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*** 「くっそなんなんだよアイツ! レッドフォード家にあんなのいるなんて聞いてないぞ!」 レイヴァースの屋敷に戻ったウィルフレッドは自分の部屋に戻ると誰にでも言うわけでなく喚き散らした。いらだちのあまり壁を蹴ったり机を叩いたりと落ち着きがない。しかしひとしきり暴れたかと思うとベッドに寝転がり黙り込む。 「ああ……勢いで決闘申し込んだのはいいけど……勝てねぇよあんな奴……おかしいだろあの剣術……っていうかあの目の色なんだよ、もう黒に近いじゃねぇか……」 ラズワードを相手に手も足もでなかったあの時の自分を思い出してウィルフレッドは絶望のあまり泣きそうになった。このままではレッドフォード家の護衛から外れてしまう。もう少しで最高の名誉を手に入れられるところだったのに…… 「――勝てばいいんだろ?」 「……え」 ふと、何者かの声が部屋に響く。今、この部屋には自分以外誰もいないはずだ。ウィルフレッドは慌てて飛び起きて声のした方を見やる。 開け放たれた窓。――そこにのんびりと座っている…… 「……ナイト……メア」 「こんにちは。ウィルフレッド・レイヴァース」 思わずウィルフレッドは身を引いた。ナイトメア。本当の名を――イヴという。黒い髪に紅い目をした美しいその悪魔は、高ランクのハンターにのみその存在を通達された凶悪な悪魔だという。ウィルフレッドはハンターではなかったが、前代未聞の扱いをうけるその悪魔の存在を噂で聞いていた。その能力から彼はナイトメアと天使の間で呼ばれているらしい。 「そう怖がらないでくれよ……ウィルフレッド。俺は君をどうかしようと思ってここに来たわけじゃない」 「じゃ、じゃあなんの用だナイトメア! よくも堂々とレイヴァースの屋敷に入ってきたもんだな! 今すぐにとっ捕まえて神族に引き渡してやるぞ!」 「あっはっは……結構結構……どうぞ、やってごらん。君たちを一瞬で俺の傀儡(くぐつ)にしてやるよ。一生出ることのできない悪夢に閉じ込めてやろう」 「うっ……」 「まあ、そう気を荒げないで……俺は別に君と喧嘩をしにきたんじゃないからさ」 イヴはにっこりと笑う。黒い燕尾服を揺らしてイヴはすっとウィルフレッドに手を差し出した。 「手を組もう。ウィルフレッド」 「……は?」 イヴが何を言っているのかわからなくてウィルフレッドはポカンと口を開ける。そんなウィルフレッドをみてイヴは面白そうに目を細めた。紅い光が強まった、気がした。 「……ラズワードを殺すんだろう。手伝ってあげるって言っているんだよ」 「こ、殺すわけじゃあ……! そんなことしたらレッドフォード家の護衛をする資格が……」 「はは……殺すつもりでいかないとアイツには勝てないよ? アイツはねぇ……そこらへんの凡庸な天使が勝てるような奴じゃないんだ。なんたってさぁ……いや、それはいいか。とにかく、どんな手段を使ってでも殺す、そのくらいの気持ちでいかなきゃ君はレッドフォード家の護衛の騎士になることはできない」 「で、でも……、――ひっ」 いつの間にかイヴが目の前に移動してきていた。驚きのあまりウィルフレッドはひっくり返った声をあげる。イヴはすうっとウィルフレッドの頬を撫ぜ、ゆっくりと唇の端をあげてゆく。瞳の紅が、ゆら、ゆら、と不気味に揺れた。 ゾク、と得体の知れない寒気がウィルフレッドの体を貫く。 「……最高の名誉を手に入れたいんだろう……?」 「あ……」 ウィルフレッドが目を見開く。イヴはそっと口付けをしてきた。――その目を開いたまま。ウィルフレッドは目をそらすことができない。抵抗する気もなぜか起きない。ただ、ただ、脳内を支配し始めた「何か」に身を委ねていた。 「――さあ……俺の後に続いて、呪文を唱えるんだ。俺を信じて……君は最高の力を手に入れられるだろう……」 ちら、と唇から赤い舌が覗く。白い肌に映えて、それはいやに淫靡であった。 月が雲に隠れる。星たちが嘆く。『契約』の儀式は、本人の意思を無視して闇の中、行われる――

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