ちを繰り返していたことでしょう。」 …どういうことだろう。  だが、冷水の言葉を理解する前に、冷水は一瞬、端正な口びるを軽く持ち上げて、とてつもなく美しい顔を見せた。 あ、今、笑ったんだ…  冷水はまた表情を消して春川に向き直ってしまったが、ぼくは、鳥肌がたつほどの強い感銘を受けていて、冷水にそれ以上を聞けなかった。 「…じゃあ、ハルを腕に抱いてやりなよ。そっちのほうがあったかいよ。」  ようやく言葉を紡げたが、冷水は動かず、ただ一言、「汚れますから。」 と言った。  また、そんなこと言う。 「冷水のその、『逆』潔癖症ってさ、さっきの“彼”のせいなの?きみに触られたからって、ハルは汚れないよ。」  そういえばハルも、汚れきった人生とかなんとか言ってたような気がする。  なんでそこまで自分をさげすむのかなあ、この二人は。 (本当に気が合いそうだ。)なんて。  冷水はぼくの言葉には反応せず、完全に黙ってしまった。  もう少しいじめてみたくなったが、これ以上いじめるともう口きいてもらえないかもなので、とりあえず、 (……寒い!)  エアコンのリモコンを探すことにする。  リモコンはすぐに見つかった。スケッチブックの山の上に。  リモコンでエアコンを起動させて、なにげなくスケッチブックをひとつ取る。 (おお。)  デッサンばかりだか、すごくうまい。さすがもと美大生。  真っ直ぐな目をしたきれいな女性の顔とか、しわくちゃの老人の手とか、眠っている猫の絵まである。 (……あれ?)  これ、ぼく?  笑っているぼくの顔。  丁寧な線だが、これだけ何度もなぞりながら描き直したようなあとがある。  すみに、「1/24」と殴り書きしてある。あ、春川のバイトの面接の日だ、確か。  次のページをめくると、(…なんだこれ) なぜだかいきなりドラえもんらしき漫画絵があった。つい顔がほころぶ。 「ところで、春川の胸の痕(あと)ですが」 (うっ)  背後から憮然とした冷水の声。 「まさか全部あなたの「冷水見てホラ、冷水だよ春川が描いた」  聞こえてないふりで素早くスケッチブックを差し出す。  真剣に作業している冷水の横顔が、きれいに描かれている。 「うまいよね。」  冷水は白い顔を赤らめてしばらく見ていたが、 「いつの間に…」  とだけ言って、また春川を見た。 「…―― 目が、覚めませんね…。遅いな、安堂…。」  良かった。注意がそれた。 「冷水がキスしたら目が覚めるかもよ?」  冷水は侮辱を込めた視線をよこす。「…くだらない。」 「…ねえ、冷水、…好きなんでしょ、ハルのこと。」 「……。」  一気に近づき、春川ごしに冷水にキスをする。 「冷水は誰も汚さないよ。ぼくが保障する。だから、今のうちに、ハルにキスしてみなよ。」  そうすればまた一歩、人形みたいな冷水が、人間に近づける気がする。  冷水の顔がまた赤く、人間らしい色になる。 「そんな……」 「寝てるから。今なら。ね。」  冷水は春川を見た。  そして、ゆっくり体を傾けると、春川の頭の横で両手をついた。  静かに、というより、おそるおそる、春川の顔に近づいていく。 (…うお~~!ほんとにする気だ!!) ……やばい。テンション上がってきた!  あああ。冷水には悪いけど、動画撮りたい……  いや、ぜったいばれるし……  よし目に焼き付けよう! (あと、3cm!)

ともだちにシェアしよう!