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第186話 バレンタインにまつわる話
三人で歯磨きをしたあと、亜衣乃は大人しく寝室へ行き、榛名と霧咲はリビングへ戻った。
チョコレートをくれたスタッフの名前をチェックする作業は今夜のうちにやらなくてもいいのだけど、大人二人でゆっくり話したいだけの単なる口実だ。
しかし、霧咲がリビングの中央に運んできたチョコの数の多さに――塊になっていて分からなかったが、広げたら倍はあった――榛名はあんぐりと口を開けてしまった。
「……毎年、こんなに貰うんですか?」
「まあね。大学病院だと部署も人も多いから仕方ないっていうか……学生もいるし、MRの女性担当者とかも……堂々と断れるのは患者さんくらいかな」
「患者さんからも貰うんですか!?」
「いや、それはもう規則でダメだからすみませんって断ってるよ。無理矢理押しつけてくる人もいるけど」
「ひえぇ……ここまで数が多いと、羨ましいどころかお返しが大変そうだなって同情してしまいますね」
「羨望も同情もいらないから、少しは嫉妬してくれないか?」
霧咲はくすくす笑いながら言った。
榛名と亜衣乃のサプライズが余程嬉しかったのか、珍しいくらい機嫌が良い。
榛名と霧咲はひとつひとつ包みをチェックし、霧咲が用意したレポート用紙にメモをしていく。
毎年霧先が貰うチョコレートの数が多いのをあげる側も知っているようで、ほとんど名前や部署、学生だと学年や出席番号が書かれている。時折名刺や、手紙が入っているものもあった。
「嫉妬……そりゃあ少しは……いやでも、あんまり起こらないような」
「ええ?ひどいなあ」
「むしろいい気分ですよ。俺、これをくれた人たちの頂点にいるわけでしょ?」
「そうだね」
「しかもこんな、奥さんがするみたいな裏方の作業まで手伝わされてるし……」
「ごめんね。きみは俺の奥さんだから」
「ふふっ、いいですよ。――特別です」
榛名は上目使いで霧咲をちらりと見て、いたずらっ子のような顔で笑った。
*
二人で行ったからか作業は思いのほか早く終わり――それでも30分以上はかかったのだけど――榛名は霧咲に大いに感謝された。
そしてもう歯は磨いたのだけれど、なんとなく目が冴えてしまったのでもう一度コーヒーを淹れて休憩することにした。
「――ところで、いつからサプライズの計画をしてくれたの?全然気付かなかったよ」
「先週ですよ。俺が遊びに来たでしょう?そのときにこっそりと相談されて」
榛名がそう言うと、霧咲は暫し黙って先週のことを思い出しているようだった。
「……あ、俺がおまえたちが変な顔してるって言ったら亜衣乃がめんどくさいことを言いだしたときか!」
「それです。……え、今まで気付かなかったんですか?ホントに?」
「気付かなかった。亜衣乃がだんだん屁理屈というか、面倒くさいことを言う子になってきたなあ、でも俺のせいかも、と反省してた」
「亜衣乃ちゃんは俺が不甲斐ないから、機転を利かせてくれただけですよ」
「どうやらそうらしいね」
霧咲が納得したように言うので、榛名は少しだけむかついた。
「否定してくれなくてもけっこうですけど、なんかちょっとムッとします」
「きみは嘘がうまくないからね。素直で結構なことじゃないか」
「……バカにしてません?」
「するわけないだろう、褒めてるんだよ」
「素直に喜べない……」
子どものように口を尖らす榛名を見て、霧咲はおかしそうに笑った。
「でも本当に嬉しかったよ。一瞬何事かと思ったけどね……それに凄く美味しかった」
「俺は楽しかったです。亜衣乃ちゃんとふたりで買い物に行ったのも楽しかったし、チョコレートケーキなんて作るのも生まれて初めてでしたからね。うまくできるか不安で、午前中に試作もしたんですけど……」
「え、そこまでしてくれたの?君って本当……いや、ありがとう」
「ええ、言いかけたことは聞かなかったことにします」
薄めに作られたブラックコーヒーをこくりと飲んで、榛名は霧咲に聞いた。
「誠人さんの家は、毎年バレンタインに何かしてましたか?」
「俺の家?――いいや、母親はそういう行事に興味がないみたいだったし、蓉子からも貰ったことはないな……家族にあげるものじゃないって認識だったのかもな。それに自慢ってわけじゃないけど、俺は昔からこの日は多く貰って帰ってきたから、なおさらあげる気にはならなかったんだろうね」
「なるほど。自慢……ではないんですね?」
「当たり前だろう。毎年毎年ウンザリしてたよ」
「今より貰う数凄そう……」
きっと自分の学校の女子だけじゃなくて、他校の女子からも貰っていたんだろうなぁ、と榛名は予想した。
学生時代の霧咲の写真を見たことはないが、40前でこんなに格好いいのだから、きっとまばゆいばかりの美少年だったのだろうと想像する。
「きみだって貰っていただろう。高校は女の子だらけなんだし」
「ミスコンで優勝した俺が貰っていたと思いますか?それよりも友チョコブームで交換しなきゃいけなくて、朝コンビニでチロルチョコやらポッキーやらを大量に買ってましたよ、大変だったなぁ……」
「ははあ、なるほどね」
「ちなみに母と姉からは貰ってました」
母は元々で、姉は母の影響でお菓子作りが好きだったため、バレンタインの日は毎年手の込んだおやつを作ってくれていた。
しかしバレンタインだからというのはただの口実で、自分達が食べたいものを気合を入れて作って榛名と父にはついでにくれる、というような感じではあったが。
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