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レクチャーⅡ:どうして、こうなる!?2
(朝からホント何やってんだよ、もう。すれ違いざま江藤先輩にあいさつすることに夢中になって、無様に足を縁石に引っかけるなんて、本当にバカだろ。まんまコントだろ)
それともあの縁石は毎日俺に踏まれることにより日頃の恨みが蓄積され、あのタイミングで高さがこう、しゅるるんと高くなってわざと引っかけさせたに違いない。
苦笑いしながらそんなくだらないことを朝礼中に考えていると、息を切らした渡辺が隣に並んだ。
「おはよ、珍しいな遅刻なんて」
「おはよう、遅刻じゃないんだわ。煙草買い忘れて慌てて出かけた俺に、江藤先輩が絆創膏を買ってきてくれって頼んできてさ。指定された大きさのものがなくて、コンビニをハシゴしてたら遅れちまった」
「絆創膏?」
眉根を寄せて渡辺を見ると、左肘を体にツンツン当ててきた。
「聞いたよ、武勇伝。江藤先輩を殴ったんだって?」
「ブッ!」
その声に、前方にいる社員一同が振り返った。慌ててすみませんと、方々に頭を下げまくるしかない。
「殴ってねぇし。ただ引っかかって、一緒に倒れただけだから」
「わざわざ江藤先輩の目の前で転ぶってどうよ? ベタな手を使うんだなぁ」
「そんなんじゃないって。むしろ嫌悪感しかないから、あの人には」
(絆創膏――もしかして怪我をしたからなのか? あのとき痛そうなそぶりなんて、全然していなかったのに)
自分のせいでと考えただけで胸が痛くなった。でもまだ耐えられる痛みだ、これくらいなら平気。そう、あのときの痛みに比べたら、全然へっちゃらだった。
――高校1年3学期、学期末テストの結果が出た日。その日は雪混じりの雨が降っていて、吹きすさぶ風が凍てつくように冷たかったのを覚えている。
「ただいまぁ」
声をかけながら玄関に入ると母親の靴はなく、兄貴と江藤さんの靴が並んで置いてあったのが目に飛び込んできた。
(ちょうどいい。テストの結果を見せつけることができるじゃないか!)
喜び勇んで2階へ駆け上がり、ノックをしないで勢いよくいつものように兄貴の部屋の扉を開けた。
いつもなら「よう!」と威勢のいい声をかけてくれる江藤さんは、そこにはいなかった。ベッドの上で兄貴に抱かれ、驚いた顔をしたまま半裸の状態でこっちを見上げる視線と目が合う。
あまりの状況に驚き、手にしていたテストをはらりと落として部屋の中をまじまじと見渡してしまった。
本当は立ち去りたかったのに、なぜか足が石になったみたいに動かなかったんだ。
「ゲッ! おまっ、入るときはノックしろっていつも言ってるだろ!」
自分に向かって怒鳴り散らす兄貴の後ろで、顔をすごく赤くしながら必死に服を手繰り寄せるその姿が、妙に艶めかしく目に映った。
(憧れの江藤さんが、兄貴とデキていたなんて――)
目の前で繰り広げられる事実を頭の中でやっと受け入れ、ぎゅっと拳を握りしめる。
「ごめん……」
震える声でやっと告げて逃げるように自分の部屋に入り扉を勢いよく閉めると、よろよろ数歩進んだ先でしゃがみ込む。
あの場面を見たことよりも、ふたりがデキていたことよりも、それをショックだと思ったことがショックだった。だって江藤さんは憧れの人だったから。
ふわふわの猫っけに薄茶色の瞳、いつもお洒落な服装で柑橘系の香りを漂わせる、自信満々な俺様。そんなカッコイイ江藤さんだからこそ憧れていたはずなのに。あんな風になりたいって思っていただけだったのに――
どういうことなんだ、一体。何で胸が貫かれたように、しくしくと痛むんだ。
いろんな想いがせめぎ合って頭を抱えたとき、遠慮がちなノックが部屋に響いた。返事をする前に扉が開き、頬を染めた兄貴が顔だけ覗かせる。
「あの、さ。さっきの、アレのことなんだけど……」
たどたどしく言葉を口にして微妙な表情を浮かべながら、そっと部屋に入って来た。自分の心の内の苦悩を悟られないように、体育座りをして出迎える。
「えっと、その、な」
「さっきは俺もゴメン。ノックしないで、いきなり乱入しちゃってさ。何かいろいろあり過ぎて、すっごく驚いちまって頭が混乱してるというか」
さっきのことを言い出しにくいのか言葉が出てこない兄貴が哀れ過ぎて、わざとらしく明るい声で言ってやる。
「兄貴がホモの道にいっちゃうなんて、思いもしなかった。いやぁ江藤さんの魅力……じゃくて魔力って本当にすごいね~」
「あ? ああ」
「大丈夫。心配しなくても誰にも言わねぇから。ああ見えて江藤さんは繊細な人だから、大事にしないとダメだぞ」
兄貴の困った顔を見て、あることを思い出した。答案用紙を見せる度に俺に抱きついてた江藤さんを、困った顔して見つめていたっけ。恋人が弟である自分に接触する姿を見るのは、やっぱりつらかったんだろうな。
「さっき落としていったろ、これさ。正晴が見て、すごい喜んでた」
それはさきほどまで手に持っていた、高得点のテスト用紙だった。
「そう……」
「アイツを心底喜ばせることができるのは、おまえくらいしかいないのかもな」
「何が?」
――今、何て言った?
「いや、なんも。アイツがさ、見苦しいところ見せてゴメンって言ってた。誰もいないことをいいことに、始めちゃった俺も悪いんだけどな。それじゃ、正晴を送って行くから」
「こっちこそ、ゴメンって言っておいて欲しい。あとありがとうって……。こうして成績が上がったのは、江藤さんのお蔭だしさ」
苦笑いしながら言うと兄貴は頷いて、部屋を出て行った。
ふたたび静まり返る室内で、自分の気持ちを見つめ直して気がついてしまった。
こんなことで自分の恋心を知るなんて、思いもしなかった。そして知った瞬間に失恋なんて、あまりにも悲惨である。ゆえにこのときの痛みに比べたら、大したことがないものなれど――
(俺のせいで、江藤先輩をキズモノにしてしまった)
その事実が宮本の心に、重く圧し掛かったのだった。
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