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前編

 きれいめの石ころ、道端に咲いたお花、海岸で拾った空き瓶とそこに詰めた貝殻、古びたおもちゃ、同級生に半ば無理やり押し付けられたであろうぬいぐるみ、生まれたての子猫。  二人で暮らすにはちょっと広い家に、最近息子が拾ってきたものが増えつつある。  本当に要るものなのかと一度は問い質してみるものの、まっすぐな目を向けながら強く肯くさまを見ていたら戻してこいとは言えなくて。 「ねー、お父さん」  ――なあ、ユキ。 「ねこちゃんは〝ひろう〟だけど、」  ――父さんはユキのそのやさしいところが好きだけどな、 「お兄ちゃんのときはなんて言ったらいいのかなぁ?」  ――さすがに見ず知らずの人間を拾うなんてのは賛成しないぞ……。  藤林大成(ふじばやしひろなり)はため息をついてスーパーの袋を持たない方の手で頭を抱えた。まだすわったばかりの首をこてりと傾け無邪気に問いかける息子・大幸(ひろゆき)の視線を遮るのにちょうどよい。  日曜日の昼前、散歩がてら親子でスーパーに買い物に行くのは大成と大幸の二人暮らしになってからの毎週の恒例行事。いつもと違ったのは、スーパーの入口で偶然会ったクラスメイトと遊ぶべく道路を挟んだ向こう側の公園に大幸が友人と駆けて行ったことだった。  片親だからといじめたりされていないかを心配していた身としては友人がいたことにほっとして、快く送り出した。それで買い物を終えて公園まで迎えに来てみれば、息子がいっしょにいたのは小学生の友だちではなく二十代半ばくらいの青年で。  ――一体どういう状況なんだ……?  ベンチに座る青年の膝の上に乗り上げて抱きしめられる息子の姿を、頭を抱えた手を解いて今一度眺める。 「お父さん、聞いてる?」 「聞いてるよ。聞いてるんだけどな……」  子猫と人間とでは勝手が違いすぎるからどう返事しようか悩んでいるんだ、何なら父さんだってその問いの答えを教えてほしい。  心の中でとりあえずの言い訳をしてみるが、どう返事をしたところで大幸は納得しないだろう。大幸の中では相手が子猫だろうと人間だろうと、感ずることに違いはないのだろうから。  子猫のときは「返してきなさい」と言えば済んだ。  返せば別の誰かが拾ってくれるかもしれないし、上手いこと近所に棲みついている野良猫が育ててくれるかもしれない。  それに、変に干渉して愛着がわいてから途中で放り出すよりも、情がわく前に手放した方がお互いに傷が浅くて済む。大成は自分が拾ったわけではないから当然情がないとして、大幸もまだそんなに情はわいていないだろう。  しかし大幸は「うちで飼いたい」の一点張りだった。抱きつぶす勢いで子猫を抱きしめながら、勉強などを疎かにせずに自分が主体となってお世話をするから一週間様子を見てほしい、駄目だったときの仮の里親も見つけてあるから、とまで言われては、返してこいとは言えるはずもない。  有無を言わさぬ交渉材料の用意周到ぶり――一体誰に似たのか――に押し負け、子猫は藤林家の一員と相成った。初めから結果は見えていたような気もする。 「お兄ちゃん、おきてる?」 「んー……」  大幸が遠慮がちに肩を叩いても青年が目を覚ます様子はない。反対に大幸を抱える腕の力をますます強めて、小さな身体を抱き寄せた。 「あったかーい……ふふ」  頬ずりして笑みを浮かべる姿はまさに息子が子猫を可愛がる姿そのもの。大方、大幸のことをペットと勘違いでもしているのだろう。  大幸自身にもなんとなく覚えがあったようで、「おにーちゃん、ぼくフクじゃないよ」と子猫のような扱いに困惑している。頬ずりをかわそうとふるふると首を振る姿がかえって子猫と彷彿とさせて勘違いの要因となっているのだろうが、大幸自身は気づいていない。 「お父さん、お兄ちゃんねちゃってておきない」 「うん」 「あとへんなにおいするぅ」 「それは……たぶんお酒をいっぱい飲んだんじゃないかな」 「おさけ?」 「そう、お酒。お酒はたくさん飲むと眠くなるから」  青年からだいぶ顔が離れている大成でも呼気に酒臭さを感じるほどだ。足元に大量のビールの空き缶が転がっていることからも、傍に停められた自転車のかごに未開封のビール缶が詰まった袋が入っていることからも、彼が酔っぱらっていることは明らかだった。  大成は大幸がフクを拾ってきたときにとった自分の行動を思い返し、目の前の青年にも同様にできるかを考える。  この場で大幸に青年のことは捨ておきなさい――前提として人間に“拾う”だとか“捨てる”という表現を宛がうことがおかしいのだけれど――と言うことは簡単だ。初めて見る顔で話したこともないのに情がわくはずもない。  ただ、昼間とはいえ青年一人を公園に残していくのも気が引ける。貴重品が気がかりなのはもちろん、子猫のときとは違って自分と同じ人間という生物だからこそ酔いつぶれたくなるほどの心情がわかる気がして、すっぱり捨てきらないのだ。  自分が酔いつぶれるようなときは、いつも人寂しい。それはきっと彼も同じだろうから、傍にいてあげたい気持ちになる。  それに、酒臭いとはいえ今は半分が大幸の頭に埋まった彼の顔は整っているように見受けられて、不貞をはたらく輩がいるかもしれないと下世話なことまで考えてしまう。  ――いやいや、いくら美人の部類とはいえ男相手に貞操がどうのってのもおかしいだろ。  子猫よろしくかぶりを振って、大成は妙な考えを振りはらった。 「それより、お兄さんの腕の力はそんなに強いのか?」  やっぱり青年のことは残していく方向で行こう。そう心に決め、暗に腕から抜け出して来いという意味を込めて大幸に尋ねる。 「そーゆうわけじゃないんだけど……」  誰に似たのか聡い大幸は、質問の裏までをしっかりと読んでくれたらしい。しっかりと読んで、その上でか細く力のこもらない腕を振り払うこともなく抱き枕にされ続けている。 「そういうわけじゃない、けど……?」  もしかしたら捕まれている他に理由があるのかもしれない。含みのある言い方に疑問を感じ言葉の続きを待った。大幸はまだ産毛のような眉を垂らして困ったように微笑みながら、身を捩って青年の顔を覗きこむ。 「お兄ちゃん、時々ないてるの」  大幸の真似をして大幸のさらに外側から覗きこむと、青年の頬には乾いていない涙の跡があった。意識がないからか嗚咽を上げることはないながらも時折すんと鼻を鳴らしては静かに涙をこぼしている。 「お酒いっぱいのむほどかなしかったのかな」 「……かもな」  子猫のように舌でなめてとはいかないけれど、服の裾を伸ばして青年の頬をやさしく拭う大幸。それ以上質問を重ねなくても息子が青年をどうしたいと答えるかは明白だった。  念のため傍に置いてある自転車が彼のものかたしかめようとぐるりと見渡す。手がかりは前かごのビールのみだが、足元の空き缶と同じ銘柄のものだから青年の自転車とみて間違いないだろう。  どこかにくくりつけて鍵をかけたりはされていないが、ハンドルを握って押しても進みが悪い。どうも前輪がパンクしているようだった。  ――家まで持って行けないこともないが酔っぱらいを抱えてはさすがに無理だしな……。  どうしたものか、ときょろきょろしていると、道路の向こう側に立つ『サイクルショップ』と書かれた幟が目に入った。  ――預けてくか。  幸いにも道路の向こう側にあるスーパーはわりに大型で、サイクルショップが営業している。修理ついでにしばらく預かってもらえるようなら預かってもらって、難しければ駐輪場にでも停めておけばいい。 「ユキ。お兄さんの面倒と荷物を見て、ちょっとだけここで待っててくれるか?」 「どうして?」 「この自転車、たぶんお兄さんのだから。向こうのスーパーに預けてきたいんだ」 「うん、いいよー!」 「ありがと。じゃあちょっとの間、頼むな」  手に持っていたスーパー袋と前かごのビールの入ったビニール袋をベンチの空いた部分に置き、スーパーの方に向けて自転車を押し歩いた。パンクしているせいで動かすたびにガタガタとした硬い振動が手に伝わる。  青年の自転車は本人が取りに来られるようになるまで預かってくれることになった。  スーパーの中とはいえ入っているのは個人店のサイクルショップのようで、事情を話したところ柔軟に対応してもらえたのだ。有り難い。  そして店主に勧められるがまま万が一青年の持ち物でなかった場合に困らないようにとスマホで預けた自転車の写真を撮り、タクシー乗り場で客を待ちくたびれていた運転手に公園入口まで来てもらえるよう声をかけて公園に先回りする。  ベンチの上の大幸と青年は自転車を預けてくると言ったときのままの姿でいた。父親が戻ってくるのが見え、大幸は大成に向かって軽く手を振る。 「おかえりー」 「ただいま。待たせてごめんな。何か変わったことはなかったか?」 「んとね、お兄ちゃんなきやんだよ」  自分がなぐさめたおかげだからと自信ありげに胸を反らす大幸に示されて青年の顔を覗くと、たしかに青年の涙はすっかり止まっていた。心なしか穏やかそうな表情にもなっている。 「ほんとだ。ユキのおかげだな」 「ぼくのおかげだな」  大幸がえへへ、と笑いを漏らすのに被せるように、公園の入口から軽いクラクションの音が鳴った。頼んでいたタクシーが着いたようだ。 「ユキ、もう一つお願いしてもいいか?」 「なにー?」 「これからタクシーに乗るけど、父さんはお兄さんを車に乗せないといけないから荷物を持ってほしい」 「わかった!」 「重かったら無理はしなくていいからな」 「うん!」  大幸がずっと抜け出しにくそうにしていた青年の腕からするりと抜け出す。それを確認して青年の身体を半分おぶさるようにして脇から抱きかかえ、公道に停まるタクシーまでゆっくりと歩いた。父親の真似をしてスーパー袋を一生懸命抱える大幸もその隣を歩く。  運転席の後ろに青年を押しこみ、青年の代わりに抱きかかえた大幸ごと全員が何とか後部座席に乗りこむと、タクシーはゆっくりと発進した。眠っている青年を気遣ってくれているのか、その後も藤林邸に向けタクシーは徐行気味に走行する。  大幸といる青年を見つけてから今までは一時間も経っていないはずなのに、どっと疲れた。 「ふー……」  小さく息をついて目を向けた窓の外を、のんびりとしたスピードで見慣れた景色が流れる。ぼんやりと眺めていると幾分か気持ちが落ち着いてきた。  けれど、ほっとしたのも束の間。タクシーが揺れ、大成の肩にやわらかでやさしい重みが――青年の小さな頭が乗っかった。先ほどまでの大幸の代わりにしているのか、青年は甘えたように寄りかけた頭をぐりぐりと大成の肩口押し付けてくる。 「あはは、今度はお兄ちゃんがフクみたい」  自分を間に挟んでやりとりする大人二人を見て大幸が笑う。大幸の言うように、青年の仕草はたしかに猫を思わせた。  ただ、青年は猫とは違い自分とほぼ同じ体格の人間で、おまけに同性だ。  子どもでもないから甘えられて可愛いというだけでは済まない。かといって、気色が悪いわけでも不快感があるわけでもない。  ぎりぎり耳が出る短さに切り揃えられた髪がさらさらと肩口をくすぐるたび、酒気以外の甘い花のような香りを感じる。おまけに上気して朱く染まった頬が晒されて、何というかとても心臓に悪い。  ――公園に置き去りにしなくて本当によかった……。  一度振り捨てた下世話な心配を自分相手にすることとなり、大成は大幸の言葉に苦笑で返した。

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