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第82話 初めての訪問
午後23時。榛名は今、初めて霧咲のマンションの部屋にお邪魔している。
ずっと『汚いから』という理由で呼んで貰えなかったこの部屋は、多少物が散らかっていたが特に汚れているわけでもなく、榛名はすぐに馴染んだ。テーブルやソファー、ラグ等はいかにも男性が好みそうな落ち着いた色合いとデザインで、なんだかとても霧咲らしい部屋だと思った。
「亜衣乃ちゃん、もう寝ましたか?」
先程亜衣乃を寝室に寝かせに行って、たった今リビングに戻ってきた霧咲に聞いた。
「うん。亜衣乃も今日は疲れただろうしね、ベッドに寝かせたらすぐに寝落ちたよ」
「そうですか……」
「まあ、俺たちのほうが断然疲れてると思うけどね」
そう言いながら、霧咲は榛名の座っているソファーの隣にどっかりと腰を下ろした。ちなみにシャワーもそれぞれ済ませている。
霧咲の言葉に、確かに……と榛名は思う。自分もだが、特に霧咲は出張中なのに朝から宮崎、大阪、東京を一日でハシゴしたのだ。しかも昨夜はほとんど寝てない状況で。
「じゃあ俺たちも早く寝ないといけませんね。明日は遊園地に行くんでしょう?」
「ああ。亜衣乃の希望したクリスマスプレゼントだからな……母親がなんでもホイホイ買い与えるせいで、子供なのにあんまり物を欲しがらないんだ」
「物より思い出、ってやつですかね」
榛名は、何年か前のテレビコマーシャルのキャッチフレーズをふと思い出した。
「ああ、そうだね……正にそれだ。君にも悪いね、亜衣乃の我儘で明日も付き合わせることになるけど」
「別に全然悪くないですよ。どうせ暇だし、亜衣乃ちゃんは可愛いし、……貴方と一緒に居れますし」
そう言って、榛名はニコ、と微笑んだ。すると、霧咲は驚いたような顔で榛名を見つめた。
「なんですか?」
霧咲があまりにもじっと見つめてくるので、榛名は少したじろいで体を離そうとした。が、霧咲に腕を捕まれてそれは叶わなかった。
「いや……君、こんなに素直だったかな?」
「素直にもなりますよ。疲れてるし」
「理由はそれだけ?」
「………」
なんだかからかうような霧咲の言い方に、榛名は少しムッとした。霧咲はぐいっと榛名を引き寄せて腕の中に納めると、耳元でもう一度尋ねた。
「ねえ暁哉、素直なのは疲れてるからなだけなの?」
まるで情事の時ような、甘ったるくて優しい声だ。
「……何を言わせたいんですか?」
「別に、君の本当の気持ちを知りたいだけだよ」
「はあ……」
きっと霧咲は、榛名が言うまでこの詰問をやめないだろう。榛名は観念したようにため息を吐くと、霧咲の背中に手を回して自分からもギュッと抱きついた。
「……俺が素直なのが、そんなに珍しいですか?」
「いや、ベッドの中ではすごく素直だけど」
その返事はスルーした。
「もう変な誤解もしたくないし、されたくもないから思ったことは正直に言おうと思ったんです。明日一緒に過ごせるのは本当に嬉しいですし、明日だけじゃなくて明後日も、明々後日も、ずっと貴方と一緒に居たいです」
言ったあと、自分の言葉に赤面してしまう。茹で蛸のようになった顔は見せたくないから、ぎゅうっと霧咲の胸に顔を押し付けた。しかし耳まで赤くなっているので、その表情は霧咲には見えてなくてもバレバレだった。
「……暁哉、顔を上げてよ」
「嫌です」
「じゃあ、顔を見せて?」
「一緒でしょ。嫌ですっ」
「君の可愛い顔が見られないなんて、それが俺にとってどれだけ悔しいことか分かってるの?」
「そんなの知りませんよ」
「じゃあ知ってくれ」
背中に回されていた霧咲の手がさっと離れたかと思うと、その手は榛名の両頬に当てられていた。そして抵抗する間もなく、無理矢理霧咲の胸から顔をひっぺがされて上を向かされる。
「ちょっと!強引っ……ンッ……」
霧咲が不敵な笑みを浮かべていたのが見えたが、そのあとすぐにキスをされたので見えなくなった。見えるのは霧咲の目に映る、蕩けたような自分の目、だけ。それが恥ずかしくて、榛名は目を閉じた。
「ンッ……ん、ちゅ……」
霧咲の舌が唇に当たったので、口を開けてその舌を迎える。ぬるりとした感触に身体を震わせながら、霧咲の背中に回している手に力を込めた。
「チュッ、ちゅぷ、ふっ、ジュプ……」
時間も場所も忘れたように、互いに夢中で舌を絡めあった。
暫くして、名残惜しそうに軽いキスをしたあと、霧咲の顔が離れていく。
「チュッ、ふぁ……?」
「……うん、最高に可愛い顔してる。俺のことが好きでたまらない、って顔だね」
「……その通り、ですけど」
「ふふっ。もう変な暴走をして、俺の寿命を縮めないでくれよ。俺は出来るだけ長生きをして君と一緒にいたいんだ」
そう言って、霧咲はもう一度榛名を胸の中に抱き締めた。その力強さに、榛名は今朝まで霧咲がどれだけ心配したのかを改めて感じた。
「ほんとに、ごめんなさい……」
「お見合いするだなんて、嘘までついて」
その言葉に榛名はムッとして顔を離し、霧咲を見上げた。
「一応逃げてきたんですよ」
「そう、じゃあ逃げてくれてよかった。君と結婚するのは俺以外に考えられないからね」
「自分で言う?」
「言うさ。君が言ってくれないから」
結婚。今日何度も(何故か亜衣乃からも)言われた単語だ。 その事について、榛名は疑問を持っている。
「あの、日本じゃまだ同性婚は認められてませんよね?外国にでも行くつもりですか?」
「夫婦にはなれなくても、家族になることはできるんだよ。君は俺の養子になるけどね。ゲイ婚ってやつさ」
「はあ、そんな言葉まであるんですか」
まだまだ自分の知らないことが沢山あるな、と思った。
(※2015年に書いた話なのでパートナーシップ制度はまだ制定されていません)
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