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俺と君

可愛いものが好きだ。可愛いものに囲まれている時間はしあわせだから。 淡い色合いの、ふわふわ広がる服。ストラップまで丁寧に装飾の施された、少しヒールのある先の丸い靴。タイツやストッキング、果てはショーツやブラジャーだって。 見えないところまでオシャレで、可愛らしい。そんなものに憧れて、気付いたら、身に纏うようになっていた。コンプレックスだった童顔も、伸び悩んだ身長も、そうなってしまえば喜ばしいもの。 女の子になりたいわけじゃなかったけど、大好きな可愛いものに包まれて、鏡の中には可愛らしい女の子。その姿で街に飛び出せば、周りの目なんて気にしないで、ふわふわきらきらした服も、雑貨も、ぬいぐるみも、見放題、手に取り放題。 その時間はとてもしあわせで、けれど。絶対に、友達にも、誰にも、言えない趣味。 女の子になりたいわけじゃなかった。可愛い女の子が好きだった。はずだった。なのに、なんで俺、男に恋してんだろ。 「ぼーっとして、どうしたの、あやね」 「あっ、ううん! なんでもないよ、けんくん」 「あー、わかったー、やっぱりさっきのぬいぐるみ欲しかったんだなー。よしっ、もういっちょ頑張りますか!」 「え、いいよお、けんくんユーフォーキャッチャーへた…」 「金ならある」 「……」 妙にキメ顔でそう宣う目の前のこの男に、俺は、恋、している。 大学の、良くも悪くも目立つ男だ。顔はいい、頭もいい、背も高くて、人当たりもいい。そんなに勉強してるイメージはないのに、試験前はこいつを頼る奴が多い。ノートがわかりやすいんだと噂に聞いた。 けど、人が寄ってくるだけあって、女遊びに余念が無い。そのくせ、バイトが忙しいなんて言って、学内以外ではあんまり人付き合いもないと聞く。 そんな男のバイト先のカフェで、たまたま、仕事中の彼にぶつかってしまって。 コーヒーが俺のスカートに跳ねてしまったのが、始まり。 最初、俺は相手がわからなくて。ただ、ふらふらしていた俺のせいで、店員さんの仕事を増やさせてしまったのが申し訳なくて。 彼のほうはと言えば、スカートのシミにあわあわしちゃって。別に、俺としては質より量と思ってた時期に買い込んだそもそも安物な上にセール品だったし、色的にも目立たないし。なによりここで少しのんびりした後は帰る予定だったからいっこうに構わなかったんだけど。 オレもうすぐバイト終わるから、これから一緒に買い物行って弁償させてください。なんて言われたら、さすがにナンパされてるって気付くわけで。まあ、俺がここを避けてしまえばもう会うことはないだろうし、一回くらいならいっかな。 ……なんて、思ってしまったのが間違いで。そのときうっかり、連絡先の交換を許してしまって以来、何度かこうしてデートらしきを重ねている。 彼と、大学のあいつが初めは結びつかなかったけど、知ってしまってからは構内で見かけるだけでどきどきして。あいつが女の子と二人きりで話をしてるだけで苦しくて。 まったく、なにやってんだろ。向こうは、俺が同じ大学にいるって、知らないのに。それどころかたぶん、菅沼絢斗なんて男なんか、知らないのに。 「あーやねっ」 「うわっ」 急にかけられた声に、びくりと跳ね上がる。はっとして彼を見ると、こっちを見ていたのは彼じゃなく、大きなぬいぐるみだった。 「けん……くん……?」 「あやねってばまたぼーっとしてー、ほらほら、取れたよー」 ぬいぐるみをぴょこぴょこ動かしながら、ひょっこり顔を覗かせる彼が、可愛くて、意図せず頬が火照ってくる。 あーもーくっそ、俺はこんなのにも可愛いって思うのか!小柄で可愛い女の子がするんじゃなくてもいいのか! 悔しくなって、半ば奪い取るようにぬいぐるみを受け取って、ぎゅっと抱きしめて顔を埋める。こんなふうにおもうようになってしまったのが悔しい。さらに悔しいのが、そんなふうに思えるのはきっと、彼にだけってことだ。 「そんなに欲しかったならちゃんと欲しいって言ってくれていいんだからねー?」 なんて、俺がぬいぐるみに喜んでると思ったらしい彼の言葉が。優しく頭を撫でてくれる大きな手のひらが。たまらない気持ちをどんどん大きくしていって。泣きそうだ。 最近、気になる子ができた。 言い寄ってくる女は多くても、どいつもこいつも香水やら化粧やらでにおいも臭けりゃ言動も胡散臭い。みんな気持ち悪くて、出来るだけ避けて回っていたときだった。 悪趣味なにおいを掻き混ぜた流行りの香水とは違う、あまい香り。化かしてない、天然の愛らしいかお。ふわふわと漂っているような、風が吹けば何処かへ消えてしまいそうな頼りなさ。 遊びまくってるってオレの噂はよく聞くけど、まったくそんなことないもんで、彼女との些細な接点を、次へ次へ繋げるためにいつも必死。 最初に連絡先を聞いたときなんて、ほんとめっちゃダサい感じになっちゃったと思ったけど、彼女は呆れるどころか柔らかく微笑んでくれて。きゅんってきた。きゅーんって。オレのきゅんきゅんセンサーにビンビンきた。 その後、何度かデートを取り付けて、会うたびにオレはきゅんきゅんさせられっぱなしで。一番たまんないのは、可愛いものに目がないくせに、欲しがるわけでもなく、ただ子どものように目を輝かせてそれらを見つめる姿! 無言で、目線と雰囲気だけで買ってくれと強請るような汚い女とは違う、ただ純粋にそれを目にすることがしあわせとでもいうような視線。 これといって欲しがってるわけじゃないから、あれもこれもそれもと簡単に目移りするんだけど、ひとつひとつを視界におさめるたび、少しずつ表情が変わってくのが本当に愛らしい。初めて外に出た子犬や子猫を見守っている気分になって、本当に、見てて癒される。 たまに、本当に欲しそうなかおをするのもわかって。けれどやっぱり、買って、とこちらを見るわけでもなく。 ただ何かを考え込むように小さく呟いて売り場を離れて次へ移っている間に、それを買っておいてあとでプレゼントしてあげれば、そりゃあもう花が綻ぶような笑顔ってのはきっとこれのことを言うんだ! っていうような柔らかな笑顔を見せてくれて。 「……たまらん」 「健介、顔緩みすぎ、キモい」 「ンァ、まじで、ヨダレ出てない?」 「出てないけど出そう」 そんなこと言われたって、あの子のことを考えるとどうしても緩む。ヨダレ出てないならそれでいいやって思う。まあ、あの子の前だったら絶対こんなだらしない顔見せらんないけど。あの子のいない、大学の講義室だからできることだけど。 そういえばオレ、あの子の名前とメアドしか知らないや。歳、とか。同じくらいだとは思うんだけど。 考えながら、講義室の机に頭をつける。 この講義は人気がないらしく、いつも何故かオレの周りに集まってくる連中はいない。面白いのに、勿体無いなあと漏らすと、面白くはないな。と隣に座る悪友から返ってくる。オレは知っている、おまえが完全にオレのノート目当てでこの講義を取っていることを。 とはいえ、元々大人数の中にいるのが得意じゃないから、この時間は気が休まる。人に集まられるのが苦手なオレに、なんでそんなに集まってくる奴らがいるのかってそりゃあこの顔と幾重にも被った猫の賜物だろう。 面倒な人間関係は勘弁だけど、ぼっちはもっと勘弁。だったら面倒を選ぶ。 ところでこの講義、オレが最近気になっている人間ナンバーツーがいる。もちろん一位はあの子なわけだけど。二位はこの講義を取っている男子学生だ。 気になり始めて、注意して見るようになってから気付いたのは、同じ講義率90%ってことと、彼はオレには全く興味がないこと。興味がないっていうよりあれかな、人気者は視界に入れたくないタイプなのかも。 友達いないってわけでもなさそうだけど、あんまり多いようにも見えない。 とまあ彼を観察してるのは別に二股かけようとしてるとか男に興味あるとかじゃあない。 なんというか、気になるあの子に似ているあの子。どこか、とは名言しがたいけど、何かが似ている気がする。あの子みたいな柔らかい表情を見せるわけでもなければ、彼はとても凛としていてあの子のような儚さもない。 けど、なんだろう。最近は特に感じるんだけど、なんとなく危うさを感じて。よく、わかんないけど。あの子に似ている気がするんだ。 もしかして兄妹とか? なんて考え始めたら妄想が止まらなくて。だって、ほんとにそうだったら、彼とお近付きになれればあの子ともお近付きに…! とか、さ! 考えちゃうじゃん。そう簡単にはいかんだろうけども。 「すーがぬーまクン」 「っ!?」 講義が終わるなり、ダッシュで近寄って、声をかける。びくりと体ごと跳ねるような驚き方、あの子にそっくり。やっぱ親族なのかなってちょっと期待しちゃう。 「な、なに…」 答えてはくれるけど、こっちは見てくれない。オレとは極力関わりたくないみたい。ちょっとザンネン。残念? なんでだ? 別に菅沼クン自身にはなにを求めてるわけでもないんだけど。 「菅沼クンってさ、妹いるの?」 「は、ぁ…?」 オレの問いに、驚いたかおでこっちを見た。まあ、そりゃそっか。話したことない相手にいきなりそんなこと聞かれちゃあね。俺だってびっくりするわ。 「あ…えと…」 居心地悪そうに、視線を巡らす。なにも、そこまでキョドらなくても。オレが見てた限り、決して多くはない友達と話してるときは、普通に普通だったのに。極度の人見知り、とか? 「い、る…けど……」 たっぷり間を置いて返ってきた答えに、オレは一気に前のめりになる。対する菅沼クンは、椅子から落ちそうなくらい仰け反った。いや、ゴメンね、オレも必死なのよ。 「今度、会わせてもらってもいいかな。あ、オレね、街で一目惚れしちゃった子がいてさ、なーんか菅沼クンに雰囲気似てるし、兄妹なのかなって」 あ、やべ、本人じゃないからってさすがにグイグイ行き過ぎたか、と思ったのも束の間。脱兎の如く逃げ出す菅沼クン。しまったやっちまったと机に肘をついて顔を覆う。 瞼の裏に焼き付いていたのは、あの子によく似た瞳が、泣きそうに揺れるところ。最近の菅沼クンに感じていた危うさを、強く滲ませた表情だった。 「何やってんだお前」 「オレにもわからん…」 あの日以来、あやねからの返信がなくなった。同じ講義率90%のはずの、菅沼クンを見かけることもなくなってしまった。 あの日見た泣きそうな顔が焼き付いて離れない。去って行く背中が、今にも脆く崩れてしまいそうな幻想に取り憑かれてどうしようもない。 オレがしつこかったなら、それであやねに嫌われてしまったのなら、この際仕方ないとも思える。だって、オレが悪かったんだ。うまくいかない恋愛なんてそんなもんだ。 けど、菅沼クンが講義に出ないのは、それがオレのせいだって言うのなら、それはよくない。菅沼クンの学生生活が、ちょっと調子に乗っちゃったオレなんかに邪魔されていいわけがない。 ……なんて、考えれば考えるほど鮮明に思い出せてしまう、菅沼クンの華奢な肩、腕、腰、大きな瞳、柔らかそうな頬。それは愛おしく思い、抱きしめたい衝動を、まだだまだだと押し留めてきた彼女によく似た…いや、彼女そのものと思わされるような。 そうだ、なんで気付かなかったんだろう。似ていると思ったのは、顔だ、体躯だ。あの日たまらず声をかけたのは、少なからず菅沼クン自身にも興味があったからだ。 「クソッ、なんだこれ…」 あの日、菅沼クンの細い腕を掴んで、逃がさなければよかったのだろうか。声をかけず、あやねのほうに、兄はいるかと聞いてみたらよかったのだろうか。前にあやねと会ったとき、ぬいぐるみに顔を押し付けて泣き出しそうなのを堪えていたその肩を、抱き寄せることが出来たらよかったのだろうか。 オレの中で、あやねと菅沼クンが混ざっていく。今あいたいひとがどっちなのかも、わからなくなってしまった。 『今日の講義が全部終わったら、』 「わ、た、し、の、ところ、に、き、て、く、だ、さ、い……送、信」 これは、賭けだ。彼に興味を持たれた、彼が捜している、"あやね"が俺だってバレるのが怖くって。気持ち悪い趣味だって引かれるのが怖くって。嘘つきと罵られるのが怖くって。 理由はなんであれ、嫌われることが怖くて怖くて怖くて仕方ないくらい、彼のことが、大好きで。 クレーンゲームでとってもらった大きなぬいぐるみを抱えて、泣いて、泣いて、泣いて。女の子になりたいと本気で思ったのなんて初めてで。 彼が認識していないと思っていた菅沼絢斗に声を掛けられたとき、もう、嘘はつけないと思った。だって、彼は俺を知らないって思ってたから、あやねしか知らない彼だったから、俺は素直にあやねでいられただけなんだから。 でも、彼を好きなのは、俺自身で。きっと俺は顔に出ちゃうから、意識して避けるようにしてたのに、向こうから近付いてくるなんて。しかも、俺とあやねは、違うものだ、って、突きつけて来るなんて。 面と向かって、菅沼絢斗には興味がない、って言われたみたいで、苦しかった。逃げ出してしまった。そしたらもう、近付くことも出来なかった。 それでも、会わなくても強くなるばっかりの気持ちはどうすることも出来なくて。どうなろうと、ぶつけるしかないって、思ったんだ。彼が、俺を受け入れてくれるなんて思えるほど楽観的にはなれないけど。彼に、この場所がわからないかもしれないけど。彼は、もうあやねに愛想を尽かしてしまったかもしれないけど。 それならそれだ。そのときはもう、どうにかして諦めよう。彼を好きでいるのは、今日までにしよう。 そう決めて、朝、メールを出して。そして夕方、二週間前、小堀健介が、菅沼絢斗に初めて声をかけてきた、俺が怖くなって逃げだしたあの講義室で。彼のよく知るあやねの姿で、彼を待った。 柔らかく俺を包んでくれるはずのかわいいものが、今日は、やけにきつく締め付けてきているように、感じた。 「くるしい……な」 メールを告げるバイブで、スマホが震えた。二週間ぶりの、あやねからのメールだった。場所も書いてなければ、時間もあやふやな内容。 それでも、これを逃したらもう、菅沼クンにも会えない気がして。場所は、ひとつしか思い浮かばなくて。そこがハズレだったらどうしようなんて、少しだけ思わなくもなかったけど、彼女は――いや、彼、だろうか――は、そこにいる確信があって。 その日も一日姿を見ることのなかった背中を探して、小さな講義室の扉を開けた。 淡い色合いの、ふんわりとした服。 消え入りそうな後ろ姿。彼女のいるその席は、いつもこの講義室を使うときに、彼が必ず座る席。 「けんくん…?」 ドアの音にぴくりと肩を揺らしたあやねは、こちらを振り返らないまま口を開いた。 「……ああ」 「来て……くれたんだね」 声が少し、震えている。 「私ね、ずっと言えなかったけど、けんくんが、だいすきだよ。とってもとっても、だいすき。だからね」 後ろからでは、泣いているのか、どうなのかが、わからない。ほんとはもっと違う形で聞きたかったことばが、涙声で紡がれる。 「もう、やめにしたいんだ。ごめんなさい。私はけんくんを騙してた。私は……」 「俺が勝手に騙されたんだよ」 たまらなくなって、駆け寄って、背後からきつく抱きしめた。きみはなにも悪くない。 まるで罪を告白するかのように苦しげに吐き出されることばで、その先を、言わせはしない。きみが悪いなんて、きみに、言わせはしないよ。 「悩ませてごめん、あやと」 「っ」 あやと。 菅沼、絢斗。 オレの一目惚れした可憐な女の子じゃない。同じ講義室にいただけの、華奢な男の名前。 息を詰める音がした。抱きしめた体は、震えていた。ぐすぐすと鼻をすする音がする。 「け、ん……」 「ひとつだけ教えて、あやと。いつもしあわせそうに目を輝かせて、たのしそうにふわふわ笑ってたのは、嘘や演技じゃ、ないよね?」 こくり。俺の問いに、彼女、もとい、彼の頭が縦に揺れた。 「ほんとに、たのしくて、うれしくて、ずっと、ずっと、続けばいいのに、って」 おもってた。 消え入りそうな声が、嗚咽混じりに伝えてくれる。愛おしいと思う。そして、ひどく苦しい。けれどそれが何故か、どうしようもなく心地いい。こんなに誰かを想うなんて、初めてのことだよ。 「それなら、オレの今一番好きなひとは」 一目惚れしたのは、たしかに菅沼絢斗じゃない、風に攫われそうな儚いあやねの姿だった。けど、こんなにも愛おしいと強く思ったのは。一緒に歩いて、遊んで、ひとつひとつに本当に嬉しそうなかおをして、嬉しいだとか、しあわせだとかを、細やかなでたくさんの表現ができるその性格の持ち主は。 それはもう、見た目だとか、男とか女だとかっていうのも全部関係ない。 俺と居たいがために本当のことを言い出せずにいた、そんないじらしくて、ちょっぴり弱虫なところだって、全部全部、愛おしいから。 「あやと。君だよ」 君のいない講義室は、淋しくて、仕方なかったんだ。

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