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第1話

「もう、終わりにしよう。」 「…そうだね。」 深夜3時。 真っ暗闇の外を遮断するように引かれたカーテン。 煌びやかないかにもな内装。 慣れた部屋。 部屋に入ってすぐに身体を重ねた。 それはもう何度目かわからないほどに行われた行為。 数回致したあと、裸の俺を引き寄せたコイツ―――夏目は静かに告げた。 行為をしたあとに言うセリフでもなければ二つ返事で承諾する内容でもない。 そんなことはわかっている。 でも、いつこう切り出されてもいい覚悟は出来ていた。 「はは、もう少し…ねぇの?」 乾いた笑い、引き留めろとでもいうのか? そんな権利、俺にはない。 「じゃあ、理由ぐらい教えてくれる?」 夏目の腕を払って身体を起こす。 ベッドヘッドに背中を預けてサイドテーブルの煙草に手を伸ばす。 「ダメ、せっかく辞めたんでしょ?」 起き上がってきた夏目に煙草を取られ遠くに投げられる。 大きく弧を描いてそれがベッドから見えない床へポトリと音を立てて落ちる。 見えなくなったそれから視線を戻せば目の前に真剣な瞳。夏目に見つめられて目を逸らす。 「自分は吸ってるくせに。」 そう、それは夏目の煙草。 ただ夏目と同じ匂いになりたくてたまに吸っていただけ。 でも、夏目の身体から香るこの煙草の匂いが好きなのだ。 同じ匂いの煙草を吸っても俺が好きな夏目の匂いじゃなかった。 ただそれだけ。 なんでもいいから夏目を少しでも感じていたい。 「ご機嫌斜めだね。」 「しっかりセックスしたあとにもうしません、て言われて不機嫌にならねぇやつがいる?」 不機嫌さが伝わるようにぶっきらぼうに言ってやる。 そんな俺を見てふう、とわざとらしく溜息をつきながら夏目が身体を寄せてくる。 「…彼女が出来た。」 「へぇ。」 違う、そんなことが理由なわけがない。 彼女が出来たぐらいでこの関係を解消するわけがない。 俺は、夏目が好きだ。 それはもう、何年も何年も片思いしている。 中学のころから。 夏目は典型的な人気者。スポーツ万能、頭脳明晰、顔もスタイルも整っている。 俺とは正反対の全身で光を浴びているタイプだった。 眺めているだけで、それだけで良かったのに夏目はこんな俺にも気を掛けてくれた。 そのチャンスは俺の生き甲斐だった。 一筋の光で、夏目のあとを追いかけては置いて行かれないように必死だった。 こんなにも長い間隣に立てるなんてあの時は思ってもなかった。 だからこそ、転落なんて御免だ。 告白なんか、絶対にしない。 夏目は俺と違って友達も多いし女にももてる。 いい女と出会って恋愛して結婚して家庭を持つ、それが幸せだ。 そんな俺と夏目がこんな肉体関係を持って続けているのはちょっとした過ち。 酒に酔って関係したのが始まりだ。 俺はその日の記憶がほとんどない。 なにかよからぬことを口走ってはないかと不安になったがそれはなかったみたいだ。 夏目の態度は一切変わらずその日の行為も記憶から抹消しつつあったある日、夏目に誘われた。 あからさまに、ホテルに。 そこからだ。 この不思議な関係が始まったのは。 夏目に彼女が出来れば終わってしまうと思っていたこの関係は何人彼女が出来ようと変わらなかった。 それが今日、『彼女が出来た』というなんともない理由で終わろうとしている。 「佐倉さ、だからもうちょっと…寂しがれよ。」 「近い。」 夏目の顔が近付いて、耳元へ吹き込まれる。 コイツは、俺がこの少し低い声に弱いのを知っている。 身体がピクリと反応してしまうのを悟られないようその顔を手で押し返す。 「は、ちょ…ひど。」 「うるさい、シャワーしてくる。」 いつも通り、いつも通り。 早く家に帰って泣きたい。夏目がいないところへ行きたい。 夏目の隣を維持したい。 こんなことで動揺して、泣き言なんて言いたくない。 そんなかっこ悪いこと、絶対にしたくない。 「一人で行ける?」 「…バカにすんな。」 少し前までセックスしていた身体は重い。 重い身体に鞭打ちながらなんともない顔をしてシャワールームまで。 いつもなら手を差し出してシャワールームまでついてくる夏目も空気を読んだのかついてこない。 背中に刺さる視線はかなり強い。空気も重い。 脱衣所のないそこは嫌でもここがラブホテルだと思い出す。 入るときは裸。出るときにどうしようか、なにが自然なのかいつも考えてしまう。 いつも思う。 隣のカップルの喘ぎ声が聞こえるほどに薄い壁。 俺の声もこうやって聞こえてるのか、隣の奴らは気にならないのか。 ああ、ならきっとシャワールームでの物音もベッドにいる夏目に聞こえているはず。 なんとなく隅で小さくなる。自分の身体を自分で抱きしめて。 じっとタイルを眺める…。 感情が昂ぶって涙が溢れた。声には出さないように。 ずっと昔に蓋をした感情をぐっとまた押し込めて。 いつかは終わりが来るとわかっていた関係。 元のかたちに戻るだけだ。 冷たい水が勢いよく床のタイルを打って大きく音が響く。 冷え切る室内に水のシャワー、なのに感情は収まらない。 頭を冷やすはずがどんどん体温が上昇する感覚。 熱でもあるのかもしれない。 この怠惰感と昂ぶった感情、身体と心がバラバラでどうしたらいいのかわからない。 ――――ガンッ 勢いよく扉が開く。 「え…、なつ、め?」 視線を上げると仁王立ちで不機嫌そうな表情の夏目。 「………。」 「…なつ、め?」 床を打つシャワーの水が夏目の手によって暖かいものに変えられる。 少しずつ勢いが弱くなって暖かいお湯がタイルを伝って足元を温める。 「なあ、佐倉。いつになったら俺のこと好きだって言うんだ。」 いつもより低い夏目の声が降ってくる。 「………!!!!」 驚いて声が出ない。 なんで、どうして、いつから。 顔を上げることが出来ずじっとうずくまったまま流れるお湯を見つめる。 夏目は俺の思いに気付いていた? え、でも、もうそんなことどうでもいいでしょ。 彼女は? あ、もしかして親友も友達も…解消? 俺の前からいなくなるの? ぐるぐると頭の中を支配する負の考え。 いろんな思いと良そうと夏目の発した言葉。 それが繰り返されて考えがまとまらない。 「うっ…、うう、う~~~…。」 何かが弾けて感情が溢れる。 ボロボロと涙が溢れて止まらない。 考えれば考えるほどマイナス。 「なつ、め…?知って、た…の??おれ、おれ…なつめ、と…もう、なかよく、でき…ない?」 ほら、声を出せば本音が漏れる。 弱い俺が、かっこ悪い俺が姿を現す。 夏目に縋って関係を壊さないようにしようなんて、そこらへんの安い女みたいな真似…。 「やめて、それだけは……」 したくなかった。 するつもりなんてなかった。 発した言葉は、夏目を求めるものだった。 夏目がいないなんて、もう考えられないんだ。 夏目の足元に泣き崩れる。 俺の言葉が届いているのかはわからない。 なにか、言えよ…夏目。 「佐倉…。」 夏目の手が俺の髪の毛を掴んで引き寄せる。 「ひ、う…うぅ。」 涙でぐしゃぐしゃの顔で夏目を見る。 こんなに乱暴にされたことは一度もない。 夏目はいつも優しくていつもスマートでいつもみんなに愛される男だ。 強く引かれる髪の毛の一本一本が痛みを伝えてくる。 「すげぇ、そそる。俺、本当は佐倉のそういう、どろどろの顔…見たかった。」 聞いたことのない声。 興奮してる?夏目…。 同じ位置まで下がってきた夏目と目が合う。 夏目の瞳はギラギラと輝いていて野性的な目。 「俺だけに見せる顔、見せてよ。」 ペロリと夏目の舌が俺の涙を舐めとる。 「な、なつ…め……?」 「いっつものなににも興味なさそうな顔じゃなくて。泣いて鼻水垂らしてどろどろの顔で捨てないでて縋って。なによりも俺が好きで、他なんかいらないって。汚いことしたっていい。カッコ悪くていい。なあ、早く…俺のこと、好きなんだろ?」 そのまま抱きかかえられる。 バスタオルをベッドに無造作に投げた上に落とされる。 乱暴に身体を拭かれたあと夏目が俺を跨ぐ。 「この関係は終わり。俺と新しい関係になろっか?佐倉。」 「…かの、じょ…は???」 バカな質問過ぎる。 もっと、あるだろ…俺。 「嘘、彼女なんかいないし今までもいなかった。女が出来たって言ったら泣いて告白すると思ってたのになかなか佐倉言ってこねぇんだもん。」 「………。」 「最初から佐倉しか見てねぇし佐倉にしか興味ねぇよ。やっと手に入れたのに手放すわけないだろ。」 「………。」 「なあ、佐倉。俺は出会った瞬間から佐倉を俺のものにするって決めてた。佐倉には俺以外なにもいらない俺がいればいいって。」 「なつ、め…。」 「佐倉、愛してる…。俺だけのものになってくれ。」 「……本気にしてもいい?」 先程とは違う意味を持った涙が溢れて止まらない。 震える手を伸ばして夏目の頬に触れる。 「本気。」 夏目が恭しく俺の手の甲へ口付る。 まるで神聖な儀式のようにゆっくりと…。 真剣な夏目の視線に射抜かれて体温が上昇する。 「夏目以外、なにもいらない…から……。」 唇を噛み締めて、震える声で伝えた。

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