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未完の一頁

   手に取った筆に青色の絵の具をたっぷりと染み込ませ、水で濡らした真っ白な紙の上に素早く滑らせた。  何度か同色の絵の具を追加し、濃淡をつけていく。  青く染まった紙を見て、次は水に浸しただけの筆に持ち変える。それを染め上げた青の上に置く。青は消え、再び白が現れる。  慎重に筆を動かし形を整えると、次は白い絵の具に手を伸ばす。優しく筆の先端部分を使っていき立体感を出す。  最後に白より少し暗めの色を足して影をつける。    完成した一枚の絵を眺め、出来栄えに満足し小さく一つ頷くと、乾かすために風通しの良い窓辺へと移す。格子窓には四角形で綺麗な模様が描かれており、高価な透明ガラスが使われている。    ふと外へ視線を移すと、今描いた絵と同じくらい青い空が広がっていた。     次々と絵を描いていき、昼過ぎには一通り描き終わった。  最初に描いた絵は乾き、綺麗に色が出ている。    それを確認すると、座卓の抽斗から硯や墨、文字書き用の筆などを取り出し、墨液を擦る。  そして、先程の絵にゆっくりと筆を滑らせた。  物語の始まりは――――……  小太郎は目の奥に刺さるような眩い光を感じて、無意識のうちに閉じていた瞼の上に腕をかざす。段々と意識が浮上してくると、今度は暑さと喉の渇きを覚える。    うっすらと目を開き腕をずらすと、視界一杯に白い塊が飛び込んできた。それはこちらに迫ってくるようにもくもくと膨れ上がっていく。慌てて飛び起きると白い塊がただの積乱雲だと分かり、自分の寝ぼけ具合に呆れた。    暑さに耐えかねて身に付けていたマフラーやコート、セーターなどを次々に脱いでいく。半袖の肌着とジーパン姿になると、上体を後ろへ倒し再び横になった。地面には柔らかな草が生い茂っているため、直に寝転んでもそこまで痛みはない。    そこまできて小太郎はようやく気が付いた。 「えええええええ!?」  飛び上がるように起きると、今度は驚きのあまり今まで出したことがない位大きな声が出た。  青い空、白い雲、焼けるような日差し、草原。 「え、な、何ここ……どこだよ……」  小太郎の記憶が正しければ、今日は真冬の年末で、オタクの祭典の開催日のはずだ。仕事の片手間に趣味で描いている絵本を入れた紙袋を両手に持ち、リュックを背負い、さらに大きなキャリーケースを引いていた。始発の電車に乗るために、まだ夜も明けきらぬ北風冷たいコンクリートジャングルである東京の下町を歩いていたはずだ。はずだった。それが何故こんな所にいるのか全く状況を把握できない。  小太郎は立ち上がって辺りを見渡してみる。一キロメートル程離れた場所に森が見える。首を後ろに回すと、見覚えのある紙袋が一つ落ちていた。慌てて中身を確認すると、自分の作品であり今日の商品でもあった絵本が紙袋一杯に入っていた。一冊一冊汚れがない事を確認し、全てを紙袋へ戻すとぎゅっと抱きしめた。  スマートフォンや財布などの貴重品はリュックにまとめて入れていたため、今の持ち物はこの絵本しかない。  途方に暮れる小太郎の耳に音が聞こえてきたのはこの直ぐ後だった。キョロキョロと辺りを見回すと、森の方から小さな黒い影がこちらに向かってきているのが分かった。  何事だろうと目を凝らすと、たった今まで森のところにあった影がもうすぐそばまで来ていた。  驚いている暇もなく、つい数秒前まで小さな黒い影だった正体が、目の前に要塞のような迫力で立っていた。  真夏の日差しに透けて輝く金色の髪、翡翠の瞳、そして小麦色の肌。濃紺の漢服のような詰襟の着物は裾が長く腰から下は左右に長い切れ込みが入っており、黒い細身の下衣が覗いている。腰には鮮やかな黄色の帯を巻き、そこに短刀を差している。肩には小太郎の身長よりも長い槍を担ぎ、鈍く光る刃が剥き出しになっている。  混乱のあまり逆に冷静になった小太郎は、上を向いて目の前の大男を観察した。    そして、視界に入ったピコピコと動く何かに気が付いた。金色のそれは大男の髪と同じ色をしている。形は例えるなら狼の耳だろうか。    え?と不思議に思った小太郎の耳に、ふぁさりと柔らかい音が聞こえた。視線を下げると、大男の背後から金色の大きな、まるで尻尾のようなものが覗いた。  それを確認した小太郎は、ついに混乱度合いが限界突破し、気を失った。  小太郎が目を覚ますと、まず視界に入ったのは金色の子犬だった。  ハッハッと口を開いてちろりと舌を覗かせた子犬は、翡翠の瞳を輝かせて身体を小太郎の上に乗せると、ベロベロと勢いよく顔を舐めだした。  「えっ…ちょ、待って」  小太郎の静止をまるで聞かず、小さな舌になすすべなく好き勝手にされた。  もう勘弁してくれと思った時、唐突に子犬のベロベロ攻撃が止んだ。  次いで誰かに布で顔を拭われ、そのまま抱き起された。そこでようやく自分が今、床の上に敷かれた布団にいた事を知った。  横を見ると、小太郎が気を失う前にいた大きな若い男がいた。綺麗に整った顔は思ったより若い。そして小太郎の見間違いでもなんでもなく、しっかりと獣耳と尻尾が付いていた。片手で小太郎の背を支え、反対の手で子犬の首根っこを掴んでいる。  子犬は尻尾をはち切れんばかりに振り、空中で脚を掻いている。 神様、一体何がどうなっているんだ。教えてくれ……。    小太郎は心の中で信じてもいない神に問いかけた。しかし、返ってきた言葉は神からの返答ではなく、横にいる男からだった。 「もう体調は大丈夫か?」  大きな体に見合った低い声は小太郎の予想に反して優しかった。 「あ、ああ。もう大丈夫。ご迷惑おかけしました」 お礼と共に頭を下げた小太郎に男は頷く。 「それといきなりで失礼は承知だが、お前はその、何族なんだ?」 「は?」  小太郎は三十年の人生の中で種族を問われたことがなく、間抜けな声が漏れてしまった。  何族とは一体何だ?まあ、しいて言えば…… 「人族?かな。ちなみにあんたは何族なんだ?」  小太郎の曖昧な返答と質問に男は首を傾げた。 「俺は見ての通り狼族だ。それにしても人族とは、聞いたことも見た事もないな。何処から来たんだ?そして何故あんな場所に一人でいた?」  男の矢継ぎ早な質問に正太郎は日本という国出身であること、気が付いたらあの場所にいたことを一つずつ返してく。 「そうか、にわかには信じられないが実際にその姿も日本という国もこの世界にはいないだろうし、信じるしかなさそうだな」  小太郎はこの武骨そうな男があっさりと信じてくれることが内心意外だった。 「とりあえずまずは住む場所が必要だな」    そうだった。小太郎は今の自分の状況を改めて確認する。  宿なし、金なし、職なし、人脈なし、この世界の一般常識なし。絵本あり。   「あ!俺の絵本!」 「ああ、それならここに」  小太郎の言葉に、男は部屋の隅に置いてあった紙袋を持ってきた。  その時に子犬を離したため、子犬はその隙に勢いよく小太郎に突進した。 「ワンッ!」  キラキラとした翡翠の瞳を向ける子犬に、小太郎はたった今まで考えていた事を忘れ、デレデレとした顔で子犬を撫でまわす。  子犬らしい細くてふわふわした毛は柔らかく暖かい。子犬も嬉しそうに尻尾を振ってごろんとひっくり返ってお腹を見せる。 「はあああ可愛い、なんて可愛さだ。ああもう本当に可愛いなあ」  人間、あまりにも尊いものに遭遇すると語彙力がなくなるというのは本当らしい。 「お前、子どもが好きなのか?」 男の問いかけに小太郎はデレっとした顔のまま男の方を向く。 「ああ、もちろん!」  動物の子どもというのはどの種類でも可愛い。特に小太郎は昔から犬が大好きだった。  小太郎の返事を聞いて男は顎に手を当てて二人の様子を観察した。小太郎と子犬は相変わらずキャッキャと戯れ、部屋の中をコロコロと動いて遊んでいる。  小太郎も子犬も楽しさのあまり興奮しすぎて息が切れてきたころ、ようやく男は口を開いた。 「俺から一つ提案があるんだが」 「なんだ?」  小太郎は男の正面に胡坐をかいて座ると、子犬は正太郎の足の間に陣取った。そして早くもウトウトと舟を漕ぎだした。 「俺は武官の仕事をしていて基本昼間は仕事で屋敷にいない。たまに夜勤も入る。使用人は何人かいるが、皆それぞれ仕事がある。俺の両親は別宅で療養中でな。つまり、この屋敷には付きっ切りで汀洲(テイシュウ)の世話をできる奴がいない」 「テイシュウ?」 「こいつの名だ」  小太郎が聞き返すと男はすっかり寝入っている子犬を指差した。 「お前も今の汀洲の様子を見て分かったと思うが、こいつは結構やんちゃでな。まだ小さいから何をしでかすか分からん。だから付きっ切りで世話をしてくれる者を雇うつもりでいたんだが、汀洲は人見知りをしてしまって中々人が決まらずにいた。だが、お前には人見知りもせず、随分と懐いている。そこで、お前に汀洲の世話係として住み込みで働いてもらいたい。条件は三食昼寝付きで勿論給金も支払う。ついでに空き時間にこの国での一般常識や教養を教える。どうだ?」  男の出した条件は小太郎にとってこれ以上ないくらい好条件だった。しかも仕事内容は大好きな子犬の世話である。  正直、犬一匹のために人を一人雇うのかよ、と思ってしまったが、賢明な事に声には出さなかった。小太郎は、この男も犬の仲間の狼であるため、近い種族に対して過保護になっているのだろうと思った。  だが、それを抜きにしても汀洲は可愛い。小太郎が今まで見てきた犬の中でも断トツだ。  そんな可愛い汀洲が、もし誤ってこの屋敷の敷地から飛び出して車に轢かれたり、怪しい輩に連れ去られてしまったらと考えると、確かに誰か一人は汀洲に付いていた方がいいなと思い直す。そしてその役目は自分がしたいとも思った。 「分かった。俺がしっかり汀洲の世話をする。仕事から住む場所まで提供してくれてありがとう」  小太郎の返事に男は頷いた。 「こちらこそ感謝する。そういえばまだ名乗っていなかったな。俺は(オウ)鴻洞(コウドウ)。武官として王宮に務めている」 「おれの名前は橘小太郎だ。よろしくな」  二人の自己紹介が終わって少しすると部屋の外から声がかかり、夕飯を食べることになった。小太郎は汀洲を抱えて鴻洞の後を追い廊下に出る。夏の陽は沈むのが遅いが、片側が外に面している廊下に出ると、辺りは夕日に照らされていた。長い廊下から見える庭は綺麗に手入れされている。  案内された居間には座布団と、漆塗りの箱膳が三膳並べられていた。  二膳は小太郎も日本で食べなれた米と味噌汁、それから野菜や肉などが使われた料理が綺麗に並べられていた。ただし、量が半端なく多い。恐らく三人前分位はありそうだ。  一方、もう一膳は膳自体がとても低くて小さい。器も小さく、中身もかなり少ない。座布団の上には小さな青い布が置いてある。 小太郎は疑問に思いながらも促されるまま汀洲を鴻洞に預け、大きな膳の前に座った。  鴻洞も座ると汀洲を軽く揺すって起こした。寝起きの汀洲は大きくあくびをした後、小太郎を見つけて嬉しそうに瞳を輝かせた。 「汀洲、飯の時間だ。早く着替えろ」  汀洲に着替えろ?鴻洞は何を言っているんだ?  小太郎が疑問を口にするより早く汀洲の身体が光り始めた。  ほんの数秒で収まると、鴻洞の腕にいた子犬が、小麦色の肌に、金色の獣耳と尻尾の生えた人型の小さな男の子の姿に変わっていた。  男の子は素っ裸のまま鴻洞の腕から飛び出すと、大きく跳ねて小太郎の胸に抱きついてきた。小太郎は咄嗟に男の子の身体に腕を回して支える。男の子のふわふわの尻尾が左右に激しく揺れ、小太郎の腕を勢いよく撫でる。男の子は嬉しそうににっこり微笑むと、小太郎の顔をベロベロと舐め始めた。 「えええええええ!?」  本日二回目の小太郎の叫びが屋敷中に響いた。  小太郎が鴻洞に保護され汀洲の世話係として生活し始めてから二ヵ月が過ぎた。    この世界に来て最初の頃は、夜中になると故郷の事を思い出して泣くことが多かった。家族や友達の顔を思い浮かべては、その端から段々と薄れていく。今では家族の顔どころか名前さえ思い出せない。  次第に故郷の事を思い出す回数も減り、ここ数日は夜中に何も思うことなくぐっすりと眠れている。  小太郎は毎日汀洲と共に過ごしている。鴻洞は仕事が忙しいらしく、朝食は一緒にとれるが、夜は汀洲が寝てから帰って来ることも多い。    この辺の地域は夏が長いようで、連日のように焼けるような暑さが続いている。真っ青な空に大きな積乱雲がすぐそこまで迫っている。  そんな中でも汀洲は暑さをものともせず元気に庭を走り回っている。小太郎は汀洲にこまめに水分と休憩を取らせながら毎日一緒に遊んでいた。  汀洲は遊ぶ時は獣型になることを好むため、今も子犬改め小狼の姿になって必死に蝶を追いかけている。小太郎は縁側に座って冷たいお茶を飲みながら汀洲を見守る。    この冷たいお茶の入れ方は小太郎が使用人たちに教えた。  使用人たちは最初、どこの馬の骨とも知れぬ、見た事のない種族である小太郎を警戒して距離を置かれていた。だが、汀洲が小太郎に懐いている事、何より現当主である鴻洞が小太郎を信頼して汀洲を預けている事から、徐々に受け入れてくれた。  今では小太郎が伝授した冷たいお茶は屋敷の者たち全員が好んで毎日飲んでいる。  そして、彼らに色々な話を聞いた。  汀洲はまだ三歳で甘えたがりなこと。  この世界のどの種族も五歳位までは成長速度が遅い事。  狼族は毛色によって能力に差が出るため階級が分けられていること。  金色と銀色が一番階級が高く、次いで黒。その下に灰色と茶色。一番下が白色だ。ここの使用人は皆白色狼で、普通なら蔑まれ底辺のような生活を強いられるらしい。  だが、塕家はその差別に疑問を持ち、代々白色狼を保護し、屋敷の使用人として安全に暮らせる環境を提供している。そのため使用人たちは皆、恩人である塕家当主に心酔している。ちなみに今の当主は鴻洞だ。  その他にも、この国の一般常識や必要最低限の教養なども教えてもらった。最近は汀洲と共にこの国の文字を教えてもらっている。  彼らから聞いた話で小太郎を何よりも驚かせたことは、鴻洞が二十二歳だということだった。それを聞いた時に小太郎がこの世界に来て三回目の叫び声をあげた事は、使用人たちの記憶に新しい。  しかし、小太郎は使用人たちから一つだけ聞き出せない事があった。  小太郎が汀洲の母親の事を尋ねると、皆悲しそうに何かに耐える顔をする。そんな顔を見てしまうと無理に聞き出すことも出来ない。  周りがそんな様子のため、鴻洞に直接聞く事なんて到底出来なかった。 「汀洲―、俺ちょっと厠行ってくるから庭から出ないで待っとけよー!」 「ワンッ!」  蝶を追いかけながらも元気よく返事をした汀洲に、小太郎は縁側のすぐ傍にある厠に向かった。  小太郎が用を済ませ厠から出ると、汀洲のか細い鳴き声が聞こえてきた。 「汀洲!?」  汀洲は庭にある大きな木の上にいた。小太郎は慌てて木に駆け寄る。汀洲の耳はぺたんと伏せられて尻尾は縮こまっている。  小太郎を見つけた汀洲はどうにか自力で降りようとしたが恐怖で足が竦んでしまい、震えながらクゥーンと鳴いている。 「そこで待ってろ。俺が今助けてやるからな、大丈夫だぞ」  小太郎はなるべく優しく声をかけながら木の幹に足をかけた。  無事汀洲の元まで辿り着くと小さな金色狼を胸に抱きよせる。汀洲は爪を小太郎の着物に引っ掛けて抱き着く。 「よーしよし、よく頑張ったな。今から降りるからしっかり捕まってろよな」  小太郎が下りようとすると、汀洲は恐怖で混乱し、無意識のうちに人型に変身した。小太郎は突然の眩しさと一気に重くなった汀洲に驚き、つい手を滑らせてしまう。  あっ、と思った時には既に背中側に鈍い痛みが走った。重い衝撃に一瞬息が詰まった。 「こたろー、こたろー」  小太郎は自身のお腹の上にいる涙声の汀洲の頭を撫でて、痛みに顔を顰めながらゆっくり起き上がった。汀洲に怪我がないか確認すると、震える小さな体を優しく抱きしめた。 「怖がらせてごめんな。俺が行くまで一人でよく頑張ったな」 「こたろーいたい、ごめっ、なさぃ。ふぇっ、うわああああん」  小太郎の声を聞いて安心した汀洲は大きな声をあげて泣いた。 「っていう事があったんだ」  汀洲を寝かしつけて少し経った頃、仕事を終えた鴻洞が帰宅した。  夜は小太郎と鴻洞の二人で晩酌するのが日課になっている。その時に小太郎は今日の汀洲の様子を鴻洞に話す。  小太郎が汀洲の話をすると、鴻洞はいつも穏やかな表情になる。小太郎は普段は不愛想な鴻洞の表情が和らぐ様を密かに気に入っているため、いつも事細かに話す。 「その時に腰を打っちまったみたで、これが地味に痛くてさー。んで、湿布貰ったから貼ったら直ぐに痛みが引いたんだ!俺の知ってる湿布はこんな即効性ないから驚いたの何の!」  酒が入り少し陽気になっている小太郎は自分の腰をさすりながらケラケラ笑う。  その様子を見た鴻洞は眉をしかめた。 「鴻洞、お前なんでそんな怖い顔してんだ?」 「お前こそ何故そんなにへらへらしている。腰を見せてみろ」  鴻洞はそう言うと小太郎の腕を掴み、胡坐をかいた自分の膝の上に小太郎を引き倒した。そのまま伏せた体制になっている小太郎の寝巻の帯を解き、一気に着物を剥いだ。  一瞬の出来事に小太郎はなすすべなく、気が付いたら下着一枚になっていた。 「ちょっ、ちょちょちょい待ち!お前何やってんだよ!」  鴻洞は小太郎の言葉を無視して片手で小太郎を抑え付け、もう片手で湿布が貼ってある腰を優しく撫でた。 「うひょっ」 「随分と色気のない声だな」  からかいと僅かな笑いが含まれた鴻洞の声が小太郎の背後で聞こえた。と思ったら、また腰を撫でられる。  小太郎はぞくりとした感覚に肌が粟立つ。 「ちょっと待て、お前ほんとにそれやめっ、んあっ!」  背中の窪みをなぞられて自分でも聞いたことのない声が漏れてしまう。 「ほう、まともな声も出るじゃねえか」  鴻洞はニヤリと意地悪く笑みを浮かべ、膝で小太郎の下半身を刺激した。 「んっ、はあっ……、お、お前、マジでそれは、ああっ…!」 「どうした?腰が揺れているようだが?」  ぐりぐりと押し付けられる刺激に身をよじって離れようとするが、鴻洞の腕に拘束されているため大した抵抗はできていない。  それどころか身体を動かすたびに下半身への刺激が強くなり、快楽を逃そうともぞもぞと動いてしまう。そして動くと自ら下半身を押し付けるような形になってしまい、さらに快感が増すという悪循環に陥っている。  鴻洞は小太郎の下着に指を引っ掛け、ぷりんっと覗いた尻を揉みしだく。勿論、下半身へのいたずらも忘れずに行いながらである。 「ちょ、おまっ、あっ、待っ、てぇ…、んあぁっ……」   もう我慢できない……    小太郎がそう思った時、部屋の扉が開き、涙目の汀洲が顔を出した。 「こたろー、どこ?こわいゆめみた……」  しゃくりあげながら近づいてくる汀洲に、小太郎は一気に血の気が引いた。 「わああああああ」  次いで大きく叫ぶと、渾身の力を振り絞って鴻洞の拘束から逃れた。急いで寝巻を肩にかけると適当に帯を巻き、すぐに汀洲の元へ向かいその身体を抱きしめた。 「て、汀洲っ、怖い夢見たのか。そうかそうか、それは怖かったなー。俺も一緒に布団に戻るから、今度は怖い夢見ないで眠れるぞー」 「こたろー、なんかドキドキしてる?」 「え!?」  汀洲の無垢な質問に小太郎の頬は真っ赤に染まった。 「あっ!こーどー!」  小太郎の肩越しに鴻洞を見つけた汀洲は、小太郎の事などお構いなしに鴻洞の元へ駆けていく。 「こーどーおかえり!」 「ああ、ただいま」  鴻洞は汀洲を抱き上げると小さな額に口付けた。  その美しい金色狼の親子の姿を小太郎は一人離れた場所から見ていた。何とも言い表せない感情が棘のようにちくりと心に刺さった気がした。 「こーどーもうおねんね?」 「ああ、もう寝る。今日は三人で寝ようか」  喜ぶ汀洲は鴻洞の腕を抜け出すと小太郎の元へ走りその胸に抱き着いた。 「はやくねんねしよ!」  笑顔の汀洲につられて微笑む小太郎を鴻洞は静かに見ていた。  普段は小太郎と汀洲の二人で寝ている部屋にもう一枚布団を敷いて、汀洲を間に挟んで三人川の字になった。  汀洲は元々夜遅くだったのと、鴻洞の早い帰宅に興奮したのとですぐに眠りについた。  だが、小太郎は中々眠れずにいた。先程の鴻洞の触れ合いを思い出したり、鴻洞と汀洲の姿を思い出したりと頭の中が忙しい。 「眠れないのか?」  背後から鴻洞に囁くように問いかけられて、小太郎の肩が揺れた。 「小太郎」  なんとなくその声に逆らえず素直に反対側を向くと、思ったより近い位置に鴻洞の顔があり、小太郎の心臓は大きく跳ねた。  汀洲は二人の胸の辺りでぐっすりと眠っている。  鴻洞は腕を伸ばし、大きな手で小太郎の頭を撫でた。 「お前がどう思っているかは知らんが、俺と汀洲はお前のことを大事な家族だと思っている」  鴻洞の言葉小に太郎は息を飲んだ。  その様子を見た鴻洞はぽつりぽつりと話していく。 「汀洲は俺の姉の子なんだ。姉は嫁ぎ先で酷い暴力を受けていたらしくてな。そんな中で汀洲は生まれた。だが、その事でさらに暴力は酷くなった。姉の旦那の実家は銀色狼こそが最高位の狼だと主張している一家だった。そんな中で姉の色を受け継いだ金色狼の子が生まれた」  その後の展開は聞かずとも容易に想像できてしまう。  外からは雨の音が聞こえてきた。  小太郎は胸の辺りにいる汀洲を抱きしめる。 「たまたまうちの屋敷の者が姉と汀洲に新しい着物を届けた時にそれが発覚した。その時には姉は虫の息で、うちの使用人に汀洲を託すとその場で安心したように息を引き取った。姉はほぼ監禁状態にあったらしく、助けを呼ぼうにもそれができない環境だった。姉の死と原因を知った両親は精神的に衰弱してしまって、今は地方の別宅で療養中だ」    だから使用人たちは皆、この話をしたがらず、悲しそうな顔をしていたのか。 「幼い汀洲でも母親がこの世からいなくなった事は分かったみたいで、一年前に俺が引き取った時は酷く不安定な状態だった。使用人には全く心を開かないが、姉と匂いの近い俺には懐いてくれた。だから俺は暫く休職して付きっきりで汀洲の世話をした。汀洲が元気な状態に戻り、俺も復職したのはお前が来る少し前だ。お前に汀洲の世話を頼んだ本当の理由は、不安定な汀洲の傍に笑顔でいてくれる奴が欲しかったからだ」    鴻洞は汀洲に注意しながら小太郎の腰を引き寄せた。 「最初は汀洲がお前に懐く理由が分からなかったが、今はよく分かる。お前の傍に居ると落ち着くし、自然と笑顔になれる。心が安らぐんだ」  暗闇の中でも分かる程の甘い視線で囁いた鴻洞に、小太郎の心臓は破裂しそうなくらい鼓動を速めた。 「このまま、ずっと俺たちの傍に居てくれないか」 「うん、ずっと一緒に居たい。二人の家族でいたい」  自然と言葉が出た。   そっか、俺はこの二人の家族になりたかったんだ。  先程まで抱えていた気持ちはこれだったのだ。  心の棘が取れてすっきりした小太郎に、鴻洞は顔を寄せた。  小太郎は目を閉じて受け入れた。段々深くなる口付けに小太郎の息が上がってくる。    雨の音が激しくなってきた。    鴻洞は汀洲をそっと端の布団に寝かせると、横になったままの小太郎の上に跨り、再び深い口付けをする。そのまま鴻洞の手が小太郎の着物を割って直接肌を撫でてくる。 「鴻洞、汀洲が起きちまう」 「大丈夫だ。最近は雷の音が鳴っても起きないだろう」 「うん」  やがて雨は雷雨へと変わった。 「ただいまー」  元気な声に、現実へと意識を戻した。書けない部分を除いて一通りの文字入れまで終わった。 「おかえり」 「ねえねえ、もう出来た?」 「まだだな。明日には完成するぞ」 「楽しみだなー」  大きく成長した愛しい金色狼の少年に目を細める。  小太郎がこの世界に来て六年が過ぎた。    小太郎が元の世界で作った絵本を汀洲が学校に持っていきそれを自慢したところ、学校中で評判となり、それがいつしか街に、世間にまで広がった。今では予約殺到の大人気絵本作家として名を馳せている。  今作っているのは汀洲の誕生日の贈り物用だ。本人の希望で、小太郎がこの世界に来てから家族になるまでを描いた。 「あっ、鴻洞!おかえり」  汀洲の声に小太郎は振り向く。精悍さが増した伴侶の姿を認めると、自然と笑顔がこぼれた。 「おかえり」 「ただいま。小太郎、汀洲」  鴻洞はそう言うと小太郎の身体を抱きしめて、額に優しく口付けた。 「あー小太郎だけずるい!俺も!」  汀洲は跳ねておねだりすると、鴻洞は微笑みながら汀洲を抱っこして口付けを送る。  汀洲は嬉しそうにそのまま今度は小太郎にも同じようにおねだりをする。小太郎は喜んで鴻洞ごと汀洲を抱き、小さな額に口付けた。    皆様に新たな性癖の扉を開かせてしまうような作品をお届けしたいです。

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